紋章学者の沼田頼輔は、明治44(1911)年、山内侯爵家の史料編纂所主任になった。
山内侯爵家は、土佐柏の家紋を使っているが、他にも土佐桐も使用していた。
出勤初日、山内侯爵家当主山内豊景から、
「山内家では、なぜ桐の紋も使っているのですか?」
と質問されたが、頼輔は即答することが出来なかった。
また、杉村楚人冠が、東京朝日新聞の欧州特派員としてロンドンにいた際、新聞社がベルギー国王に太刀拵の日本刀一振りを贈ることになったが、その太刀を楚人冠に託した。この太刀に、鶴丸の紋章があることに楚人冠は気がつき、鶴丸についてベルギー国王から質問があるかもしれないと考え、ロンドンの在留邦人に質問したところ、誰も知らなかった。
しかし、英国の紋章学者に鶴丸について質問すると、紋章学者は楚人冠に、鶴丸について詳しく説明した。
頼輔は、山内豊景侯爵とのやり取りと、鶴丸についての経緯を書いた楚人冠の記事を読み、
「日本人なのに、侯爵の質問に答えられない」
「外国人に日本の紋章のことを教えてもらうようでは、どうにもならない」
というのが動機になって、紋章を研究することになったのである。
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