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2022年02月28日19:22

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50年・・・

 今年は、あさま山荘事件から50年になるとの事で、
 事件の起きた2月19日辺りから、多くのメディアで取り上げられています。
 そして、今日が事件が解決した日です。

 50年前、テレビではずっと生中継を続けていました。
 酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、
 鉄球での山荘破壊など衝撃的な映像をご覧になっていた方も多いと思います。
 僕が在籍していた大学は、学生運動が盛んな時期で、
 大学はロックアウトされ、講義も行われていなかったように覚えています。
 後期試験はレポートに切り替えられたような気がしますが、
 ドイツ語の試験が不可だったので、試験は行われたのかも知れません。
 あるいは、不可だったのは2年の時の事だったのか、50年も経つと記憶が曖昧です。
 大学は春休みに入っていたと思うのですが、
 僕は帰省していた事は間違いがありません。
 当時の僕の下宿の部屋にはテレビがありませんでしたが、
 間違いなく映像を観た記憶はあります。
 現実の事件は、映画と違ってスピーディーには進みません。
 途中で飽きてしまって、パチンコ屋に行った覚えがあります。
 帰宅してもまだ解決していなかったのも覚えています。

 立てこもった犯人側と警察との間で銃撃戦があり、
 警察官2人が殺害され、その他負傷した方も多くいました。
 亡父が、銃撃戦を見ながら、
 遮蔽物から頭を出しては撃たれるのは当たり前だと言っていたのも覚えています。
 みんな映画などを見過ぎているから、
 遮蔽物から頭を出して狙いを付けようとするが、あれは危ないと言っていました。
 では、どうやって銃を撃つのかと訊いたら、
 銃眼などがない場合は、遮蔽物から手と銃だけを出して、
 拝むようにして撃てば危険は少ないとの事でした。
 では、狙わないのかと訊いたら、
 狙ったからと言ってそう当たるものではないので、同じだとの事で、
 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるだと言っていたのをよく覚えています。
 確かに亡くなられた方など顔面を撃たれた方が多かったと思います。

 戦後、全学連が結成され、各大学で学生運動が盛んになり、
 60年安保の時に盛り上がりを見せました。
 東大闘争や全共闘を経て、大学から高校にも裾野が広がり、
 その頃、僕は高校にいました。
 そうした学生運動が先鋭化し、党派争いによる内ゲバなども頻発して、
 赤軍派など武装闘争を標榜するようになって、
 完全に多くの学生が離れて行ったのだと思います。
 そして、最後のあだ花のようなものがあさま山荘事件だったような気がしています。
 その後、学生運動は急速に下火になり、
 政治から学生が離れて行き、体制に順応する学生が増えて、
 今に繋がっているような気がします。


【今日の一句】
 結果出る 花が咲くのか 落ちるのか

 悩ましい季節ですね。


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