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2021年05月09日08:08

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日本のラスタファリ、ムーブメントmixi日記

日本のラスタファリ・ムーブメントmixi日記
2009年01月12日22:24

 現在ジャマイカでラスタファリを研究している京都大学の研究者の質問への回答です。懐かしいあの時代を久しぶりに思い出しました。

<質問1に関する補足>
1980年代中期の情報の一部はヒロさんのHP、津田塾大学の紀要で分かるのですが、私が教えていただきたいのは、次のようなことです
原宿トレンチタウンを経営されていた当時の、ムーブメントのあり方と、各地での展開。
例えば、どのような方たちがムーブメントの中にいたのか。
当時と比べると現在どのような変化が起きているように感じられるのか(人のあり方、ムーブメントの特徴の変化など)。

原宿トレンチタウンを始める一番大きなきっかけは、やはり、ボブ・マーリイの死でした。当時は、今でもかもしれませんが、ボブのメッセージを真剣に受け取る人は見受けられず、ただ新奇なダンス音楽程度ののりでクラブで踊っているだけという、僕にとっては、印象でした。レゲエも夏には町に流れるけど、寒くなると影を潜める、それだけの音楽でした。僕は、英語ができるということもあり、また「レゲエ・ブラッドライン」を読んでいるので、ジャマイカのレゲエ・ミュージシャンたちの差別に対する憤りや奴隷の苦痛を耐え忍んできた先祖たちへの憤怒の気持ちが理解できました。その中でボブのメッセージは特に僕の心に突き刺さりました。特に1981年5月11日の彼の死に衝撃を受けました。僕が彼と同じ年、近い月の生まれということも、彼を身近に感じる原因だったのでしょう。

 日比谷公会堂であったお別れ会で、涙を流し続けながら、心の中で(僕も何かをしなければいけない)という想いに捉われたのです。その結果、彼等レゲエ・ミュージシャンたちを生み出したジャマイカやアフリカの黒人文化に触れることの出来る場をつくることが重要との思いから店を始めました。当時は「何これ?」って馬鹿にする奴も多い、まだレゲエもラスタ・ムーブメントもほとんどゼロに近い存在の時代でした。

 だから日本のレゲエの事始は、まず先端的にレゲエに感化された人たちが、横の連繋なしに、独自に店を始めたり、いろいろなことに情熱を傾けたりしていました。

最近亡くなった、松本で「香家」(カヤ)という中華料理店の経営者、阿久津さんは70年代後半に世田谷区の豪徳寺で「GAP」という、主に、ブリテッシュ・レゲエのスナックをやっていました。彼が僕の、レゲエの、師匠です。彼に渡した5本の空テープに色々なレゲエ・アーティストの作品を録音してもらったことから、僕の広大無辺のレゲエ世界の旅が始まったのです。

そういう人たちの代表的存在として、吉祥寺でジャマイカ盤レコード・ショップ「ナッティドレッド」を経営した、ボブ・マーリイを呼んだ、東芝EMIの三好さんや店長の山本緑さん、そして当時中学生ながら、トップクラスのレゲエ・シンガーだったPJ。彼等のファミリーの一人だった(気がする)菅野君はボブの全曲の翻訳を、レコードを聞きながら、完成させ自費出版した偉人です。そういう多くの人たちが礎(いしずえ)となって、日本にレゲエが根付いていったのです。

しかし、僕が見るところでは、80年代にはラスタファリ・ムーブメントといえるものは無かったと思います。僕自身そっちの方向の流れを生み出そうと、小説「ラスタマン・バイブレーション」を出版しました。この本が、日本にラスタファリアンを生み出す大きなきっかけになったことは間違いないと思います。
 原宿トレンチタウンの最後の時代、1995年以降の時代に店に出現した連中(金持ちの息子たちで、アメリカで高校生活を送った)が、必死にラスタファリアンになりたがっていたことが、或る意味、画期的でした。僕から見ると、ただガンジャにはまって、「ジャー・ラスタファライ」と唱えるだけの馬鹿どもでしたが、それでも彼等が日本の若者達にラスタファリを広げていったことは間違いないでしょう。ただ正しく彼等を導くグルのような存在に欠けていることが、ラスタファリアン・ムーブメントを偏(かたよ)ったものにしていると思います。その辺がこれからの課題なのでしょう。

マダム エマニエル2009年01月13日 03:54
ヒロさんが取り組もうとしている課題って
もの凄く奥が深くて大変な事だと思うけど
今の日本にとって、必要な事だと思う。

70年代にレゲエが日本に入ってきて
夏にふさわしい音楽ジャンルのひとつとして
受け入れられて流行して、
ラスタカラーのファッションとかドレッドとかが
レゲエに付随したものとして流行していって、
そういうものを通じて、ラスタファリズムに
関心を持っていった日本人も多かったと思う。
いろんな入り口があって当然だもの。
因みに、私が惹かれたのはレゲエの音楽と
ドレッドロックの男です。

「ラスタ」っていうと、一般的には
レゲエ音楽、ドレッドヘア、ガンジャが3点セットの
お決まりみたいに思われるけど、一言でなかなか言い表せない。
それが、日本での理解度、普及を妨げた一番の障壁に
なっていたのではないかと思います。

この三点セットはアフリカでも同じです。
ドレッドロック、ガンジャは世間から白い目で見られます。
アフリカでもラスタファリズムは、寛容には受け入れられていません。
ドレッドで入社面接に行ったら、まず採用されない。

いつか、Mixiのコミュで、「ラスタ」を漢字1文字で
表すとしたら?って書き込みしたら、たくさんの人が
かきこしてくれたけど、各自が、自分の受け止め方での
漢字で表して、それぞれが違っていた。

日本人には、レゲエを生んだジャマイカや黒人の
苦悩や怒り、貧困の苦しさ、社会への不満等
アフリカ回帰の思想は、理解しづらいと思うし
敢えてそれを理解しなくてもいいと思う。
でも、レゲエミュージックが伝えるメッセージは伝わってくる。
真実を伝えている音楽だから。

ラスタの漢字1文字でね、「道」って書いた人がいた。
ブラックラスタは、「Truth」と言った。
私は「魂」と書いた。

日本人には武士道、やくざにも仁侠道とか、女には貞節とか、
人が守らなければならない「道」があった。
その「道」が戦後の教育で、だんだん日本人の意識から
薄れていってしまっている。

誰の中にも自分自身の中に魂の声がある。
人間が人として誠の道を歩んで生きていく事
それがラスタファリズムが目指すところだと思うし
私が出会ってきたラスタマンは、そう生きようと
努力しているので、とっても優しい。
人にも動物にも自然にも。
それがラスタマンの魅力です。

ラスタファリズムは、ガンジャを吸うことでも、ラスタカラーの
ものを身にまとって「ジャーラスタファーライ」って叫ぶことでも
なんでもないものね。

ヒロさんがされた決断はジャーガイダンス。
応援します。頑張ってね。

RasNobu4202009年01月13日 07:41
菅野さんのボブの詩を和訳した、緑色の本、四谷にあったレゲエショップで買いましたよ.懐かしいなぁ.

オレも、やらなきゃならないミッションがいっぱいあるから、mixiで、住んでるラスベガスで、ラスタ・ムーブメントを続けますよ.

今日は、ラスベガスのレゲエパイオニア、StanRankinTの店でレゲエのオーディションがあるということで来るように言われてます.
The 忍 JAH RastamanのVIBES放ってきます.
Bless up


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コメント

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