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2021年04月15日18:02

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あやしい絵展 前期

東京国立近代美術館で開催中のあやしい絵展に行きました。

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あやしい絵展公式HP↓
https://ayashiie2021.jp/

今回、何が凄いって、甲斐庄楠音の絵が沢山出展される!東京でこんなに楠音の絵が沢山観られることなどまずない。京都画壇の人だし。
私には「この人、魔界に住んでいるのだろうな」と思える人が何人かいる。作家だったら赤江瀑。画家だったら甲斐庄楠音。

ネットから日時予約チケットを買ったのだが、私が行った時は、私以外、皆普通のチケットを当日買っていた。後から来た人が先に入っているので、ちょっとズルくね?と思い、「少し早めに着いたんですケド…。」と係り員さんに訊いたら、「あ、今日は空いてるんで入っていいですよ。」と言われ、早めに入れてもらえました。どうやら土・日は1時間並びで混むらしい。てか、この美術展、そんなに混むの?え?皆、耽美ニストなの?何?!

一口にあやしいって言っても、そのイメージは多岐にわたる。ざっくり「あやしい」と纏めた美術展と思った方が良いかも。私が好きな耽美系も結構あったし。そして、音声ガイドが素晴らしかった!声優の平川大輔氏がナビを担当してるのだが、おまけに邦枝完二の『おせん』の朗読が入ってて、これが、まぁ、素晴らしい!なんと艶っぽいおせんちゃん。これを男性の声でやったのは大正解!女方のようになるので、倒錯的になるんだよ。なので、妖しさが10倍増し。私、音声ガイドを聴いて、スタンディングオベーションをしたくなったのなんて初めてよ!
てか、国近美に、平川氏のファンいない?これをやらせたいが為に、平川氏にナビ頼まなかった?(笑)

あやしい絵、そもそもどうして出来たかと言えば、明治に入ると西洋の技術や思潮が入って来て、リアリズムを求めた結果…というコトもあるのだとか。(作品の写真撮影はOKの物もあるので、写真があるものは載せてます)

まず会場に入ると、麗しの安本亀八の『白瀧姫』がお出迎え。
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人間そっくりに模した生人形。白瀧姫は織姫のモデル。織姫神社から布に包まれ発見されたらしいのだが、これ、薄暗い神社から発見されたら怖かったろうな…。スッと微笑む口元。今にも動きそう…否、きっと、美術館に誰もいなくなった頃、彼女は静かに会場内を歩くと思う。

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月岡芳年『魁題百撰相 鈴木孫市』戊辰戦争の兵士を南北朝から江戸時代初期の人物の姿を借り描いたもの。芳年は実際上野の戦争で、遺体を見て描いたとか。血の描写に目がいきがちだが、芳年の凄さは、構図の恰好良さだといつも思う。

幕末は、一揆や飢饉や洪水や地震や疫病や、そんなコトも多く、日々の不安を忘れる為に、こういう絵も流行った。てか、19世紀末って、耽美頽廃が西洋でも流行る。混迷した時代とマッチするんでしょうね。

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同じく芳年『美男水滸伝 高木午之助』

河鍋暁斎『地獄極楽図』中央に閻魔。時計周りに火車、釜茹での責め苦、地蔵菩薩の救済等が描かれる。右上に脱衣婆に服を剥される亡者。火車の中にも焼かれる亡者。浄玻璃鏡には生前の悪行が映され、亡者は驚く。閻魔の横の官吏がギョロ目でキョットーンとした顔で面白かった。

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藤島武二 『音楽六題』私にはこれの何処があやしい絵か分からなかったケド(^_^;)、表現的に、ちょっと山本タカト氏っぽいのかな?とは思った。表情とかね。

日清戦争前後、文学において人間性の解放、個人の自由な感情を表現したものが出て来る。これが浪漫主義の流れに繋がる。表現者は表面的なものばかりではなく、感情、欲望、内なるモノに向いて行く。愛の欲望や死の恐れ等、そういった内なるものへ。

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田中恭吉『冬蟲夏草』人の体から花が生まれる。人は今にも息絶えそうなのに、花はなんと活き活きしていることか!人の生命を吸って咲く花。それは、若くして結核で亡くなった恭吉の作品たちなのかも。
私にとって、恭吉さんは、萩原朔太郎(私、大好き)の『月に吠える』の装丁やった人。死の恐怖と生への渇望が絵に現れていると解説にあった。

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エドワード・バーン=ジョーンズ『フラワーブック もつれた愛』美しい絵だが、良く観ると、女性は手首を繋がれている。愛に雁字搦めなのか?

神話の世界を描くのは青木繁。お久しぶりの『大穴牟知命』。キサガイヒメが削った貝殻の粉をウムガイヒメが乳のように水に溶き、焼け死んだ大穴牟知命の体に塗り蘇らせるという神話の一場面。中央に裸体の男性。ウムガイヒメは、乳を出し、何か気配を感じたのか、ハッとした表情でこちらを見る。ウムガイヒメのモデルは、青木の恋人福田たねさん。神話でもモデルは身近な人物へ。天皇中心の神話から個人の内面へ。
この絵、観る度どうしても「え?!乳を直接噴射するんですか?ウムガイヒメ?!」となるのは私だけ?

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同じく青木の『黄泉比良坂』水中のような黄泉の国。女達が男(イザナギ)を追って行く。私、これを初めて見た時、「ファンタン=ラ・トゥールの絵みたい。」って思ったっけなぁ。ソフトフォーカスかかったような人物達。

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同じく青木『«わだつみのいろこの宮»下絵』豊玉毘売と侍女。泡のたつ水中に立つ2人。青木は良く泡のような水泡を描くのだが、彼にとって海は生命の源だったんでしょうかね。泡は生命誕生の象徴なのかも。

異界との境。谷崎や鏡花のような幻想小説もこの頃出て来る。

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『日本挿絵画集』より橘小夢「高野聖」高野聖は、泉鏡花の小説ね。裸の僧侶と女。どうやら水浴しているらしい。周りには猿や蛙。実はこの女は異界のモノ。周りの動物たちは、彼女の色香に迷いここに来て、彼女に動物に変えられた男性たち。
因みに、小夢と書いて“さゆめ”と読みます。男性よ。

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同じく小夢の『高野聖』。馬と全裸美女なので、ちょっとコダイヴァ夫人の絵っぽいケドね。でも良く観ると、馬のヤニさがったエロ顔に爆笑。あ、こりゃ、この馬はエロ男だ!と分かる仕掛け。

鏑木清方の『高野聖』の絵看板もあった。水辺に僧侶と女。蝙蝠が後ろに飛び、僧侶もフッと顔を上げる。こちらは清方なので、美麗だが小夢ほどのエロさはないかな。

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谷崎潤一郎『人魚の嘆き』の口絵。描いたのは水島爾保布。ビアズリーの影響を受けてると言われていて、私もそう思うケド、私、ビアズリー苦手なんだケド、爾保布の絵は好きなんだ。
因みに解説に、酒を飲み干した人魚の凄惨な苦笑いは、ワイルドの『サロメ』の挿絵のサロメから着想を得たとあった。で、横にビアズリーのサロメの絵も一緒に展示してあった。
因みに人魚を買った貴公子、結果、海に帰りたがる人魚を返してあげるんだよね。良い奴じゃんて思う。

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月岡芳年『和漢百物語 清姫』安珍清姫伝説を元にした絵。安珍に嘘つかれた清姫は帰って来ない美形の坊さん安珍を追う!その執念で清姫は身を蛇体に変える。おそらくこれは、その一歩手前。オドロの髪を口に咥え「あな、悔しや安珍様!」と声が聴こえてきそう。でも、怖さより、裏切られた者の悲しみや切なさの方を感じる。私、この絵のグリーティングカード持ってるの。カードには「お慕いしています」と書いてある。怖いは!よくコレ作ったな、町田市国際版画美術館!(笑)

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この美術展、ところどころに都都逸がある。清姫の横にはコレ。諦められぬと諦めた。

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木村斯光 『清姫』芳年の清姫は、あくまで物語の中の清姫だが、こちらは生々しく、本当に生身がそこにいるみたい。怖さで言ったら芳年のよりこっちの方が怖い!顔はニヤリと笑い、着物も乱れて物狂いなのだろう。ああ、そこまで安珍のことを。人を愛する業ですね。

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橘小夢『刺青』元ネタは谷崎潤一郎の耽美小説。暗闇に伏す少女の背中には大きな蜘蛛の刺青。行燈の上にも蜘蛛の巣。これは彼女の心情の表れか?単眼鏡で観ると、蜘蛛の毛の生え方の細かさにひっくり返りそうになる。
内容は、刺青師清吉は、究極の肌に刺青を彫りたくて、ついに美麗な肌の少女を見つける。清吉は怯える彼女に悪女の絵をつきつけ「これがオマエの本性だ。」と脅し、薬で眠らせ蜘蛛の絵を背中に彫る。目覚めた少女、さぞ嘆くかと思えば、彼女は蜘蛛の絵を早く見せとくれと請い、こう言うのだ。「お前さんの命を貰った代わりに私はさぞ美しくなったろうね。」
谷崎らしい耽美小説ですね。きっとこの後、男は、この女に“食われて”しまうのだろう。彼女は美しき絡新婦になったのだな。

これ読んで、「女の子にそんなコトするの酷い〜。男ヴァージョンないの〜」と思ったアナタ!安心して下さい!あります。赤江瀑の『雪華葬刺し』が男性ヴァージョンだから!ただ、赤江氏の方は男色チックで、父と息子の近親相姦チックな心情が出て来るから、それがダメだとダメかもだが。因みにこれ、映画化されてて主役が京本政樹って言う(^_^;)

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橘小夢『水妖』これ、写真撮影OKだったコトに驚いた。個人蔵なのに良いの?上を向く妖しげな人魚、周りの珊瑚やヒトデが妙にエロい。記憶違いでなければ、この絵、アニメ『賭ケグルイ』で、生徒会長室に飾ってた絵の1枚。これと地獄太夫の絵が出て来る。何故に小夢の絵?と思ったが、あのアニメには、この湿り気があって、エロく妖しい世界の絵が確かに似合う。

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高畠華宵『奇しき歌声』雑誌口絵。これも人魚。歌声とあるので、セイレーンなんでしょうね。岩場に座り髪を梳く美少女人魚。
そもそも人魚は日本では凶兆を示す妖怪だった。男を破滅させるファムファタルイメージは西洋文学からの影響。

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橘小夢『水魔』背中に河童がしがみ付く全裸美女。確かこれ、小夢さんの初期の作品で、エロ過ぎて発禁になっちゃったんだよね。今の感覚だと確かにエロイが、発禁にするほどか?となるケド当時じゃねえ…。この美女は河童に攫われたんだろうか?

次は表面的な美への抵抗。着飾った表面的な美しさではなく、感情や意志の表現を追求。執拗な肉感の描写を通して人間の心の計り知れない奥底を感じる。

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島成園 無題。黒い着物に白い肌の美女。しかし顔には痣がある。痣のある女性の運命と世を呪う気持ちを描いたと成園は言ったとか。絵の女性は成園自身だが、実際に成園には顔に痣はなかったとか。
当時は女性画家に対する風当たりが強く、この絵も、適齢期になっても独身だった成園に対して「婿養子募集の広告」と揶揄した人もいて、痣はその人達への反発だったのだろうと。でも、絵の中の彼女は静かだ。睨むわけではなく、静かにこちらに問いかける。彼女自身のコトを。
今回、私が1番心に刺さったのはこの絵。絵自体は知ってたケド、生で観ると全然違うは。

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甲斐庄楠音『畜生塚』秀次の妾と侍女たち。秀吉によって三条橋の袂で処刑される。見せしめとして殺された彼女達の遺骸は塚に埋められた。それを畜生塚と言う。まずは子供たちが殺され、次は自分達の番。彼女達は嘆き悲しみ、そして諦める。裸体の上に服を描いているので、完成品では服を着せるつもりだったのだろう。肉体表現がミケランジェロのようと解説にあった。
とにかく凄い。右側の女性達はまだ嘆き悲しんでいるが、左に進むにつれ、彼女達の諦めが見て取れる。こんなに辛い屏風絵もないよ、楠音。

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同じく楠音『横櫛』。切られお富の絵なんだけど。何でも義姉が歌舞伎の切られお富の一場面を真似て演じていて、それを観て楠音は「これは描ける!」と思い描いたらしい。お富の妙に妖しげな微笑みの元ネタは実はモナリザ。
これ、岩下志麻子さんの小説『ぼっけえきょうてえ』の表紙絵に使われた絵ね。余談だが、岩下さん、赤江瀑の小説好きで、赤江に宛てたエッセイが素晴らしいのだ。「赤江の小説を読まなければ、私は、無邪気に『職業は小説家です』と言えたものを…」という一文が凄い。
この絵のお富さん。もう、完全に人ではない何かになっちゃったよね。目も虚ろで足先や指先は妙に紅い。後期には、何かになる前のまだ人間なお富さんが展示されるよ。

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楠音『舞ふ』。何かに憑りつかれた様に踊ってる女性。

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楠音『幻覚(踊る女)』これに幻覚というタイトル付けるのも何か怖いが。赤い服の女性がやはり何かに憑りつかれた様に踊ってる。赤い着物なので、炎に包まれて踊っているようにも見える。後ろのシルエットの手はきっと魔界からの手だよ!
因みに、楠音さんて、自分で女装して、その姿をモデルに絵に描くコトもあるのだが、私はこの絵は、まさに女装してる楠音本人に見えた。
楠音の画集に楠音さんの女装写真も載っているんだけど、どれも綺麗じゃないの!ごめん。でも、そうなのよ!生々しくて妖しくて。楠音さんが彼氏さん(パートナーさん?)と一緒に撮った写真もあるんだけど、それも綺麗ではないの。彼氏さんは普通の表情なのだが、楠音さんが怪しげでニヤリって感じで。最初観た時「好きな人と一緒に写真撮るんだから、もっと綺麗に女装すれば良いのに。」と思ったのだが、違うんですね。彼は綺麗になりたかったんじゃない。魔になりたかったんじゃ…と。以来私は、彼が描く女性は、皆彼が「なりたかった女性」なのだろう…と思ってる。

甲斐庄楠音って名前。おそらく、映画好きな人は知ってるよね?溝口健二監督等の美術を担当。『雨月物語』もそう。『ミッドサマー』というホラー映画を撮ったアリ・アスター監督が、『雨月物語』が好きで、ミッドサマーも雨月〜の「怖さの中に美がある」という部分を借りたらしい。その記事読んだ時、「その美麗な美術の担当は、甲斐庄楠音です!」と記事に向かい叫んだ私(笑)。アリ・アスターさん、甲斐庄の絵観たら好きになるかな?
さらに蛇足。その溝口監督に若かりし頃、弟子になりたいと申し出た青年がいた。それが作家の赤江瀑。何か繋がるね。

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岡本神草『仮面を持てる女』般若の面を持つ含み笑いの美女。何か企んでるのかも。

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稲垣仲静『太夫』台詞を付けるとすると「ヒャッハー!」という感じの濃すぎる太夫。でも、これ、本人は妖しげに描いたワケではなく、リアルに描いたらこうなっちゃったパターンよな。御舟の舞妓の絵の不気味さに近いかも。

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北野恒富「朝のクラブ歯磨」ポスター。これは着物を着た楚々とした美女だが、恒富は、悪魔派と呼ばれる妖しげな美女も良く描いた。
この頃、印刷技術が向上し、精緻な表現が可能になり、ポスターや絵葉書によって美人のイメージが定着していった。それに抵抗し、そういう表面的ではない内面の美を追求した絵を描き、結果妖しい絵も生まれたと。

あやしい絵に女性が多い理由として、男性中心の社会において、排除されやすい女性…その女性が異界の住人になりやすかったというのもあるらしい。そして、エログロナンセンス雑誌により新しい女性のイメージがマスコミにより大量に流布。雑誌の作り手が読者に「こういう少女や美女が好みでしょ?」と提示していったのも理由になるそうな。
作り手側にも男性の方が多かったろうしね。なので、今観ると「偏ってるよな」にもなるよ。

最後が一途と狂気。明治以降はあくまで人物の描写によって内面を掘り下げることに力点が置かれた。ようは、背景に描かれるものや迫力ある構図に頼り過ぎないというコトらしい。江戸期の錦絵は、派手なポーズや構図、背景が描かれるコトが多いもんね。

橘小夢『嫉妬』囲碁をする二人の美女。彼女達は側室と本妻なのだが、囲碁をしつつ寝てしまうと彼女達の髪の毛は蛇になってお互い睨みあう…。表面上は仲良しの彼女達。でも、心中は嫉妬で一杯だったのだ。『刈萱道心』が元ネタ。

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同じ作者で同じテーマ。こちらは囲碁ではなく、双六だよね?2人は寝ているが、髪はうねうねと中空を舞い生き物のよう。これも普段は仲の良い妻と側室だが、寝てしまって本音が出ると嫉妬塗れ…というコトね。これを見て、刈萱道心は出家する。

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この絵の横にあった都都逸がこれ。ホントにな!

大正昭和のエログロナンセンス。社会の状況は異なるが、時代の転換期に刺激的な視覚体験に注目が集まるのは幕末に似ると解説にあった。情勢不安定になると流行るってコトでしょうかね。

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小村雪岱『お傳地獄』挿絵。御殿女中に桜散らしの刺青を彫るお傳。刺師の櫓の次郎は、お傳の肌に魅了され、己の魂を刷り込む覚悟で刺青を彫る。谷崎の刺青と同じパターンだね。魂削って彫物彫っちゃう。お傳は実在した有名な毒婦。講談の題材等になった。

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お傳は、好いた男浪之助の為に自分に近づく男を次々殺してしまう。雪岱の女性は綺麗だけどエロくはない。どうやら雪岱は、母親のイメージで女性を描いていたらしい。

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同じく雪岱『おせん 傘』おせんは、江戸時代に実際にいた水茶屋の娘。今でいうAKBのアイドルみたいなもの。邦枝完二の『おせん』の挿絵。おせんは幼馴染で人気歌舞伎俳優の菊之丞が好き過ぎて、菊之丞の生人形を人形師に作らせる。その仕上がりを観に行った帰り、徳太郎と鉢合わせ。その場面。御高祖頭巾を被り、画面下、傘の間から見えているのがおせんちゃん。この絵のデザイン性の高さよ!見事。

音声ガイドでは、この生人形の菊之丞とおせんの逢引きの場面を平川氏が朗読してくれるのよー!これが凄く良い!!声優に興味ない人にも、これは聴いて欲しい。

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おせんのところにあった都都逸。

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高畠華宵『ばらの園』表紙絵。手紙を持つ薔薇園の少女。おそらく手紙はS関係にある「おねえさま」に宛てたものだろう。Sとはsisterの略で、精神的な同性愛関係と言えば良いですかね。大正期に流行った。当時は男女七歳にして席を同じゅうせずなので、若者の恋愛対象は同性になるんだな。

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同じく華宵『サロメ』。これは便箋の表紙。綺麗な便箋を使いおねえさまや妹に手紙を書くのが流行ったよ。

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同じく華宵。少女画報の表紙絵。アンニュイに上目使いでこちらを見る美少女。

1つ不満は、華宵の美少年の絵がなかったコト。音声ガイドでは「男性が好きになるような美少年も華宵は描いたよ。」と言ってくれるのに、展示にはない。女性で纏めたかったんだろうけど、これだと、当時は女性しか精神的同性愛がないみたい。寧ろ男の子の方に多いのに。それに、華宵は、美少年の絵の方が艶っぽいよ。

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山六郎『妖姫タマル』“女性”という雑誌から。この雑誌、女性解放運動の為の紙面づくりをしていたが、大正末期にはモダンで高級感に満ちた女性文芸誌になっていったそうな。

展示には、他に、ミュシャ等もありました。

お土産は、図録と、ポストカード4枚。そして、甲斐庄楠音の絵がグッズになるコトなどもうなかろうと思い、横櫛のマスクケースを購入。

前期は11日までで、現在は後期をやっています。後期も行こうと思ってます。
あやしい気分に浸りたい方は是非どうぞ。
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