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2021年04月12日10:17

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ポチとラッキイー30

通勤の通り道に仔犬が捨てられていた。黒いムク犬で、高いトラックの運転席から見ても可愛かった。最初の日は道端を歩いていた。二三日して青年に頭を撫ぜられているのを見た。それから四五日して、路肩に横たわっているのを見た。ぐっすり眠っているようで、愛らしい姿態だった。僕は思わずトラックを停め、降りて抱き上げようとした。
黒い仔犬は死んでいた。眼の所が空洞になっている。僕は息を呑んで、しばらく立ちつくした。
考えてみると、不思議なくらい哀れな動物たちと縁がある。雨や嵐の日に濡れ鼠でトボトボと路肩を歩く捨て犬たちの姿は忘れられない。配送する店の前で彷徨っていた黒いポインターはやせ衰えて、悲しそうな顔をしていた。仕事の帰り道、いつも通る踏み切りの傍でよく見かける茶色い老犬はひどい皮膚病に罹っていた。大部分の体毛が抜け落ち、皮膚は赤く爛れ、剥がれた皮膚の一部を引きずっている。生きているのが不思議なようにも見えた。しかし彼は僕の予想に反して、蘇ったゾンビのような姿でいつまでも生き続けた。
当時の仕事中に出会う犬たちは、運転席から見たり、荷物を運んでいる最中に気付いたりと、ただ眺めるだけで関わることの無い、言わばアンタッチャブルな存在だったが、一匹だけ触れ合うことのできたタッチャブルな犬がいた。
その犬は配送センターのすぐ傍の運送会社で番犬として飼われていた。暑い季節は仕事帰りに車を停めて、その運送会社の入り口にある自動販売機でよく冷たい缶コーヒーを買った。そしてすぐ傍に犬がいた。夜は番犬として不審人物に吠えるのだろうが、昼は誰が来ても無関心な顔をした柴犬系の雑種だった。忙しい毎日だったので、初めの頃はコーヒーを買うとすぐトラックに戻り、犬には「やあ」と声を掛けるくらいだった。
しかし何度も寄るうちに、その犬が繫がれっぱなしで散歩もして貰えず、ただ餌と水を与えられるだけの不幸な境遇にあることが分かった。犬小屋の周囲には新旧のウンチが散乱していた。缶コーヒーを手に受けて犬に遣ったりして仲良くなってから、或る日仰天したことがあった。コーヒーをお裾分けして頭を撫ぜるという何時もの日課が終わると、その犬が小屋の方に戻り何かを咥えてきた。短い棒状の物で自慢気に尻尾を振って僕に見せると、地面に置いてカリカリと食べ始めた。
「げ!ウンチだ!」
そう、彼の自慢の品は干乾びた自分の糞だった。
哀れに思った僕は、それから立ち寄るたびに我が家の愛犬ジョーの犬用ビスケットやビーフジャーキーをお八つにあげた。生まれて初めてのご馳走にありついた犬は、僕の来るのを心待ちするようになった。全てに無関心だったその犬が、トラックを停めた途端に門から飛び出して尻尾を振って熱烈歓迎だ。僕も喜ぶ彼を見るのが嬉しかった。
不幸な彼との蜜月関係はどれほど続いたのだろう?それほど長くはなかった気がする。半年位だったろうか?ある日トラックで通り過ぎて気が付いた。低いブロック塀越しに見えたのだが、犬小屋の辺りが自転車置き場になっていた。慌てて停めて見に行ったが、やはり犬も犬小屋も消えていた。
(三日前には元気だったのに。)
この会社に知り合いも無く、起きた現実を受け入れるしかなかった。ただ後悔したことが一つある。それは仮でも良いから彼に名前を付けてあげて、それで呼ぶ事だった。僕にとって彼が名無しの権兵衛でこの世を去ったのは、寂しい限りだった。
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