お題のとおりで久しぶりの日記になってしまった。
公私共に多忙な日々が続いてしまい、日記に記しておきたい出来事を速やかに記せない状態が相変わらず…。
‘21年の年末から、それはもう「どたばた」だったあれこれを日記に記し、自分の記憶に残しておきたい。
その「どたばた」の始まりは私の実母からだった。
世間で言う痴呆症ではなかったけれど…。
それはもう酷いくらいに「老いると幼稚返り」のそれで身勝手な振る舞いの数々。
その話し方、考え方、それを掌る頭脳は「幼稚返り」が進んで「ぽんこつ」化の毎日に加え、老いた身体も益々に「ぽんこつ」化し続ける母だった。
そんな母とは数年前から我が家で同居を始めた。
昼間は徒歩で10分程の私の実家(母にしてみれば元の家)で犬や猫の世話をする毎日だったのだけれど、私と口論の末にその実家へと家出して一人暮らしに逆戻りしてしまう。
もう「あんたの世話にはならない!」んだそうな。
そんなこんなで埼玉県に住む弟が毎週末に実家へ足を運ぶようになり、母を買い物やら、かかりつけ医に連れ出すようになった。
そんな状態が2年ほど続いただろうか。
頭脳も身体も更に「ぽんこつ」化していった母が身勝手に一人暮らしを続けた私の実家は、もう凄まじい「ごみ屋敷」と変わり果ててしまったのだ。
そして昨年の 11/27(土)のこと。
この日は朝から実家へ足を運んだ弟が、寝床から起き上がれない状態の母を発見。
寝返りすら出来ないまでに「ぽんこつ」化していたというのだ。
先ずは母を担いで Toilet へ…。
用を済ませたらば早速に母のかかりつけ医へと連れて行ったらば…。
診察の結果は重度の貧血症で某総合病院への紹介状を手渡される。
土曜日だったので、弟はその総合病院の救急外来へ母を担ぎ込んだ。
連絡を受けた私もその総合病院へ…。
そして CT 等での診察結果は末期の大腸癌とのこと。
その腫瘍は Golf Ball 以上の大きさで、既にすい臓とも癒着しているとのこと。
この悪性腫瘍がじゃんじゃんと血液を奪って成長していたので重度の貧血症に陥っていたのだという。
そのまま母の入院が決定。
手術しようも無い Stage 4 の末期癌であり、治療ではなく緩和 Care 病棟へ入院させる方向で病院側と話し合いがついた。
終末医療が対象である Care 病棟の存在を知っていた母だから「えっ !?」と気付いてしまうであろうよ。
担当医からの勧めもあり、母には私から全てを告知した。
私と口論のたびに「いつ死んでもいいんだ!」ぐらいのことを繰り返した割に、いざ「長くてもあと半年」と告げると…。
母は涙を流しながら「あともうちょっと、長生きしたかった」だとさ…。
残された時間を前向きに…、と母を慰め、Care 病棟への入院を説得し、母もこれを了承した。
それはもう病院とは思えない、まるで「ここは Hotel かい?」のような雰囲気の Care 病棟だった。
その Care 病棟へ入院後の経過は順調で、一旦は退院させ介護施設へ移る方向となり、私にはその介護施設選びの日々も始まった。
そして12月に入り、25年に及んだ我が家の住宅 Loan の返済が遂に完済した。
イイね、イイねぇ〜。
早速に某金融機関へ出向き、抵当権抹消に関する書類を手渡された。
父が他界した際も法務局での遺産相続の手続きは行政書士に頼らず私が一人で行ったので、今回も全ての必要書類を自分で作成する所存。
農家の長女で生まれた母が相続した畑を宅地に変更し、そこに我が家を建てた。
なので土地の全ては母、そして住宅は私の名義であったが、その両方に抵当権が設定されていたのだ。
12月の中旬には必要書類の全てが揃った。
後は前橋地方法務局の高崎支局へ提出するのみ。
さて、いつ休暇を得て法務局へ足を運ぼうか…?
母が退院後に移る介護施設も決まり、具体的な日程調整も始まった。
しかし、それと同時に母の容態が急変してしまう。
もう退院どころではない。
そして入院から3週間が経過した 12/18(土)の朝、母は静かに永眠した。
末期の大腸癌だったけれど、最初から全く痛がらずだったのは不幸中の幸いだったのか?
苦しむ事も無く、眠るように息を引き取った。
享年83歳。
あと3週間で84歳の誕生日だったのにね…。
だが悲しんでいる場合ではない。
この年の瀬で葬式の準備をせねば…。
父の時と同じ葬儀屋に手配するも、なんと葬儀会場の空き待ち状態だという。
12月は急に寒くなるので死んじゃう老人が多いとは聞いていたけれど、まさか葬儀会場の空き待ちをさせられるとは想定外だった。
最短では通夜が 12/21(火)で告別式は 12/22(水)とのこと。
迷うこと無くその日程でお願いした。
父の時と同様、家族葬にせざるを得ない昨今の世情だったけれど、喪主の責務を果たして母の葬儀は無事に終わった。
入院してからたったの3週間、猛烈な医療・介護費用が掛かることも無く、我々からすれば「あっぱれ」な最後の母であった。
一等親の親族が死去の場合、私が勤務する会社では7日間の特別休暇を得られる。
なので結果的には 12/17(金)が私にとって ‘21年の仕事納めになってしまったけれど、葬儀が終わればまたも遺産相続の手続きのあれこれで多忙を極めた。
先ず、年内には我が家の抵当権を抹消させたい。
母の死去で平日休暇を得られたので、葬儀後の 12/23(木)は前橋地方法務局の高崎支局へ出向き、必要書類を提出した。
ところが、その書類は「受理できません」と来たのだから驚いた。
そう!
地べたは死んじゃった母のものだったから…、である。
つまりは私が母からの遺産相続を完了させないと(土地の)抵当権を抹消できないというのだ。
ん〜〜〜。
親が死ぬと「やらねばならん」ことが沢山ある。
今回も行政書士に頼らず、全て自分でやる!
…が故に結構な時間を要してしまうのは覚悟のうえである。
市役所への届け出のあれこれ、遺産相続の手続きのあれこれ、保険金の請求、さらには未だに父の分で未払いの保険金請求も並行作業であった。
加えて四十九日法要やら何やらで新年も「どたばた」のあれこれが継続されてしまったけれど、とにかく「やらねばならん」のである。
母からの遺産相続、そして抵当権抹消の両方を同時に完了させられたのは2月末のことだった。
他にも沢山のあれこれだったけれど、3月いっぱいで漸く落ち着けた。
そして、今は週末の度に「ごみ屋敷」と化した実家の片付け作業である。
弟が猛烈に頑張ってくれた。
私の Partner も手伝ってくれたお蔭で、途方に暮れそうだった「ごみの山」の半分以上は処分できた。
でも「まだまだ道のりは長いぞ…」なのだけれど、とにかく「やるしかない!」のである。
いろいろと「どたばた」の連続だったけれど、嬉しい Present もあった。
長男夫婦から結婚一周年記念でいただいた薩摩切子の Glass だ。
高価な品物なので大切にしよう。
新しい出会いも…。
写真の右側の Pure Malt Whisky は群馬の高崎産である。
これがお値段の割に「うわっ… !?」な素晴らしさで驚く。
アホ道にも挑んだ。
富岡市の「のがみ苑」にて「Ultra Jumbo 拉麺」である。
制限時間60分で完食というアホ道に挑戦したのだけれど、これは難敵だったぞ。
我が家の Listening Room へ新たに Speaker System も加わった。
これも欲しくて欲しくて仕方がなかったのである。
Jazz の AD も相変わらずで増え続けている。
’18年の 03/12 から始まった累計購入枚数は、この日記を記した本日の時点で遂に1,000枚を突破という勢い。
既存の AD も合わせると、以前に「がつんっ!」と増設した AD Rack がもう飽和状態に近づいている。
ん〜、ちょいとやばい感じ?
前述のいずれも詳細は後日に…、としておこう。
ん〜〜〜。
父が他界した後に長男坊が結婚して独立。
昨年末に母が他界したらば、次はこの4月に次男坊も結婚で独立した。
なので、今となっては夫婦二人暮らしでは大き過ぎる我が家になってしまったけれど、お楽しみはまだまだ「これから」なのである。
そろそろ孫の顔を見たいぞ、おいっ?
長男夫婦と次男夫婦のどっちが先になるのかも楽しみである。
25年も続いた住宅 Loan も完済でちょいと「ゆとり」なんぞも出来たことだし、50代後半となったこれからの人生を身分相応ながらも楽しむ所存である。
そうそう、心身の健康の維持増進も忘れずに…。
よしっ!
これからも大いに働き、大いに遊ぼうぞ!
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