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2021年05月08日13:11

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ファスナーのYKK 大震災機に富山回帰 黒部は技術の総本山

ファスナーのYKK 大震災機に富山回帰 黒部は技術の総本山
毎日新聞 2021/05/08 12:00
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さまざまな種類のファスナー=富山県黒部市で2021年4月23日午後2時43分、砂押健太撮影コピーライト 毎日新聞 提供 さまざまな種類のファスナー=富山県黒部市で2021年4月23日午後2時43分、砂押健太撮影
 日ごろ身に着ける衣類やかばんなどに幅広く使われるファスナー。その多くには「YKK」の文字が刻まれているはずだ。米国の主要ジーンズメーカーをはじめ、さまざまな用途に製品が使われる世界有数のファスナーメーカー。近年、創業者ゆかりの地、富山県へ管理部門など本社機能の一部を東京から移転した。背景には戦争や震災などに直面し、事業の継続を懸けて富山とのつながりを強化してきた歴史がある。

 北アルプス・立山連峰に近い同県黒部市の水田地帯のど真ん中にあるYKKの主力工場・黒部事業所。記者は富山へ赴任して1年あまり。同社が県内に工場を持つことは知っていたが、見学施設に並ぶ多種多様なファスナーを見ると、知らないことの連続だった。

宇宙服やオイルフェンスにも使われ

 日用の衣類だけでなく、米スペースシャトルの宇宙飛行士が着用した宇宙服など特殊な用途のファスナーも並ぶ。北陸新幹線の客席用ヘッドレストの高さ調節にもファスナーの原理が応用される。

 さらに海面に流出した油を回収するオイルフェンスをつなぎ合わせる共通規格にもファスナーを採用。漁網の結び目や開閉部をファスナーに置き換えることで、作業の効率化にもつながるという。

 YKKの財務・経理部に所属する本石柊斗さん(24)は2019年の入社当時から黒部事業所で働く。埼玉県出身だが、「職場の自席からは工場の建屋越しに山が見える。最近は山がきれいに見え、毎日見ていても飽きない」と環境が気に入っている様子だ。

魚津市出身の創業者・吉田忠雄氏

 富山とYKKの縁は創業者、吉田忠雄氏(1908〜93)が魚津市出身であることにちなむ。吉田氏は上京後の34年からファスナーの加工・販売などを手がけていたが、45年3月の東京大空襲で工場を失い、疎開先の魚津で戦後に工場を再開したことが発端だ。

 55年には近隣の黒部市から誘致を受けて工場を新設。「お客さんのいるところに出て行き、そばで作って届ける」との考え方で生産拠点を増やした結果、グループ会社も含め世界72の国と地域で事業を展開するほどに成長した。しかし、今も国内のファスナー製造拠点は黒部に集中する。

 一般にファスナーは服などの開閉部に縫い付ける「テープ」▽開閉部をかみ合わせる金属や樹脂製の「務歯(むし)」(エレメント)▽エレメントをかみ合わせて開閉する「スライダー」――の3要素で成り立つ。

 世界中に展開するファスナー工場で高い品質を保つため、製造機械はほぼ全て黒部で自社開発する。スライダーは溶かした金属を型に流し込んで作るが、開閉時に引っかからないよう、金型はマイクロメートル単位の高い精度が求められる。社内では黒部を「技術の総本山」と呼び習わすほどだ。

「十分果たせなかった」と機能分担

 世界的企業となったYKKが再び、富山へ回帰したきっかけは2011年の東日本大震災だ。グループ企業の工場や営業所などが被災地の東北各地にあったが、指示や支援の機能を担う役割を本社のある東京から十分に果たせなかった苦い経験があった。

 震災直後から災害など有事に備える事業継続計画(BCP)の見直しに着手し、製造開発の重要拠点である黒部に管理機能を移すなど、本社機能の一部移転を決め、国内の製造・開発拠点を集約化した。

 具体的には、もの作りと企業経営の相乗効果を狙い、「東京にあるべき機能」と「富山にあるべき機能」とを整理。技術者と密接に協議する必要がある知的財産部門の一部など、16年4月までに230人が首都圏から黒部へと異動するなど、富山との縁はより強固となった。

 黒部事業所内には見学施設「YKKセンターパーク」を設け、世界的な企業に成長した技術の根幹を黒部で開発した歴史を伝える。グループ会社で運営を担当する水島悟司さん(56)は「子供にも分かりやすく紹介している。ぜひご家族で来ていただきたい」と話す。【砂押健太】
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