3082日目
十三湊遺跡・・・
丰(ホウ)
𡗗=龵+乀
𡗗+α・・・あるふぁ・・・或る譜のアは「丫・蛙」?
春=𡗗+日
舂=𡗗+臼
泰=𡗗+氺
秦=𡗗+禾
奉=𡗗+キ
奏=𡗗+夭
一+夫+「禾・夭・氺・‡(十+一)・日・臼」
二+大+「禾・夭・氺・‡(十+一)・日・臼」
三+人+「禾・夭・氺・‡(十+一)・日・臼」
↓↑
春≠舂≠秦≠奏≠泰≠奉≠春≠舂
↓↑
秦=三+人+禾
一+人+禾
シン
はた
国名・戦国時代の七雄の一
姓氏の一種
↓↑
蓁溱嗪嫀獉
搸殝榛瑧臻
縥螓轃㰉䆐
↓↑
太秦=うずまさ・はた・はだ
右秦=うはた
大秦=おおはた・おおばた
秦 =しん・しんの・じん・たい
はた・はだ・みな
秦泉寺=しんせんじ・しんぜんじ
じんせんじ・じんぜんじ
朝秦暮楚(チョウシンボソ)
一定の場所に生活の拠点をもたず
ふらふらと放浪すること
信念や主義などが
すぐに変わる人のこと
朝には秦の国にいたのに
夕方には楚の国にいる
出典 晁補之「北渚亭賦」
↓↑
湊=氵+奏=凑
氵+三+人+天
氵+三+人+夭
氵+一+人+丿+大
ソウ
あつまる
みなと
集まる・集める・人や物が集まる
港・船着き場・船の集まるところ
↓↑
奏=三+人+天
三+人+夭
一+人+丿+大
ソウ
かなでる
すすめる・差し上げる・献上する
もうす・申し上げる
かなでる・演奏する
なしとげる・やりとげる
奏=かなつ・しん・はた
奏(かな)でる
楽器を演奏すること
特に弦楽器の演奏
奏(すす)める
合奏
複数の楽器を使って
一つの曲を演奏すること
四重奏
四種類の楽器で行う演奏
カルテット
重奏
複数の楽器で
異なる声部に分かれて
行う室内楽の合奏
序奏
楽曲で主な部分の前に
演奏される音楽・導入部
吹奏
管楽器などを吹いて演奏すること
帷幄上奏(イアクジョウソウ)
君主制国家で
帷幄機関である軍部が
君主に軍事事項を上奏すること
「帷」=垂れ幕
「幄」=引き幕
昔の陣営に幕をめぐらした
作戦場所
本陣や本営・軍部
先斬後奏(センザンコウソウ)
指示を受ける前に
問題を解決し
解決後に上の人に報告すること
規則を破った人を処罰し
その後
君主に報告すること
↓↑
奏+α
凑湊揍楱腠辏輳
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青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖
十三湊遺跡
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十三湖西側の十三地区
(五所川原市十三、十三湖大橋南部の日本海と湖に挟まれた地域)
「十三の砂山まつり」=8月14日〜16日の盆踊り
盆唄の「十三の砂山」
歌 詞
十三の〜砂ア山ナアアアヤ〜イ
米イなアらアよオかアろオナア
西の弁財衆ウウにア〜エ・・・弁済使=運漕(海運)の従事者
た〜だ〜つ〜ましよ
弁財衆にアナアアアヤ〜イ
↓↑
弁財衆にア西のナア
西の弁財衆ウウにア〜イ
た〜だアつ〜ま〜しよ ただつ〜ま〜しよ
↓↑
十三の砂山
米ならよかろ
西の弁財衆にただ積ましよ
弁財衆に西のな
西の弁財衆にただ積ましよ
二
つつじ椿は山でこそ咲くが
今は十三船のともに咲く
十三船の今はな
今は十三船のいともに咲く
三
笠を忘れた敦賀屋の宿さ
西が曇れば思い出す
曇れば西がな
西が曇れば思い出す
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地域名「十三」は、語源はアイヌ語の「トー・サム(湖畔)」・・・?
十三の川が流入する湖に由来
アイヌ語で「川尻の湖」
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13=12+1
子(12)→丑(1)→寅卯辰巳午未申酉戌亥→子(12)→丑(13)
牛=ウシ=宇志=大人=主=あるじ・・・紐(ひも)
12使徒+キリスト+天主(ゼウス・ZEUS=是碓・是臼⇔是ウシ)
12使徒+キリスト+マリア
ヘブライ語「ミリアム」
ギリシア語「マリアム」
『コーラン』「マルヤム(聖母マリア)」第19章
マリヤ・マグダレナ(MARY MAGDALENE)
マグダラの「マリア(羅語 Maria Magdalena)」
馬利亞・瑪利亞・瑪麗亞・瑪莉・瑪麗
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イエス=移鼠(大秦景教流行中国碑)・・・移動するネズミ
781年(唐代 建中二年)
「伊斯」が建立
「景浄」が撰碑文
碑文
32行・毎行62字・計約1900字
書は
「呂秀巌」
「阿羅本」が景教を伝えた時に
唐の太宗(タイソウ)=李世民
第二代皇帝
高祖=李淵の次男)
が感激して
宰相の「房玄齢」に出迎えさせ
貞観十二年七月に
詔勅を賜ったこと
玄宗や
唐の武将
「郭子儀」・・・「郭務悰」とはダレ?
が
景教を保護したコトが記録されている
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1623年(天啓三年)or1625年(天啓5年)
に出土
明王朝末の
「ディアス(陽瑪諾)」
の
『唐景教碑頌正詮』の序に
「大明天啓三年」
ポルトガルのイエズス会士
「アルヴァロ・セメド(魯徳照)」
の
『支那通史』に記録
・・・12+1=13=丑=牛
=大人(宇志=宇宙の志)=主=あるじ
=一+人+人=一从(從 =従)
12使徒
ガリラヤの漁夫シモン(ペトロ)
アンデレ(ペトロの兄弟)
ヤコブ
ヨハネ(ヤコブの兄弟)
フィリポ
バルトロマイ
トマス
マタイ
ヤコブ(小ヤコブ)
タダイ
熱心党のシモン
イスカリオテのユダ
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13使徒=マグダラの「マリア(羅語 Maria Magdalena)」?
馬具妥覶の「馬利亞・瑪利亞・瑪麗亞・瑪莉・瑪麗」?
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戦国時代の
『廻船式目』に
「三津七湊」の一つとして
「奥州津軽十三湊」と記録
東北
「阿倍・安東」氏の拠点
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阿毘・・・安日彦(アビヒコ)・長髄彦(ナガスネヒコ)
阿毎=九州熊本王朝
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安東将軍・・・
夷蛮伝・倭国の条(宋書倭国伝)
兄の「興」が死亡
弟の「武」が王に立ち
「武」は
「使持節
都督倭
百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
七国諸軍事
安東
大将軍
倭国王」
と自称
唐の
六都護府は
太宗の時に
安東・安西
安南・安北
単于(ゼンウ)・北庭
の六ヶ所に設置
「安東」とは
「旧高句麗に安東都護府」・・・?
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唐
総章元年・(668年)9月・・・総ての章の元年
高句麗
「宝蔵王」二十七年・(668年)
高句麗滅亡
「安東」都護府設置
朝鮮半島北中から
満洲南に相当する
高句麗の旧領域・・・
「倭国の武王」は
「安東大将軍=高句麗領有権」
主張の王でもあった
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唐朝が
新羅の版図に設置した統治機関
「都督府」制度
唐が周辺の国々を征伐した後
征服した国に設置した統治制度
高句麗と百済が唐朝により滅亡し
旧高句麗に
「安東」都護府・・・安東「津軽」?
旧百済に
「熊津」都督府・・・九州「熊本」?
新羅に
「鶏林州」都督府・・・鶏・鷄・
・雞
を設置
朝鮮半島全域を
藩属国から
「羈縻州」・・・羈縻(きび)=羈は馬の面懸(おもがい)
縻は牛の鼻綱(はなづな)
馬や牛をつなぎ止めておくという意味
異民族地域を唐王朝の州県に組み込みながら
現地の異民族にその地の一定の統治権を分与し
懐柔・州をまとめて監視するための
都護府を置き
都護府の長官以下の官吏と
付属の軍隊は中央から派遣
へと変更
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南北国
唐
熊津・安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府676〜892・・・鶏・鷄・
・雞
阿輩雞彌 雞彌
安東都護府668〜756・・・?
渤海698〜926
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江戸時代前期までは「とさ」
後期以降は「じゅうさん(じふさん)」と読む
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