「退職届を写経しました」→達筆Twitter民「私も写経しました」→本物の住職「読んでみました」 ネットの連鎖に「心が浄化される」「私も写経しちゃおう」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6622755釈迦こと गौतम सिद्धार्थ Gautama Siddharthaの教えは仏滅後数百年は文字にされる事無く口伝えで後世に残った。尊い御教えを文字にすることは恐れ多いと弟子が考えた故とも言われる。
その後、時代を下るにしたがって異論異説が生じるようになり文字に残す必要が生じ産まれたのが経典である。経典を著す言葉として東南アジアなどに伝わるいわゆる南伝仏教ではパーリ語、いわゆる大乗仏教と言われる北伝仏教ではサンスクリット(梵語)が用いられた。
仏教が東方に伝播して中国に達した時、中国人は自らの言葉で仏典を学べるように翻訳した。これらが漢訳経典として今日に残る。
प्रज्ञापारमिताहृदय Prajnaparamitahrdaya般若心経
सुखावतीव्यूहः /sukhavati-vyuha無量寿経/阿弥陀経(原題が同じ)
सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Puṇḍarika Sutra妙法蓮華経(法華経)
たまたま中国に仏教が伝わったから漢訳経典が有るだけであり、本来は別に漢文でなくても何ら構わない。西に行っていたらギリシャ語、ラテン語、後には英訳仏訳もされて使われた事だろう。そもそも、サンスクリットと欧州の言葉は兄弟であり、中国語なんかよりもずっと馴染みが良い。(水の事を閼伽アカというのはサンスクリット由来でラテン語のaquaと同根、てな事を言う人が居るが、間違いである。サンスクリット語の水はapでこれは確かにaquaと同根であるが、閼伽の由来はarghaで価値ある物、要は聖水を著す言葉で水なら何でも良い訳ではなく、またaquaとの関連は見出せない)
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