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2021年05月01日10:45

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仏教コミュの「出定後語」について

仏教コミュの「出定後語」についてのコメントをメモ(記録)と致します。

柱書:

「出定後語」

フリクラさんの記述内容

2021年04月24日 09:38

富永仲基(1715年〜1746年)。天才的仏教学者。
日本で初めて大乗非仏説論を立てるが当時の仏教界からは当然受け入れられなかった。

長らく世に出なかった仲基の著書「出定後語」。
「加上説」の論法で経典を整理してゆく手法は何事にも捉われない独創的なものである。
例えば、「八識論」の解釈。
釈尊は六識(眼耳鼻舌身意)を立てるが、のちに七識(末那識)、八識(阿頼耶識 ālaya-vijñāna)と「加上」されていくとある。
九識(阿摩羅識 amala-vijñāna)については「玄奘はこれを認めない」と詳しい。
さらに十識(乾栗陀耶識 hṛdaya-vijñāna)まで言及しているには驚く。
大乗非仏説は若干32歳で亡くなった仲基の優れた研究成果である。
(追記:日本の仏教は大乗仏教である故に非仏説となる)



[24] モリオバッハ

2021年05月01日 10:20

フリクラさん、皆様、おはようございます。

フリクラさん、富永 仲基について、教えて戴きありがとうございました。

今まで富永仲基について、知らなっかったため、32歳の生涯を診て、私と同じ様な思想観、思考観に興味を持ちました。

富永仲基(1715年〜1746年)は、私がクラシック音楽家として一番大好きなヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750年)と同じ時代に生き、古代中国の音楽から日本の雅楽に至るまでの音律の変遷をたどり、20歳代の時の著作『楽律考』があることが1937年に発見されたとの様相で、益々、
興味が湧いてきた次第です。

私自身、高校生時代(1963〜)年から、立正大学附属高校で、必須科目として、「日蓮上人の生涯」を1年間、「法華経」を2年間、マスターしました。

また、同時期に、近所のプロテスタント教会(東京都墨田区の東駒形教会)のKKS(高校生のための聖書研究会)に3年間通い続け、バイブル(旧約聖書と新約聖書)をマスターした次第です。

私は、幼少の頃から理系人の思考法で、クラシック音楽とオーディオ、鉄道について、探究して参りました。

何事も、現場観察を基に、様々な事象を検証してきたのです。

富永仲基も、種々の比較実証実験を介して、検証したきたのであれば、感心です。

私も高校生時代から、法華経について、バイブルについて、思考法が間違っていて、可笑しいことを、法華経の担当先生(校長・日蓮宗の高僧)や教会の牧師や長老さん達に伝えてきた次第です。

この世で、お釈迦様(2600年前)やイエス様(2000年前)が、本当に存在していたのであれば、存在していたことを証明する証拠資料・証拠物件(甲第一号証)を提示して欲しいことを校長先生や牧師に言いましたよ!!

校長や牧師は、躊躇して、頭を抱えながら、そのような証拠は、一切ありませんと明言されました。

このことが、宗教にのめり込んだ瞬間となりました。

仏陀の言葉(寄せ集めのスッタニパータ)やバイブルの巻末の奥付を診ても、書誌的事項が何一つも掲載・表示されいませんよね!!

サラリーマン時代、28年間、特許(知的財産)侵害訴訟事件に携わってきて、出願前に公知・公用・文献公知(特許法第29条規定)を主張するために、証拠文献(物件)の奥付の開示が、重要なポイントでした。

また、国立国会図書館や日比谷図書館、中央図書館の受け入れ印(スタンプ)に、年月日が刻印されていれば、証明になり得たのです。

人類史上、お釈迦様やイエス様が存在していた証拠資料や物件もなく、特許管理(知的財産管理)を28年間従事していて、2000年前の当時の学者が、創作物として、聖典や教典(神話物語)を描き、恰も、人類史上、お釈迦様やイエス様が、存在しているように、誤認混同(勘違い)させるように、記述された歴史書です。

ここに、宗教の絡繰りがあるのです。

歴史学(世界史・日本史)ほど、いい加減な学問はないことを、若人時代からアピールしてきた次第です。

人類史上は、勝ち負けの戦争の繰り返しで、勝者が、過去記述された事象を勝手に書き換えてしまうのですから。

史実を精査すれば、データーのねつ造、改ざん、書き換えは、今に始まったことではなく、昔々から存在していたことが判明出来るのです。

日本の各地の寺院に、お釈迦様の骨と言われた仏舎利が多々あります。

各仏舎利に、骨が存在すれば、DNA鑑定で、判明出来ますが、全ての骨のDNA鑑定で、一致したとしても、お釈迦様が存在した証拠物件とはなり得ないのです。

私は、DNAの鑑定で、全て異なると推察しているのです。

玄奘法師にしても、卑弥呼にしても、聖徳太子にしても、この世に存在していた明確な証拠資料(物件)が、何一つもありません。

八識論、十識論の観は、面白過ぎです。

仏教での十界思想(地獄・餓鬼〜菩薩・仏)やキリスト教の十戒思想にも通じる観です。

仏教での10の数は、全てを表現し、キリスト教の12の数も、全てを表現しているのです。

お釈迦様の10人弟子、イエス様の12人弟子の開示(表示)です。

お釈迦様やイエス様は、人間一人ひとりの精神界(魂・心・気持ち)の「真心」(持って生まれた清い心)を表し、各弟子達は、人間一人ひとりの「邪心」(邪気・邪鬼・ワガママ:大人になるにつれて、他人を騙したり、罵ったりする心)を表していることに気づければ、世界中のどの神話物語も、「真心」と「邪心」の葛藤劇を演じてるとして診得てきます。

富永仲基(1715年〜1746年)も32年の生涯で、これらの事象に気づけたか否か判りませんが?

宗教と音楽を共通する者として、ご教授して戴き、感謝の念で溢れています。

如何でしょうか?

感謝感激です。



参考:

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富永 仲基(とみなが なかもと、正徳5年(1715年) - 延享3年8月28日(1746年10月12日)は、江戸時代大坂の哲学者、町人学者、思想史家。懐徳堂の学風である合理主義・無鬼神論[1]の立場に立ち、儒教・仏教・神道を実証的に研究した。彼の学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なものといわれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E4%BB%B2%E5%9F%BA


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