昨日は、チョッと用事があって、鹿沼市に行きました。
そのついでに、少し足を延ばして、栃木市の金崎の桜並木を見て来ました。
1925年(大正14年)、当時の皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として、
金崎の青年団によって植えられたものです。
遊歩道に、大人の背丈よりも低い枝がかぶさっていて面白いと思いました。
少し写真を撮って来ましたので、宜しければご覧ください。
http://photozou.jp/photo/album/2882708
昨日は、宇都宮市に聖火リレーが巡って来ました。
3月25日に福島県で開始された聖火リレーは、3日間福島県を巡回し、
28日に栃木県に入り、2日間県内を巡って、宇都宮市が県内の最後でした。
僕は、東京オリンピック・パラリンピックは
依然として開催出来ないと思っていますし、
もし開催しても、世界中の選手が参加する事は不可能だと思っています。
そこまでして、何故開催しようとするのか理解出来ないでいます。
人を集めるために著名人をランナーに起用しイベントも行うのに、
密を避けるために、来るなと言っている訳で、支離滅裂な感じがしています。
新型コロナウイルスの感染増が懸念されているこの時期に、
リレーを行うのはいかがなものかとも思っています。
しかし、我が家の近くを通る事でもありますし、
聖火リレーはどんなものかと興味もありましたので、行ってみる事にしました。
ミーハーと言われれば、正にその通りなのですが^^
何時頃、我が家の近くを通るのか、宇都宮市の予定をネットで確認しました。
その時、出発が「ミニセレブレーション」、
到着が「セレブレーション」となっていて、
何故日本語で表記しないのか気になりました。
何でも横文字で表記すれば、格好いいとの感覚なのでしょうが、
その感覚は既に古いもののような気がします。
宇都宮市役所を出発するのが午後7時10分、
昨日の最後である栃木県庁に到着するのが、午後8時3分の予定になっていました。
我が家を出たのが、午後6時45分頃でした。
昨日は暖かでしたから、
30分位は待ちながら、様子を見ても良いかなぁと思いました。
聖火リレーは大通りを一度JR宇都宮駅方向に東進して、
途中の交差点で折り返して西進します。
道路の反対側からですが、往復で見る事が出来ると思っていました。
大通りに着いて、人数が少ないのが意外でした。
平日の夜間と言う事もあるのでしょうね。
大通りでは、毎年の宮祭りや自転車のクリテリウムなどの時とは、
比べ物にならない少なさだと思いました。
更に、テロ対策なのでしょう、大通りに入る大きな通りには、
大型の車が通りを塞ぐように止めてありました。
しばらく待っていると、小型車が来て、
「もう少しでランナーが来ます。大声は控え、拍手で応援しましょう」と
注意していました。
そして少し間をおいて、大音量を出しながら、スポンサー企業の大型車両が来ました。
車両は「コンボイ」と呼ばれる宣伝用の改造車のようです。
荷台部分の上部分にディスクジョッキーが乗り込み、マイクで叫んでいました。
夜間なので、かなりの明るさのライトを点けていました。
丁度、ディズニーランドのパレードのような感じです。
順番が正確ではないかも知れませんが、
トヨタ自動車、日本生命、コカ・コーラ、NTTグループだったと思います。
とにかく五月蠅いと思いました。
自動車の周りでは、踊りを踊ったり物品を渡したりする人が付いています。
それらの人の収容用なのか大型バスも行列に加わっていました。
車のナンバーは、品川か越谷でした。
これから全国を回るのでしょうか?
かなりの費用を掛けていると思いました。
そして、ようやく聖火です。
ほとんど歩くのと同じスピードでやって来ました。
夜ですから、聖火の炎はみえ、結構綺麗でした。
しかし、企業の車が派手でしたから、目立たない感じはしました。
折り返して来て、反対側のランナーは、県内の経済団体の会長だったようです。
その人の区間だけ、関係者なのでしょう人が集まっていました。
僕は、1964年の聖火リレーを見た記憶があります。
凄い人でしたし、あっという間に目の前を通り過ぎたように覚えています。
調べてみたら、福島県から入った聖火は、3日間で栃木県を縦断し、
茨城県に向かっています。
当時の映像を見ると、聖火ランナーとともに大勢の随走者がいて、
多分全行程を走って繋いだのでしょう。
ランナーが手を振る事などはなく、生真面目に走っていた感じでした。
当然の事ですが、タレントなどは走っていません。
現在と全く社会情勢が違っていたなぁと改めて感じました。
【今日の一句】
プレゼント 期待している 倍返し
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