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2021年04月04日09:08

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ポチとラッキイー24


その家には二年しか住まず、思い出も少ないのだが、もう一つ忘れられない事があった。その頃は仕事に一年中追い捲られて、近所の人たちと仲良くなる機会もなかったのだが、ある休みの日に外の植木鉢に水を遣っていると、私道を挟んだ向かいの家のご主人が表に出て、やはり植木鉢の水遣りを始めた。初対面だった。挨拶をして二言三言植木の話をした位でお互い家に戻った。温厚な初老の人物で、優しい物言いが印象的だった。
その翌日の夕方、仕事から帰ると向かいの家に葬式の花輪が並んでいた。妻に聞くと、その家のご主人が亡くなったと言う。僕は仰天した。昨日初めて会った人が今日亡くなるとは。まったく一期一会、諸行無常、万物流転とは、このことだ。僅かな触れ合いだったが、その親父さんの事は何故か忘れられない。
この家で暮らした頃は、職場でも博愛主義者として有名になり、怪我した小鳥などを押し付けられて往生したものだった。鳩が二羽と雀を一羽世話した。一羽の羽が折れた鳩だけが元気に飛び立ち、後の二羽は救えず庭に埋められた。
そして山に来ても、鳥たちとの縁は切れない。身近に鳥たちの囀る声が聞きたくて、どこに暮らしていても外に餌を置いていたのだが、山でも庭に餌台を設けて鳥たちを集めては、喜んでいる。猫のみゃー子が目の上のタンコブだが、鳥たちに気を付けてもらうしかない。とにかく生き物同士の交通整理が大変なのである。
ところで、山に来てあまり月日の経たない頃、短い間だったが、「鶏の時代」があった。そう、捨てられた鶏たちを世話していた時代だ。今から二年以上前の、まだ我が家にポチ一匹だけの呑気な頃の話だ。
或る日の午後、外に出ると道路を闊歩する一羽の鶏がいた。元気に歩き回り地面を突付き、食べ物を探している。離れて観察した。一羽、二羽と草叢から現れて、結局雄鶏四羽が近所を徘徊していると判明した。彼等は意気軒昂だが、どうも捨てられたようだ。妻も現れ、二人で「どうする?」と思案投げ首。
とにかく食事ぐらいはやろうよと、市販の餌を買い、水と共に提供することにした。庭に餌と水を置き、雄鶏たちを呼ぶと言葉が分かるように直ぐ来た。餓えていたのかガツガツ食べ、満腹すると傍の階段の手摺りにヒョイと飛び乗り、「コケコッコー」と絶叫した。これが夜討ち朝駆けのコケコッコ責めの始まりだった。朝の三時頃から思い出したように時々啼くのだ。僕たちは寝不足になるし、えらいものが迷い込んだと嘆く始末。
しかし鳴き声を除けば、なかなか楽しい連中だった。昼間はしょっちゅう庭で喧嘩しては、強さを競っていた。一番逞しいボスに挑戦しては蹴り飛ばされる雄鶏や、弱い同士で喧嘩する兄い達が追っかけたり逃げたり、「わーわー、ギャーギャー」と結構楽しそうにやっていた。喧嘩に飽きると、日光浴をしたり砂浴びして身繕いしたり草叢で虫探しに興じる。なかなか充実した生活振りと感心した。夜は木の枝に飛び上がり眠っていた。すべてが順調で彼等の平和が長く続くと思ったが、残念ながら希望的観測に過ぎなかった。
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