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2021年09月05日05:50

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自殺しないための方法

今年、子供や若者の自殺が増えているとのこと。
そして一年のうち学生の自殺が最も多いのは9月1日なんだよね。もう過ぎてしまったけれど、自分にとって有効だった自殺をしないでいるための方法を書く。

私は今はほとんど無くなったけれど、数年前まで、特に6歳から14歳くらいまでは、毎日、自分を消したかったというか、自分の存在にどうしても耐えられなかったので、ある意味で、日常的にいつも自殺を思い留まっている状態だった。それ故、これまで何千回と自殺を思い留まってきたため、自分では自分を、自殺を思い留まるプロだと思っているわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)特に子供〜20代まで。

ただ、自分の場合は、自分の存在に耐えられないことが原因なので、他の原因で自殺を考えている方々には、私の方法は有効ではないかもしれない。だけれど、自分と同じ原因の人や、別な原因からだとしても私と同じ方法が役に立つという人もいるかもしれないから、これまで自分を自殺させないでいるために有効だったことを幾つかここに記載しようと思う。

これは主に、「自分はこの世にいてはいけないのではないか」、又は「自分はいないほうが良い」と思うことが原因で自殺を考えている人向けだと思う。
(病気が原因の場合や経済的原因の場合は、ここに記載することはあまりフィットしないと思います。)

アホみたいなことや、普通に生きていけている人からすれば、そんなこと思う必要もないようなことばかりだと思うけれど、何が他の人にも有効なのか私自身には分からないから、とりあえずいろいろ書いておく。
※特に歯止め度が高かったものには星、重要だと思うものにはexclamationを付けた。


わーい(嬉しい顔)「いつでも死ねるので、とりあえず今じゃなくてもいい」と思い、なんとか今はこのままでいる。
わりと死ぬのは簡単にできる。いつでもできる。死はすごく身近にある。そう思っただけでも私はとても救われた。だから、「いつでもできるなら今しなくてもいい」と思うようにして、その瞬間をやり過ごす。

わーい(嬉しい顔)星「自分を殺したら、最初の生命から自分に至るまでのすべての血を殺すことになる。そんな権利は自分にないから止める」と考える。
これは10代から、自分を殺さないでいるための直接的な歯止めになることが多かったのでかなり有効だった。
自分というのは、自分だけで出来ているのではなく、そこに至るまでの祖先、すなわち親、祖父母、曾祖父母、曾々祖父母、曾々々祖父母、曾々々々・・・・・、猿、最初の哺乳類、最初の脊椎動物、最初の生命、そのすべてから繋がる血を受け継いでやっと出来ているのである。自分を殺すとしたらそれは即ち、最初の生命に至るまでの全ての皆さんを殺すのと同じことなのである。だからそんなことは、私個人の意志だけでは到底、やって良いことではない。だからしてはいけない、と考える。少なくとも自分を殺すというのは、自分だけを殺すということではない。それは「自分に流れている血を殺す」ということであり、血は脈々と他人から受け継がれているわけだから、明らかに他人を殺すのと同じである。自分に至るまでの全ての命を殺すということ。

わーい(嬉しい顔)自分が意識しているのは自分の一部で、ほとんどそれ以外のものが自分を構成していることを思い出す。
上の項目と似ているけれど、「自分を消したい」とか「死にたい」という自分の意識を生み出しているのは、自分を構成しているもののなかのごく一部。自分が意識の上で自分だと思っている部分だけが自分なのではない。
実際は自分の身体にはものすごい量の細胞があるわけで、その一つ一つの細胞などが自分を作っている。それだけでなく身体に備わっているシステムも。それは普段自分では意識していなくても常に働いてくれていて、そのお陰で自分が生きている状態を保てている。だから自分の中には、大量の他人というか他生物が詰まっているような状態なのだ。大量に小さな命が集まっていて、それを私は自分だと思っているだけ。実際には私のなかの細胞一つ一つは細胞さんたちであって私なのではない。だから、それらを自分の意識だけで殺す権利はない。

わーい(嬉しい顔)自分は自分で作ったものではない。それゆえ著作権が自分にあるわけではないから、自分にそれをどうこうして良い権利はない。命に著作権はもともと存在しないとしても、それに当たるのが運命とかこの宇宙の法則とかだと思う。人によってはそれは神と思うかもしれないけれども、とにかくそれは自分自身ではない。

わーい(嬉しい顔)生存の可否は自分で判断することではない。
前述の項目と似ているけれど、生きてちゃダメなんじゃないか系の人向け。
自分が生きていて良いかダメかは、自分で判断できることではない。それは自分を遥かに越えた存在が判断すること。運命とか、地球環境とか。だからそれを自分で判断しようとしている時点で僭越になっている。それでもし自分の判断で自分がいてはならないと決定し自分を殺したらそれは完全に越権行為になると思う。

わーい(嬉しい顔)星自分が自然の一部であることを意識する。
これは、自分の存在が許されていないと思う系の人向け。私にとって、最も有効だったのはこれだった。
私は幼い頃から30歳くらいまでずっと、自分はいてはいけないと思っていたのだけれど、ある時、自分がいて良いか悪いかは、自分が判断することではないと気づいた。なぜなら、この世に存在している時点で自分は既に地球上のものの一部であり、そこらへんの石ころとか、木とか、土とかがあるように、そして他の生物たちがいるのと同じように、ただ今ここにある物体というだけなので、べつに居て良いとか悪いとか考えるようなものでもないから。
私が、「自分は存在を許されていない。どうしたら存在することを許してもらえるのだろうか。自分はいてはいけないのではないか」と思っていたのは、自分のことだけを、この世界から切り離して捉えてしまっていたからだと思う。でも自分は最初からこの世界の一部なのであり、その時点で存在は許されていたのだから、最初から、「どうしたら存在を許されるのか」などと考える必要もなかったのだと思う。本当に自分がいるべきでないときは、自然の側が追い出してくれるはずなので、その時まではいて良いということだと思う。自分が存在して良いか悪いかの判断は、自分をいさせてくれている自然界の側がすることであって、自分がすることではない。というか自分にできるはずがない。自分だけの狭い了見では、そんなことは判断できるはずがないから。私は人間だから、人間の考えることしか思い付かない。自分の存在の可否については、自分の判断ではなく、その自分をいさせている側の判断のほうが遥かに偉大で信用に値する。

わーい(嬉しい顔)一生叶わなそうな夢を本気で持つ。
例えば、私はものすごく宇宙人と会いたいので、死にたくなったとしても「宇宙人と会えるまでは死ねない」と思うと、いま死ぬわけにいかないと思える。そして、今の科学が言うには、「宇宙人はどこかにはいると考えるほうが自然だけれど、地球が存続している間に会うことはほぼ不可能」だそうなので、だとしたらたぶん私が生きている間には会えない。だから、一生会えないのなら、死にたくなったときに、いつも「宇宙人に会えるまで死ねない」と思うと死ぬわけにいかなくなる。そして本当に会えないかどうかは分からないから、「もしかしたら会えるもしれない」という可能性を信じて生きていくこともできる。
これはべつに宇宙人でなくとも何でも良いので、何か一生叶わない可能性の高い夢を本気で持っておくというのは、死なないでいるために効果的だと私は思う。

わーい(嬉しい顔)人間の中だけで考えない。
他の人間のことや人間関係が原因で死を考える人の場合。(私は人間が原因で自殺を考えることはあまりないので自分の経験ではないけれど、人間が原因で自殺を考えるタイプの人に対してとても伝えたいこと。特に子供や10代、20代のかたで、そのタイプのかたに。)
この世のなかで、人間はごく一部の存在に過ぎない。実際には、地球上には人間以外のもののほうが遥かに多く、人間以外のもののほうが遥かに大きな影響力を持っている。そちらのほうがずっと重大なものだから、人間から何を言われようが、どう思われようが、それは大したことではないので死ぬほど気にするには値しない。他の人間からの判断が原因で、自分がいてはいけないかのように思う必要は全くない。それは、人間というごく一部の存在との問題でしかないのだから。たとえ、地球上の全ての人間があなたの存在を否定したとしても、地球はあなたの存在を否定していない。だから、人間にだけ気を遣って自分を殺す必要はない。人間の中だけで考えてはいけない。
もちろん、自分の至らなさが原因で他の人に迷惑をかけてしまったなどという場合は、改善できるところはしたほうが良いし、人の言うことに耳を傾ける必要があるときもある。でも、それはこれからより良く生きていくために必要な場合にすべきことであり、死ぬためにやることではない。死を選ぶような方向に向かわせる人間の言動は、一切信じるに値しない。
それに、人間にも色々な人がいるので、たまたま今の自分の周りに、合う人がいないだけかもしれないのだから、そこだけで判断するのは勿体ない。これから先、全然違う人間ともたくさん出会う可能性がある。
たとえ今見えている人間全員から嫌われても、それは人間というごく一部の種の中の、更に自分から見えているごく一部の人の捉え方でしかないので、それが自分自身の評価を決める標準的なものであると考えるのは絶対に止めるべき。自分の価値を、その価値が分からない他人に決めさせてはいけない。

わーい(嬉しい顔)星地球のこれまでを知る。
地球が誕生してから、生命が誕生して今の人間がいる状態になるまでの過程について解説しているものを見たり読んだりする。宇宙のこれまでについてでも良い。そうすると、自分がいま人間としてここにいられることが、どれだけ幸運で信じられないくらい奇跡的なことかというのが分かり、そんな幸運な存在で超幸運な時期にいられるのであれば、自らその状態を捨てるのは本当に勿体ないと思えてくる。自分が思っているよりも、自分の命と自分に備わっている機能は遥かに尊いもので、少なくともそれを十分に自覚しないままに自分を殺すのは、あまりに失礼になる。だから自分の判断で自分を殺すのならば、せめてまず自分が今ここにいられるようになるために、どれだけのことが必要だったのか、自分の存在に辿り着くまでの歴史を知って、どれだけ幸運なのか分かってからでないといけないと思う。

わーい(嬉しい顔)他の宇宙も含めた規模で考える。マルチバース規模で考える。
これもやや有効だった。自分は自分のいる宇宙の範囲内だけで考えてしまうから、自分のいる宇宙を常識の基準にして考えてしまう。そうすると、自分の身に起きていることがとても大きく絶対的なことかのように思ってしまう。でも、宇宙は私たちの宇宙だけではなく他にもいっぱいあるかもしれないので、この宇宙で何があったとしても、あまり大して重大なことではないと思うようにする。その規模では、「自分がいてはいけない」などと考えるまでもないから気にしない。

わーい(嬉しい顔)もし原因が人間なら、人間のことは気にしない。人間はいつかみんな死んでしまうから。人間との関係が原因で死にたい場合は、どっちみちその人間が死んでしまった後は全然問題にならないのだから死ぬほど悩むようなことに値しない。とにかく他の人間が原因の場合は、全く、死を考えるほど悩むに値しないので止めるべき。

わーい(嬉しい顔)星死んだ直後の具体的なことを想像する。
もし、死んだ後にお葬式をしてもらうことになったら莫大にお金も時間もかかるし、ものすごく面倒をかけることになるから、それを考えたら、今それをしてもらうのは面倒すぎるから止めておく。お葬式をしないとしても火葬とか、役所の手続きとかすごく面倒をかけることになる。もしお葬式をしてもらってしまって、そこにいろんな人が来てくれることになったら、もしかしたら、すごく大事な用があってもズラしたりキャンセルしたりして来る人もいるかもしれないし、忙しいとか体がキツいなどの事情があっても無理して来る人とかがいたら、あまりに迷惑になる。もうそれを考えただけで具合が悪くなってくるから、とりあえず今死ぬのは止める。
これは私は、その場しのぎの意味では一番歯止めの効果があった。

わーい(嬉しい顔)自分が死んだら傷つくであろう友人を思う。
自分を思ってくれている友人がいるので、恐らく、そのような友人は、もし自分が自分から死んだら、なぜ救えなかったのか、などと自分を責めることになるだろうし、傷つくだろう。自分のこれまでの生存に確実に必要だった友人を、そんなに苦しめるのはあまりに無情すぎるので止める。

わーい(嬉しい顔)完全には消せないから止める。
自分を完全に消したいと思う系の人向け。
死んで自分の体だけ消したとしても、自分のことを知っている他人の記憶の中に自分が残ってしまうので、それでは全然、自分を消したことにはならない。自分のことを知っている全ての人の頭の中から、完全に自分の記憶を消してからでないと、死んでも全然自分が消えたことにならないから意味がない。そして自分を知る全ての他人の頭の中から自分の記憶だけを消去することは今のところ不可能なので、とりあえず、その技術ができるまでは生きていなければならない。もし自分を完全に消したいのだとしたら、せめてその技術ができるまでは待っていないと、身体のみ消しても意味がないから。

わーい(嬉しい顔)外でとっさに死にたくなった時は周りへの迷惑を考える。
電車が来るときに、なんとなくそこに引き寄せられるときは、以下のことを考える。もし電車で死んだ場合、その電車が時間通りに着いてギリギリ間に合う、何かの重大な書類を提出しなければならない人が乗っていたら、それが遅れた場合にその人は人生を台無しにすることになる、又はその電車が時間通りに付けば親や配偶者の臨終の場に間に合った人が間に合わなくなる、又は、今届けないと命が助からない薬か何かを持っていく途中の人がいたら、それが遅れたせいで死ぬ人がいる、と考えたら、自分は死んでも良いかもしれないけれど、そのせいで他人が死んだり、その人の人生で取り返しの付かない事態を招いてしまう。その責任は取れないということを思い出して、止める。

わーい(嬉しい顔)自分がどういう人であったとしても、自分に責任があるのではない。
自分がいてはいけないと思う系の人向け。
そもそも自分は存在していない。自分を構成しているのはすべて他のもの。だから、そう考えれば自分は存在していないのだから殺す必要もないし、自分がどうであったとしてもそのことに責任を感じる必要もない。たまたま、自分がそういう人として生まれてきたというだけだ。それは誰のせいでもない。「こんな自分はダメだから、いてはいけない」と思うとしても、自分がそうであるのは自分のせいではない。だから自分が責任を取る必要はない。死ぬ必要はない。たまたま、自分がそうであるような遺伝子と、そうなるような運命を持っていたというだけで、それらは全て、自分が考えて作ったものではなく、自分で選択したものでもなく、外来のものだから、もともと自分にはどうしようもないものだ。だから自分がどうであっても、そうであることについて自分に責任はない。後天的なことで、何か自分の努力で変えられることならばその限りではないが、先天的なことや運命によってたまたまなったことであれば、全く自分の責任ではないから、気にするに値しない。

わーい(嬉しい顔)今ものすごく辛いことが原因の場合、他の選択肢がないか考える。
いつも、必ず、自分がこれで全てだと思っていることの他に選択肢があるはずだと思ったほうがいい。たいてい本当にそうだから。
何もかも全く道がないということはない。自分ではそれが思い付かないときは、他の人にも聞いたほうがいい。とにかく、自分に想定できることは限られているから、「いつも自分に見えている範囲の外側がある」と思うようにする。自分の思考の中には逃げ場が無くても、その外には道があると思うようにする。

わーい(嬉しい顔)今、非常に苦しい状態で、死んだほうがずっと良いという状態の場合は、その状態自体を変える又はその状態から脱却する方法がないのか考える。もし、その方法が今はないように思う時でも、それが変化する時が来るかもしれないから、そうなったら、もう今の状態ではなくなるから、それなら、その時を生きずに今死んでしまうのは勿体ない。それでも生きているほうがよっぽど辛く耐えられない時は、それを分かる可能性のある人に相談する。又は医者に行ける場合は医者にも行く。もしそれが病による苦しさに起因するのであれば、同じ病の人で生きている人がどうやっているのか調べる又は調べてもらう、それができない場合は想像する。

わーい(嬉しい顔)今後の世界を見たほうが良いから生きている。
今は、極めて大きな変わり目の時代だから。ここ数十年は、ものすごく大きく世界が変わるとき。少なくとも人間が始まって以来、最も大きな変化だと思う。私は、これは地球に生命が誕生して以来、そうそう起きない大変重大な段階だと言っても良いと思う。生命が誕生できた天体で、一つの天体につき1回しか起きないようなことが起きる可能性のある時だと思っている。それは私の個人的な見解だとしても、少なくとも今は第四次産業革命と言われていて、大きく世の中が変化する最中であることに違いはない。そんな滅多に無い時期に生まれて来れたのだから、こんなラッキーなことはない。それは間違いない。せっかくその変化を見て、その後に来る世界がどうなるのかを見れるのなら、絶対に見たほうが良い。それを見れるのは、今の時代を生きている人だけなのだから。

わーい(嬉しい顔)死んだ後、自分で自分を完全に消せないから止める。
死んだ後、誰かが自分を埋葬しなければならないから、それがダメだから止める。(自分を消したい系の場合。私はわりとこれがかなりネックだったから、死ぬに死ねないと思うことがあった。自分が死んでも自分でそれを片付けられないのなら絶対に嫌だった。)

わーい(嬉しい顔)素晴らしいものを見る。
これがあるなら生きていようと思うものを見る。自分が感動するものに接する。

わーい(嬉しい顔)一度でも、何か、これがあるなら生きていようと思った瞬間があるなら、その瞬間を思い出す。もし、そのときに書いたものや、その時の記憶と繋がる物があれば、それを見る。

わーい(嬉しい顔)誰か、自分のやったこと又は自分自身に何らかの価値を見いだしてくれた人が過去にいた場合は、それを思い出す。そういう人からもらった言葉を覚えている場合は、それを思い出す。又は自分を頼りにしてくれた人がいるなら、その人を思い出す。

exclamationわーい(嬉しい顔)とにかく、まず寝る。
もし頭が完全に回っている状態でないのなら、そのときに判断するのはダメ。そのときは寝る。もし寝られないのであれば、寝られる状況を作る。もし環境があまりに厳しく、ぐっすり寝られないようであればその環境から脱することができないか方法を考える。又は、その環境から脱するための相談ができるところを探す。それから過労で死を考えている場合は、そうなる前にとにかく寝られるようにする。これは非常に重要。

わーい(嬉しい顔)自分と全然違う生活をしている人たちを知る。
そういう人の暮らしを映像で見たり、読んだりする。人間の生き方、生きる方法は、自分が思っている種類だけではないということを認識する。例えば外国の、全然文化圏が違っていてライフスタイルが違う民族の人たちの暮らしを知るとか。日本でも、森の中で共同生活している人などの暮らしを知るとか。(生きていく道が無いのではないか系の人向け。)

わーい(嬉しい顔)自殺に関連する遺伝子があるということを知る。
自殺に関連するとされる遺伝子は見つかっている。「ああ、自分はそういう遺伝子なんだなあ」くらいに思うようにする。自分の、自殺を考えるような性質を客観的に捉える。他人事かのように、研究対象かのように捉える。
そして、その遺伝子は決してマイナスにばかり働くのではなく、むしろそういう遺伝子を持っている人こそ向いていることがあるから、そういう人が必要なのだということを自覚する。死にたくなるような人が、この世界に必要なのだ。そういう人が本当に必要ないのなら、そういう人の遺伝子はとっくに淘汰されているはずだ。でもそうなっていないということはその人たちが必要だから。
もし、この世に「全く死にたいと思ったことがなく、自分の存在を完全に肯定している、自信満々の超ポジティブな人」しか存在していなかったら、その世の中は恐らく安全ではない。明るいかもしれないけれど、慎重さに欠け、隠れた危険性があっても誰もそれに気づかないか気づこうとしない、又は気にしていない、故にそれが放置されて後から取り返しのつかない深刻な状況に陥ってもおかしくない。もちろん、そういう超ポジティブなタイプの人も世の中に必要だと思う。でもそういう人ばかりでは世の中は成り立たなくて、中には死にたいと思うようなタイプの人も必要だということ。

だから「自殺を考えるような自分」を肯定的に捉えても良いのだ。実際に自殺を行動に移さないための対策は講じる必要があるだろうけれど、死にたくなった際に、その都度それを止めることさえできれば、「自殺を考えるような性質」自体は、否定しなくても良いと私は思う。なぜならそのような性質を強く持っている人が自殺を一切考えなくなるとか、全く死にたいと思わなくなるというのは無理だから、その性質自体を否定するとかえって心身の健康に悪い。むしろ「死を考える性質を持っている自分」に自信と誇りを持ったほうが良いと思う。

自殺に関連する遺伝子に関して記されているサイトを紹介する。

・自殺に関連する遺伝子
https://medical-tribune.co.jp/kenko100/articles/140813527588/

https://gigazine.net/news/20190305-gene-associated-suicidal-thoughts-behaviour/

・セロトニン関連
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-14570923/

https://bibgraph.hpcr.jp/abst/pubmed/12849930

https://www.swissinfo.ch/jpn/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%A8%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A6%8B/1991714

・うつと自殺
https://www.carenet.com/news/general/carenet/45533



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