バンドデシネの「RÉBÉTIKO」、作者のDavid Prudhommeの”はじめに(En préambule)”を訳してみました。
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はじめに
私は、ギリシア人ではないし、ましてミュージシャンでもなく、すでにタバコを吸わなくなってからかなりたつ。しかし、レベティコという名の音楽を見つけてから、その宇宙と、その音楽に栄養分を与える絶対自由の精神が私をとらえて離さないのである。
最初に私は、レベティコが、評判の悪い地区、監獄、アテネ、テサロニケのピレの港にある大麻窟の中で発展したというその境遇に関心をもった。
それから、私は彼らミュージシャン、レベット(レベティコを演奏する人)たち、つまりアウトサイダーであり逆境と亡命の兄弟たちの個性に魅了された。トルコとギリシャの島々の祖国喪失者たちは、スラム街の中で、大きな町の港が衰退したあとも生き残る。
20年代のギリシャで生まれたので、レベティコはそのテーマに関してタンゴ、ファドと比べられる。ときどき、ギリシャのブルースと呼ばれることがある。人は、目を閉じてトランス状態でレベティコを踊る。ダンサーは立ち上がり、召集兵のように、メロディの抑揚にあわせて、ゆっくりとその場で回転する。
人は、この音楽の中で、東洋と西洋の間の強いつながりを聞く。そこで、亡命者の苦しみ、港のロマンチシズム、夜遊びする人たちの彷徨、彼らの悲惨な恋を聞く。挫折とユーモア。
この音楽が生まれたときには、観客とミュージシャンたちは仲間同士だった…。のけものたちの間の、どん底の者たち、乱す者たちのこころを歌うこのざらついたもの…
理解しよう。
1936年に、国粋主義的な独裁者メタクサスはアテネにおいてその権力を確立し、そしてこれら歌うアウトサイダーたちを屈服させなければならないと決意した…
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(注)
タンゴは18世紀イベリア半島で発祥したダンス音楽、ファドは1820年代にポルトガルで生まれた民族歌謡。1920年代にはパリでタンゴが流行っていたみたいなので、このように書かれているのかな。ファドは知らないけど。
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