デパート勤務の方には、申し訳ありません。
私は、小さいころ親に連れられてデパートに行くのが、嫌でたまりませんでした。
空間が妙に白っちゃけていて、激しい寂寥感が漂っているので。
屋上の遊園地など、まっぴら御免です。嫌でたまりませんでした。自転車の乗り方を教えてくれたおじさんや、ウルトラセブンの描き方を教えてくれたお兄ちゃんの、千分の一も印象がないです。
大学生のころ、ある心霊現象好きの友人が、
「デパートを夜に警備員さんが巡回すると、金がなくていい服を買えなかった女の人の怨念が出る」と言っていました。
心霊現象を認めるかはともかく、この話は、納得できます。
なぜならば、デパートの品物は、金で交換でき、文化的ではないからこそ、執着を生むのであって、二度と出会えない山の中の窯で焼いた茶碗などを買いそびれてもお化けは出ないでしょうから。
やはり、キーワードは、平準化でしょう。
無難でそこそこいいものを消去法的に並べると。
だから、ぼくがサントーニの社長と話したことがある、池袋西武の靴売り場などは、閉店するデパートとは違うものだと思います。商品が、消去法的なものではないからです。
平準化すると、全ては、正札に換算されます。残るのは、むなしさだけです。そのむなしさが怨念に転嫁しても不思議ではありません。偏差値のように個別性を失い、序列だけが残るのですから。
少子化、不況、郊外店の台頭、エキュートなどの駅近ショッピングモールの台頭などの要素もありますが、
それ以上に、この業態は、役割を終えたと思います。
今、八十以上の人に聞くと、デパートへの信頼は、企業への倫理的な信頼だったようです。
街の時計屋で分解掃除をしてもらったら、機械をすり替えられた。(信じられない)
評判のわるい呉服屋で絹ものを仕立てたら、大島ではなく人絹だった。
土産に輪島という触れ込みの塗り箸を買ったら、すぐ剥げた。
…
という目にあい、「メーカー品しか信頼できない」「安物買いの銭失いだ」と、デパート以外を信頼しなくなったようです。ですから、私の老親などは、未だに気の張る相手へのお遣い物は、三越の包装紙です。
役割が終わったのでしょう。
■首都圏でも百貨店閉店=三越恵比寿とそごう川口
(時事通信社 - 02月28日 21:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6428895
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