mixiユーザー(id:5019671)

2022年04月12日18:04

401 view

「文章は形容詞から腐る」〈3〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【28】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981223451&owner_id=5019671

mixi日記2022年04月12日から

 まず〈1〉のmixi日記にいただいたコメントを転記する。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Tさん 2022年04月11日 18:59
中島梓の『小説道場』なら1980年代前半だろうと思ったら、書籍版は1986年刊行でした(Wikipedia調べ)。
書き下ろしではなく『JUNE』連載講座を再構成したものなので、実際に書かれたのは多分’84〜’85年あたりだと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
tobirisu 2022年04月11日 21:21
> Tさん 
 恥ずかしながら、『小説道場』という作品名が記憶になく……。
『JUNE』連載講座ですか。それじゃあ健全な好青年には縁遠いはずです。(←オイ!)
 新版・旧版乱れ飛んで検索しにくい……。
 一覧性が高そうなのは下記ですかね。
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%A2%93+%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E9%81%93%E5%A0%B4&adgrpid=48862416170&gclid=CjwKCAjwo8-SBhAlEiwAopc9W2k-FH1lxUKeSrL7Oej2dVJoEvHt81mFiL6r-bD4RXixnt_HRrFQ8RoChiEQAvD_BwE&hvadid=338571470633&hvdev=c&hvlocphy=1009279&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=14255818219489922501&hvtargid=kwd-334135711824&hydadcr=16999_10992191&jp-ad-ap=0&tag=googhydr-22&ref=pd_sl_362ppcj4wu_e

 たしかに、1986年刊行ですね。
 実際に書かれたのは多分’84〜’85年あたり……信じます。深謝。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 このかたのコメントは信頼できるので、そのままウノミにする。
 時系列を再掲。

 谷崎読本 1934年
 三島由紀夫『禁色』 1951年
 開高健『輝ける闇』 1968年
 中島梓『小説道場』 1984〜1985年
 読売新聞 2006年

 問題はそれぞれの影響関係。
 疑問がいくつかある。
 なぜ、多くの人が開高健の言葉を「文章は形容詞から腐る」と記憶しているのか。実際は「朽ちる」らしいが、皆さん「腐る」にしている。
 なぜ、開高健より20年近く前に書いている三島由紀夫が、世間ではパクリ扱いされているのか。

 なんの根拠もないが、やはり谷崎読本は別系列の単独犯?って気がする。
 あとは、クレマンソーの話がどの程度知られていて、いつごろ日本語に翻訳されたのかがわからないと、なんとも言えません。
 言っていることはほぼ同じだが、クレマンソーの言葉と開高健の言葉はニュアンスがかなり違う。
〈2〉で見た資料の中にはガッチリ結びつけているサイトがあった。この書き方では、根拠は不明。
https://plaza.rakuten.co.jp/arkoota/diary/201109210000/?fbclid=IwAR3InjpZds73mSyNRdfRPawgrNTO5QSo_pEaZhMiVx9CCyP_E8-i9fVZTpY

 新たにこんなサイトを見つけた。
【形容詞の人か、動詞の人か 政治において形容詞は腐りやすい】
https://ameblo.jp/otaru10teine20jouhou30/entry-12600131754.html
 2019年12月29日付けの「朝日新聞」らしい。
===========引用開始
【形容詞の人か、動詞の人か 政治において形容詞は腐りやすい】
というタイトルで、
編集委員福島申二氏が、
小説というのは形容詞から腐ってくると作家の開高健氏が述べたように、
政治においても形容詞(修飾語)は腐りやすいものであることについて、
紹介しております。
===========引用終了

 ここでも「腐る」ですか。根は深そう。
 で、以下は閉所空間に書いたコメントに多少加筆したもの。


「形容詞の使い方に気をつける」という心得には2つの側面がある気がします。

1)形容詞だけで表現するのではなく、具体的に記述する
 これは小説作法として昔からあると思います。伝統的な心得ですから、一理も二理も……九里よりうまい十三里。
 石黒先生の主張もこちらですかね。
「すごい」だけではな伝わらないから、「『鬼滅の刃』すごい」ではなく、「キャラの個性が際立っている」にしなさい、と。
 あるいは「スマホはすごい」ではなく「多彩な機能を備えている」にしなさい、と。
 でもね。「キャラが立っている」「ネーミングが秀逸」「映像が美しい」「設定がおもしろい」etc.……をひっくるめて「すごい」としかいいようがない場合もあります。いま書いた「美しい」「おもしろい」も具体的に書かなければダメですか? もんのすごく長くなりそうですけど。
 つけ加えると、強力な例外があって……。
『山椒魚』は駄作なのか、『走れメロス』は駄作なのか……。グタグタ書かずに端的に言い切れなんて心得もあります。 さらにいうと、「形容詞」というまとめ方は相当乱暴です。「形容動詞」は「ナ形容詞」と考えたとしても、「(山椒魚は)悲しんだ」「(メロスは)激怒した」は動詞てくれる。
 形容詞でも動詞でも、安易に使わず細かく描写しろっていわれてもなあ。そうなると副詞も同様でしょう。
 これはどんどん小説作法の色が濃くなって、実用文から離れていくのでは。
「比喩をうまく使え」などという暴論もこの延長上にあるような。
 個人的には、形容詞などよりずっとマズいのは「比喩」ではないかと。
 もちろん、巧みな比喩ならそんなことはないのでしょうが。
 でもどんなに巧みな比喩でも(巧みであればあるほど)、いずれは手垢にまみれて陳腐化します。
 結果的に「文章は(陳腐な)比喩から腐る」。
 文章読本の類いで「比喩をうまく使え」とか書いているのを目にすると、怒りさえ覚えます。
 そういう主張をする人が例にあげるのは「芸術文」の比喩で、いわゆる名文とされるもの。そんなもん参考にならんよ。
 もっと悲惨なのは、自作の比喩を例にあげている文章読本。その比喩がまたどれもこれもおしなべて(重言?)……。

2)ゴテゴテと形容詞を飾らず、シンプルに記述する
 谷崎読本やクレマンソーの主張はこちらでしょう。
 この場合の「形容詞」は「形容動詞」「副詞」を含みます。もう少し広く「修飾語」がいいのかも。
 でもねえ。あまりシンプルにしたんじゃ小学生の作文になりませんかね。もう少し表現を工夫しようよ(笑)。
 
 もうおわかりでしょうが、「形容詞要注意説」は2通りの解釈あって、その2通りは正反対の方向性です。
 一方は、形容詞(動詞、副詞)だけで済ませずにほかの表現を工夫しろと主張する。
 もう一方は、形容詞(修飾語)を極力排除してシンプルに書けと主張する。
 だからこういう精神論的な心得は嫌い。解釈によって正反対の意味になる心得なんて……読者を混乱させるだけで何もいってないのと同じです(はるかに罪深い)。当方は信用しません。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年04月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

最近の日記