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2021年06月27日12:22

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西村長官の脳裏に描いた虚像でしかない

■「五輪で陛下懸念」波紋広がる=政府、沈静化図る
(時事通信社 - 06月26日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6569114


結局西村の願望を語っているにすぎないのが困ったもんだ。
語ってはならない扱いであるなら述べてはならない。当たり前のことだ。

「忖度された被災者の意思」は不謹慎厨の「卑しさ」をそのままに表示することになる https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971654665&owner_id=65933753&full=1

を言い換えるならば、

西村長官のようなタイプには、わかりやすい外形的な特徴がある。
「首尾一貫性がない」。

例えば、イギリスの国家意思自体は、国益の最大化という意味では首尾一貫している。
彼らは、「こんなことをしたら、陛下が喜ぶかも知れない」と思って、走り回っている為に、動線には法則性がない。

何故ならば、彼らが「対象」と呼んでいるものは、彼らひとりひとりの頭の中に像を結んだ「幻想」でしかないから、となる。

「西村が『陛下』だと思っているもの」こそが、西村にとっての「陛下」でしかない。

「陛下」が直接こちらに「指示」を出しているなら、その指示は権威付けされ、どの施策も首尾一貫する。

対照的に、西村にとっての「陛下の欲望と推定されているもの」は誰によっても権威付けされない。
なぜなら、「言挙げされていない」欲望に焦点化しているのだから。

「いや、殿、その先はおっしゃいますな。
何、こちらはちゃんと飲み込んでおります。
ま、どうぞここは、この三太夫にお任せください」

これがその本懐といってもいい。

「みなまで言わずと」的制止のあとに「殿の意思」として推定されるのは、多くの場合、「三太夫の抑圧された欲望」である。
三太夫は「私が殿の立場だったら、きっとこう考えるだろう」ということを推定する。

彼は、相手の欲望を読み取っていると思っている当のそのときに、「自分の欲望」を語る。

「せこい」やつが対象の意思を想定すると、対象は「せこい性格」を持ったものとして観念される。

西村が「陛下の意思だと思っているもの」は、それぞれの
「もし自分が陛下だったら、へこへこへつらってくる人間に向かって何を要求するか?」
という自問への答えの部分でしかない。
ここまで、「そういうこと」と書いてきたのは言わずもがな「忖度」となる。

即ち「忖度された陛下の意思」は西村の「卑しさ」をそのままに表示することになる。


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