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2022年01月24日01:11

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「最後の砦」いいちこ

私は下戸だけれど、魚屋さんを営んでいた義叔父が大変な酒好きだった。

酒が好きで好きで、医者からはアルコールを止められていたけれど、それでも「呑むのなら "いいちこ" にしなさい」と医者に言われたという話を聞いた事がある。

実際のところの真偽は兎も角、本当にお酒か好きで亡くなる直前まで呑んでいたらしい。
義叔父の人生は、寿司屋を辞めて魚屋を立ち上げた所からしか知らないけれど、その後に刺繍屋を始めて時流に乗ったお陰で財を成して ひと財産を築いた。
恐らく、岡田斗司夫の両親が成り上がったパターンと同じだったんだろう。タイミング的にも時期的にも。

その後バブル崩壊を経て刺繍屋は廃業、再び魚屋を立ち上げた。

義叔父は、本当にまともな教育も受けられなかった少年期を過ごした為に読み書きは苦手で、叔母が付きっきりで読み書きを教えたという話も聞いていた。その読み書きも、実は運転免許証の取得の為だったと聞いている。

義叔父には、障碍のえる弟が居たとも聞いている。本当に幼少期からの苦労人だったらしい。
商売人らしい人当たりの良さと、決して挫けることのない逞しさが、義叔父のその後の経済的な成功に繋がったのだろう。
現代のような規制だらけ、管理されまくりの四角四面の社会ではなかぬか成り上がるのも大変で、一概に比較は出来ないけれど、そういう意味では義叔父が人生を贈った時代は「面白い時代」だったのではないかとも思う。

私は「いいちこ」を見聞きすると、どうしてもこの義叔父の事を思い出す。

子どもの頃に可愛がって貰った記憶があるからだろう。
私が幼稚園に入って おたふく風邪を患ったので遠足に行けなかった折に、この義叔父が 私が演奏家で行く予定だった遊園地に連れて行ってくれた事があった。
本当に気の良い人だった。

その遊園地、みさき公園もこのウイルス騒動で閉園となった。
義叔父も旅立って数年になる。

未亡人となって叔母は、今だに元気で地域の人達から声を掛けてもらいながら、週に何度か仕事をしていると言う。

私も、少しぐらいお酒が呑めたら良かったのになぁ・・・と、時折 思うのだが、こればかりは如何ともしがたい。

「義叔父の逞しさ」は見倣わないといかんなぁ・・・とも思う。



■「下町のナポレオン」を全国区に 三和酒類相談役の西太一郎さん死去
(朝日新聞デジタル - 01月23日 19:19)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6823592

三和酒類(大分県)相談役の西太一郎さんが19日に亡くなった。83歳。葬儀は近親者で営まれた。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻直美さん。


 現在の大分県宇佐市出身。東京農業大農学部を卒業後、家業の酒蔵など4社が合併した三和酒類に1960年に入社し、89年に社長に就任。会長、名誉会長を経て、2018年から相談役を務めていた。「下町のナポレオン」の愛称で79年に発売した麦焼酎「いいちこ」を全国区に押し上げた。
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