選挙の度に、低い投票率が問題になるニャ。
あれこれと理屈や理由を並べ立てて、棄権や白紙投票する人が多いからですよね。
投票を呼び掛けるあの手この手が繰り出されるが、どれも効果は今一つです。
でも考えて見てニャ。
投票すると言う行為は、選択の自由を行使する行動ニャ。
棄権や白紙投票もまた、選択の自由を行使した結果の行動なのニャ。
だったら、提示する選択肢は考え直す必要があるでしょう。
投票を呼び掛けるから、投票しないと言う選択肢も出てきてしまうのニャ。
だっだら、自尊心に訴えるしかないでしょう。
投票という行為に、ステータスシンボル的なイメージを与えるのニャね。
投票しないと言う選択肢は、自尊心を損なうと印象付けるのです。
それには科学的な裏付けが、要るニャ。
投票しないと言う選択肢は、科学的に馬鹿げていると印象付けるのニャ。
意見を述べる能力は人の特権だ、これに異論を唱えられる人は果たしているのかニャ。
意見を述べる能力を用いないと言う選択は、人の特権の行使を投げ捨てるのと同じだと言われて異論を唱える人はいるのかニャ。
棄権や白紙は、意見を述べる能力と言う特権を使わないのと同じ選択、違うかニャ。
人として生まれた特権使わないなんて実にもったいない、そう言われて誰が反論するでしょう。
棄権や白紙は、意見を述べる能力と言う人の特権を使わない愚かな選択でしょう。
あなたは、それがわかないような愚かな人達の仲間かニャ。
だったら、ちゃんと投票しようニャ。
そう言われて、私はそれでも棄権や白紙投票すると答える人には、なんといったらよいでしょう。
どうしてでしょうかと、丁寧にたずねたらどうニャ。
入れたいところが見当たらないと、返事が来たらどうしましょう。
あなたが立候補になってはいかがでしょう、と勧めたらどうかニャ。
それをためらうなら、では、せめてあなたの気持ちや考えに少しでも近い候補をえらばれたらどうでしょうと、返したらどうかニャ。
消去法で最後に残った候補に入れるのはいかがでしょう、と聞きましょうか。
候補者を絞りながら自分の気持ちや考えもまとまるのではないでしょうか、と聞きましょうか。
最後まで相手の自尊心を尊重して議論を進めて、納得してもらえるように話を繋げましょう。
そうなると逆に問われるのは、私達の思考力と忍耐力ではないのかニャ。
どう思うかニャ。
私の一票で何が出来る、と言う人が多いですよね。
だがね、あなたの一票で当選か落選か、左右されることだってあるのニャよ。
あなたの一票で、政治から去って欲しい議員が落選することだってあるのニャよ。
それでもあなたは、棄権や白紙投票する方を選ぶのかニャ。
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