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2021年04月07日09:57

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トレンチタウンmixi日記


トレンチタウンmixi日記

昔々、世界の端の極東の、日本という国の、東京という大きな町の、原宿という若者のたまり場に「トレンチタウン」という小さな小さなお店がありました。

そこには世の中から爪弾きになった異様な風体の人々が、風に吹かれた枯葉のように集まってきました。その人たちに「レゲエ」と呼ばれる、ウンチャウンチャという、お経のようなサウンドをバックに異国の言葉が流れていました。その店を運営していたお兄さんは「ジャー・ヒロ」という変な名で皆に親しまれていました。ママ・ヨーコという奥さんも人気があり、二人で人気を競い合っていました。

ボブ・マーリイという南国の歌い手が、その異様な人たちに人気があるようで、彼の歌がよくお店から流れていました。カセットをがんがん鳴らしたスーパー・ジェリーという黒い肌の人が唄いながら店の前の路地に姿を現したり、遠く鹿児島から、また北海道から、店の噂を聞きつけてアイリーな人たちが来たり、ギターを抱えたジャー・ケイスケという人も店の前で唄ったりしました。オーガスタ・パブロという南国の黒い縄のような髪の人も来ました。アフリカのラスタ、ラス・ユージンも来ました。彼は「アフリカを三色の旗で統一する!」と叫び、ユガンダの内戦に参加して、死にました。ゼルダという女の子バンドのサヨコもチホも、ラフィンノーズというパンクバンドのチャーミーやドレッドのマルも、ブルーハーツのマーシーも顔を出していました。エルビス・コステロという変なロック親父も来ました。南正人も来ました。誰も彼も来ました。来ました。来ました。犬も遊びに来ました。猫も来ました。鳩も毎日餌を貰いに集まってきました。前のビルの嫌味な女に警察官を呼ばれたりもしました。

初めは建物の壁が赤、黄、緑のヘンテコな色使いの安っぽい店だったのが、或る日一日で太い竹が店の内外に貼りつけられて、まるで南国バリ島のお土産物屋さんのような雰囲気に一変しました。友人の協力で伊豆の山に太い孟宗竹を切り出してきたヒロさんに、この変わった店を愛しているミュージシャンたちが無償で協力してくれたのでした。店の前で大きな三色の旗をお客さんたちが描いていることもありました。北志賀の大きなレゲエの祭りに使うんだと、誰かが言っていました。店の近くから大型バスでお客さん達が祭りに参加したようでした。
店の前の路地で十月一日の開店記念日にはささやかなパーティが催されました。大雨の夜にはテントを張って、中で乾杯していました。

バブルの時代には、次々に店の周りのビルが立て直されました。所構わず停める工事の車やダンプに、ヒロさんは毎日のように怒って、怒鳴りつけていました。ついでに礼儀知らずの若者達にも怒っていました。路上駐車の車で埋もれた路地の奥にある店は「もう一時間も探しているのに見つからない」というお客さんからの悲鳴のような電話が珍しくない不思議な場所にありました。ヒロさんはそんなお客さんに「ここはバミューダ・トライアングルだからねえ」と励ましていました。
でも運良く辿り着くと別世界でした。コンクリートで固められた外の通りと対照的に、店の前は砂利道で、雑草が茂り、虫が飛び、ヒロさんは「原宿のチベット」と呼んで、悦に入っていました。大雨になると、木造二階建ての屋根から水が漏り、また店の前には大きな水溜りができて、ヒロさんは、当時洪水の多かったその国にちなみ「原宿のバングラデシュ」とも呼んでいました。

日本中のレゲエ・フアンが一つにまとまり、たいていの人たちが顔見知りで、皆兄弟姉妹のように睦みあうという、レゲエの黄金時代でした。誰もが、この幸せな時代が永遠に続くと信じていました。「トレンチタウンでは時間が止まっている」と言われたように、まるで永遠の時間の中を彷徨っているように店も続いていきました。

しかし人生に終わりがあり、世界に終わりがあり、宇宙にさえ終わりがあるように、或る日店はなくなってしまいました。それから何年も何年も店を訪ねてきた人たちが呆然と立ち尽くしていました。思わず泣いてしまう人もいました。

このようにして三色の旗が煌く神話の時代が終わりました。


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