mixiユーザー(id:5019671)

2021年06月10日20:38

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副詞の種類 情態副詞/程度副詞/陳述副詞

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【25】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979086327&owner_id=5019671

mixi日記2021年06月10日から

 あんまりこういう大きな枠組みの話はしないようにしている。中途半端な知識で書いても意味がない気がするもんで。
 中途半端なことを承知で書いたら、案の定、念仏コメントが炸裂した。
【「程度副詞」の話 質問へのコメント 念仏は疲れる】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12679657654.html
 趣旨はわからなくはないが、出典が不明なので、まともなことが書いてあるのかSF文法なのかもわからない。どんなデマが書かれているのか不明だから、無意味に難解な念仏をがんばって解読する気になんかならない。
 行きがかり上、さらっとまとめておく。他のサイトの引用を中心にするのが得策だろう。
 副詞は、「状態副詞(様態副詞)」「程度副詞」「陳述副詞」に大別される。

●状態副詞(様態副詞)
https://yousei.arc-academy.net/manbow/index.php/term/detail/653
===========引用開始
副詞の中で主に動詞を修飾して、その動詞の示す動きや状態の質・様子を表す副詞を「情態副詞」、または「様態副詞」という。。情態副詞は「ゆっくり/のんびり/さっさと/堂々と/平然と/ガタンと/がっくり(と)」などが例として挙げられるが、「ガタンと」のような擬音語や「がっくり(と)」のような擬態語が多く含まれる。
===========引用終了

●程度副詞
https://yousei.arc-academy.net/manbow/index.php/index_result_list/tag/%E3%81%A6
===========引用開始
動詞の示す動きや状態の程度、および形容詞の示す性質や状態の程度を表す副詞。「かなり努力した」「ずいぶん登った」「きのうの試験はとても難しかった」など。この他、「ずっと昔の話だ」「もっと右」のように名詞を限定するものもある。また、例外的に「の」を伴って連体修飾句になるものや、判定詞「だ」を伴って述語になるものもある。「ちょっとのがまん」「もうちょっとだ」 
===========引用終了

●陳述副詞
https://yousei.arc-academy.net/manbow/index.php/term/detail/833
===========引用開始
話し手の態度・気持ち・取り上げ方などを表す副詞。述語を修飾することでは一般の副詞と同じだが、意味・内容の点から見ると、陳述副詞は、文の客観的な内容部分(コト)にかかるのではなく、コトに対する認め方やムードなど述語の陳述的な意味を補足・強調するのである。「どうぞ、こちらへいらしてください」「どうやら風邪をひいたらしい」「あいにく主人がいないものですから」などの下線部分が陳述副詞である。 
===========引用終了

 相当かみ砕いた書き方だけど、これで日本語学習者はわかるのだろうか。
 疑問点がいろいろある。
 もっとかみ砕いた例として、下記も参照する。
 このサイトがどこまで信用できるかは未知数。
【日本語教育能力検定試験まとめ】
https://nihongokyoiku-shiken.com/summary-of-adverbs/
===========引用開始
■「情態副詞」
情態副詞(じょうたいふくし)は、動詞を修飾し、その動作を詳しく説明する副詞です。「様態副詞」ともいいます。
例:
「ひらひら(と)」「ころころ(と)」「ゆっくり(と)」「すぐ(に)」「こっそり(と)」「たちまち」「さっと」

■「程度副詞」
程度副詞(ていどふくし)は、物事の程度を表す副詞です。量や比較を表すものもあります。
例:
「かなり」「もっと」「よほど」「たいそう」「大いに」「すべて」「ちょっと」「ごく」「やや」「最も」「もう」「だんだん」「きわめて」「いっそう」

■「陳述副詞」
陳述副詞(ちんじゅつふくし)は、話し手の態度や気持ちを表す副詞です。
例:
「もし〜なら(仮定)」「まるで〜のように(たとえ)」「たぶん〜だろう(推量)」「どうか〜ください(願い)」「なぜ〜か(疑問)」「断だんじて〜ない(否定)」
===========引用終了

 頼みの庭先生のサイトも。このテーマでは少し弱い気がする。
https://niwasaburoo.amebaownd.com/posts/5732201/

 なんとなくわかった気はするけど、複数のカテゴリーにまたがるメンドーなヤツがいる。
 たとえば「ずっと」。
 下記で本質坊主が、「程度副詞」と居丈高に決めつけているが、違うのでは。
【程度副詞の「程度」について 「かなり」は「けっこう」はどちらの程度が著しい?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12379867.html
===========引用開始
>【ずっと】遠い昔のお話です。
>それから【ずっと】勤めています。
 ひとつ目の「ずっと」は「程度副詞」だろう。ふたつ目の「ずっと」は??
 やっぱこの書き方じゃ何もわからない。

ふたつ目の「ずっと」も当然、「勤めている」の程度を表す<程度副詞>、つまり属性表現の語です。

結局、質問者は<副詞>とは何か、<程度副詞><陳述副詞>とは何かが全く理解できていませんね!
===========引用終了
 
 辞書をひく。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8/#jn-118810
===========引用開始
出典:デジタル大辞泉(小学館)

ずっ‐と の解説
[副]

1 ほかのものと比べてかけ離れているさま。段違いに。はるかに。「このほうがずっと大きい」「それよりずっと以前の話だ」「駅は学校のずっと先にある」
2 同じ状況が長く続いているさま。その間じゅう。「友だちのことでずっと悩んでいる」「夏休みはずっと家にいた」
3 ある範囲内に、残す所なく動作を及ぼすさま。くまなく。隅から隅まで。「広い校内をずっと探しまわる」「町じゅうをずっと見まわる」
4 ためらわずに、また、とどこおらずに動作をするさま。ずいと。「さあ、ずっとお通りください」
===========引用終了
〈【ずっと】遠い昔〉は辞書の「1」で、程度副詞。
〈【ずっと】勤めています〉は辞書の「2」で情態副詞なのでは。
 なんで人の話をちゃんと聞かないのかね。まったく。
 まぁ、「どちらも程度副詞」と主張するなら、逆らう気はない。大きな問題ではないし、不毛な定義ごっこになりそうだから。
【●●たちの宴】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12676491412.html

 こういう融通無碍な副詞がどれくらいあるのかは知らない。だからあまり深入りしたくない。
 ただ、こういう分類が、説明のために有効なことがありそう。
 ↑で本質坊主が下記のコメントをしている。「陳述副詞」と「呼応副詞・陳述副詞」はどう違うのか、などと細かいことはスルーしましょう。
===========引用開始
小池清治『日本語はどんな言語か』(ちくま新書;1994)に、<「全然」についての「迷信」>があります。ここから、少し引用しておきます。なんら、「ビミョーな話」ではありません。

 言葉についての「迷信」は少なくない。
「全然」は打消し表現と呼応した形でしか用いない。今の若者は「全然、暇だ。」などと言って、日本語を濫している。嘆かわしいかぎりである。
 右の意見は、「日本語の濫れ」が話題になると必ず言及される「迷信」である。
 ところで、志賀直哉の名作『暗夜行路』には次の一文がある。

 a  しかし、僕ももうニ三日で【全然暇になる】から、さうしたら、僕の方から出やう。

「小説の神様」、志賀直哉の日本語である。『暗夜行路』には次のような「全然」もある。

 b もともと結婚の問題は【全然僕に任せる】といふ愛子の言葉をそのままに僕が実行して、よくも相談もせずに、大体の約束を決めてしまったのが悪かったが……

 この「全然」も、打消し表現と呼応しないものである。打消し表現と呼応せず、「まったく」の意で、状態を修飾する「全然」を情態副詞の「全然」という。情態副詞の「全然」を使用しているのは志賀直哉ばかりではない。近代文学黎明期の二大文豪、森鴎外、夏目漱石も、この「全然」を使用している。

 c 妻を迎えて一家団欒の楽しみを得ようとして、【「全然」失敗した】博士も、 (鴎外『半日』)
 d 自己の講義のうちに【「全然」埋没してゐる】。(漱石『三四郎』)

漱石の弟子、芥川龍之介も負けてはいない。

 e これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、【全然】、自分の意志に支配されてゐるといふことを意識した。 (芥川『羅生門』)

 漱石は、次のような「全然」の使い方もしている。

 f 一体生徒が【「全然」悪いです】。 (漱石『坊つちやん』)

 これは「悪い」という形容詞の程度を示すもので、程度副詞の「全然」という。程度副詞の「全然」は形容詞、形容動詞を修飾し、多くは、「無感覚・無関係・無頓着」など「無…」の構成を持つ語や、「別・違う・だめ」など打消し的意義を内包する語の程度を強める働きをしている。

 g が、不幸にして近江屋平吉には、【「全然」さういう意味が通じなかった】ものらしい。 (芥川『戯作三昧』)

 この「全然」が、よく言われる、打消し表現と呼応する「全然」である。呼応副詞・陳述副詞という。
「全然」にはこのように三つの用法がある。明治・大正期では呼応副詞・陳述副詞の「全然」は少数派であり、時代が現在に近づくと多数派を形成する。多数派であるが、「絶対的正しさ」を獲得しているわけではない。「情態副詞→程度副詞→呼応副詞・陳述副詞」、のように「全然」は用法を拡大してきたのである。
 言語は時代とともに変化する。一定の状態に固定しているのではない。「全然」も例外ではない。右のような事実を無視して、「絶対的正しさ」を主張するときに「迷信」が生まれる。
===========引用終了

 どこまで正確な引用なのかは不明だけど、一応信用しよう。まっとうな書籍の丸写しなんで、念仏コメントよりは信頼できそう。
 これを読むと、「全然」は「情態副詞→程度副詞→呼応副詞・陳述副詞」と用法を拡大してきたらしい。
「呼応副詞」になると表現に制約ができるから、それは「拡大」ではない気もするが……。
「全然」は元々は(否定表現とは呼応しない)「情態副詞」だったらしい。この指摘は各所で見た。
 それが「程度副詞」としても使われ、やがては「呼応副詞・陳述副詞」としても使われるようになった。
 それがどうねじ曲がったか、「呼応副詞・陳述副詞」のイメージが強くなり、必ず否定表現を伴うとされてしまった。小堀杏奴とNHKの仕業とも言われる。
【「全然」「まったく」「とても」Yahoo!知恵袋 総集編】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12337373324.html

【小堀杏奴 みんなでニホンGO 全然】の検索結果。
https://www.google.com/search?q=%E5%B0%8F%E5%A0%80%E6%9D%8F%E5%A5%B4+%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%A7%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3GO+%E5%85%A8%E7%84%B6&rlz=1C5CHFA_enJP933JP935&oq=%E5%B0%8F%E5%A0%80%E6%9D%8F%E5%A5%B4+%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%A7%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3GO+%E5%85%A8%E7%84%B6&aqs=chrome..69i57.1000j0j4&sourceid=chrome&ie=UTF-8

 世間の風潮としては、長らく「全然」は必ず否定表現を伴うとされていた(「呼応副詞・陳述副詞」のイメージ)。
 でもこの何十年くらいに、若い世代が「全然いい」という「程度副詞」的な使い方をするようになった。
 この適否が取りざたされているところに、「そもそも……」と「情態副詞」の用法を持ち出す人が出てきた。あとはグチャグチャ。
 個人的には、「呼応副詞・陳述副詞」的な用法しか使わない。
 だってウカツに使うとうるさい人がダメって言うから。

 ただ、すでに質問サイトに書いたように、小池清治氏の説は30年近く前のもの。
 現代の「全然大丈夫」とか「全然OK」なんて話は出てこない。どちらも「情態副詞」ってことになるんだろうが。
 ついでに書くと小池氏の著書に出てくる「程度副詞」の例は「全然悪い」。「全然いい」がOKとは思えない。
 解説は以下のとおり。
===========引用開始
 これは「悪い」という形容詞の程度を示すもので、程度副詞の「全然」という。程度副詞の「全然」は形容詞、形容動詞を修飾し、多くは、「無感覚・無関係・無頓着」など「無…」の構成を持つ語や、「別・違う・だめ」など打消し的意義を内包する語の程度を強める働きをしている。
===========引用終了
 こういう書き方をするもんなんですね。
 当方は以前下記のように書いた。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12337373324.html
===========引用開始
 個人的な語感では、〈(イ)肯定表現と呼応して、それを強調する。自分の言うことにうそや誇張のないことを示す。本当に。実に。〉の用法には異和感がある。
「まったくけしからん」とか「まったくくだらない」が許容できるのは、形は肯定形だけど意味が否定的だからだろう。「まったく寒い」「まったくおもしろい」「まったくきれい」などの肯定的な使い方は相当ヘン。「まったく大丈夫」がヘンなのもそのせいだろう。
「まったく大丈夫」は特殊で、たぶん一般には許容されている。「大丈夫=問題ない」のニュアンスが強いので、肯定形なのに否定形のニュアンスを含んでいる気がする(なんのこっちゃ)。「全然大丈夫」が受け入れられている理由は、こうとでも考えないと納得がいかない。
 これが「まったくすばらしい」だとアリの気がする。大絶賛だと(ア)に近づくからだろうか。
 同じように否定的なのに「まったくダメだ」はアリで「まったくヘンだ」はヘンに感じる。
 おそらく、「まったくダメ」は「全面的にダメ」のニュアンスが強いからOKなのだろう(「とてもダメ」にはしにくい)。「まったくヘン」は「とてもヘン」のニュアンスが強いから×なのだろう。
===========引用終了

 ということは、「まったく」も「呼応副詞・陳述副詞」と「情態副詞」の両方の用法があるってことなんだろう。
 まだまだありそうだな。
「とても」「ちょっと」あたりもそうらしいけど、詳細は省略。
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