mixiユーザー(id:7369308)

2021年08月22日15:20

348 view

原田マハ「キネマの神様」

先日、映画『キネマの神様』を観て、原作の原田マハ「キネマの神様」は映画とかなり違うと知り、先週購入してあまりに面白く3日で読み終えました。

まもなく40歳の歩は都内のシネマコンプレックスの開発をある会社の管理職として手がけていましたが辞めてしまいます。同じ頃、彼女のギャンブルと映画が大好きな79歳の父が倒れてしまいます。父は回復して娘の意見を聞いてギャンブルをやめ、映画雑誌に娘の映画評を投稿したことから、歩が映画雑誌のライターとして採用されることになり、父はその映画雑誌で映画ブログをスタートします。

映画好きの円山家族と名画座テアトル銀幕を営むテラシン、そして映画雑誌「映友」を巡る映画を愛する人々の物語です。
父が娘の歩の映画評を「映友」に投稿しますが、その映画評は『ニュー・シネマ・パラダイス』を名画座で再見したときについてで、こんな文章で終わっています。
「名画はどこで観たって名画だ。けれど夏の夜空咲く花火を、家の狭いベランダからではなく、川の匂いと夜風を感じる川辺で見上げればひときは美しいように、映画館で観れば、それはいっそう胸に沁みる。名画は、大輪の花火である。それを仕掛ける川辺がいま、失われつつあることを私は惜しむ」。私は映画館で旧作を観ることが大好きですが、名画座が失われることをこのように表現することにすっかり魅せられてしまいました。映画を通じた父娘、そして家族思いの母の交流が非常に印象的で、この小説は愛すべき家族の物語です。

父が娘の文章を映画雑誌に紹介するにあたり、映画館は結界で映画は結界に潜む「映画の神様」への奉納物という面白い考えを披露して、この考えが「映友」に気に入られて「キネマの神様」という人気のブログが始まることになります。ブログ「キネマの神様」にはアメリカのローズ・バッドを名乗る人物からの鮮烈な投稿があり、それが映友そして閉館間際のテアトル銀幕の運命を左右するまでになります。それは『フィールド・オブ・ドリームス』を思い出す展開です。
仕掛けが上手で、すべてがかみ合ったラストはテアトル銀幕での上映会、映画のようなラストシーンです。

小説「キネマの神様」は映画を提供する側と観る側の物語でしたが、映画『キネマの神様』は製作側に視点を置いた作品に変更しています。そのため変更はすべてに渡り、大事な家族の物語は矮小化してしまい、名画座への焦点もぼけてしまいました。そもそも「キネマの神様」の意味が違い、まったく別物の印象です。
原作の大幅な変更で思い出すのが、黒澤明監督『八月の狂詩曲』。原作は村田喜代子「鍋の中」、とても面白い小説でしたが映画は原作の設定を使ったまったく違う作品になってしまいました。

映画『キネマの神様』は山田洋次作品として楽しむことが作品でしたが、小説「キネマの神様」はそれを上回る魅力的であり、ある意味より映画的な作品でした。


写真は原田マハ「キネマの神様」
6 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する