mixiユーザー(id:20360103)

2022年02月16日16:02

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総括です

当時、ウイングを手伝っていた人と電話で話しました。彼が言うには「あのまま松永さんがいても、全員で地獄行き、迷惑を掛ける業者などが増えただけ」と
空手家からプロレスラーになってすぐで、キャリア不足の私には一つの団体を引っ張るのは荷が重かったでしょうね。 前座も多かったFMWでの3年間は私にとって本領発揮とはいきませんでしたが、しっかりプロレスの勉強が出来ました。それが、後に大日本プロレス、バトラーツ、ゼロワンなどでメインを張る、独特のプロレスを作る基礎になりました。 新生FMWのプロレスには馴染めませんでしたが、そこで覚えた事を、当時メジャーかじりのプロレスで迷走していた、大日本プロレスのレスラーに教えたりもしました。全て無駄では無かったと思います。 私がウイングを辞めた事の是非はファンの方々が決めればいいと思います。 しかしやはり、ポーゴさんとのスクランブルバンクハウスデスマッチ。レザーフェイスとの五寸釘デスマッチが出来た、ウイング時代が一番輝いていたでしょうね。
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