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2020年12月31日22:59

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天気の子

大晦日、周回遅れ映画報告です。
鬼滅で沸き立つ世間の流れを遠目に見ながら、天気の子を先日ようやく見ました、自宅で。
鬼滅も超見たいんですけどね。


さて。

もう映像ソフトが発売されてますし、積極的に見たい方はすでに見てると思われますので以下ネタバレ全開で進めます。
年始のテレビ放送を未見のまま迎えたい方はここでお引き取り下さい。


ということで、いきなりですが結末を含めてあらすじをつらつらと書いていきます。









…ちなみに自分はラストの大ネタについて知っている状態で見ました。
基本的にネタバレはしない方が良いとは思うのですが、特に今回のような予め『賛否が分かれる』と予め明言されているような場合、ネタバレしていたことでこの映画の持つ何かが目減りする、ということはないと思います。
冷静に見られてむしろ良かったのかなとも。

では行きます。






・どこかの離島から家出少年の帆高がフェリーに乗って上京。
・その際、甲板で海に落ちそうになったところを須賀(声:小栗旬)という男性に助けられる。
・異常気象の影響で長らく雨がふり続ける東京に到着。
・新宿のネカフェで寝泊まりしつつ職を探すがなかなか見つからない。
・歌舞伎町で一悶着ある中、モノホンの拳銃を拾ってしまう。
・ある日、マックで途方に暮れていると店員の女の子にビッグマックを内緒で差し出される。
・いよいよ万策尽き、フェリーを降りる際にもらった須賀の連絡先を頼りに転がり込む。
・アシスタントの夏美(声:本田翼)と須賀の仕事(雑誌・ムーへの記事の寄稿)を住み込みで手伝うことになる。
・ある時、いかがわしい系の仕事に連れ込まれそうな少女を助ける(その際に発砲)。
・少女はあの時ビッグマックをくれた女の子で、願うだけで晴れ空を呼べる「100%の晴れ女」の陽菜だった。
・弟の凪しか身寄りがない陽菜を助けるつもりで、帆高は晴れ女ビジネスを持ちかける。
・ビジネスは成功したが、仕事が立て込み過ぎたので中断を決める。
・最後の仕事を終えた夜、陽菜の身体の一部が透けていることを目の当たりにする。
・捜索願が出されている上に拳銃所持&発砲の嫌疑で帆高に警察の手が迫る。
・陽菜と凪も保護者無しでの生活を以前から問題視されており、近々児相の職員が保護に来ることを告げられる。
・須賀には未成年誘拐の疑いがかけられていたので、もう近付かないよう帆高を諭す。
・行き場を無くした帆高、陽菜、凪の3人はラブホテルに逃げ込み、そこで束の間の平穏を取り戻す。
・陽菜の力は古来より人身御供として捧げられてきたものであり、晴れの代償として陽菜の身体は消滅してしまうことを知らされる。
・翌朝、陽菜の姿はなく、そして帆高は警察に捕まってしまう。
・晴れを願い身を捧げた陽菜を取り戻そうと、帆高は警察の手を逃れ、陽菜が力を得た廃ビルの屋上にある祠を目指す。
・行手を阻む須賀と警察に説得されるも帆高は抵抗する(2度目の発砲)。
・凪と須賀の協力の末、遂に帆高は「空」から陽菜を奪い返す。
・その結果、東京は雨が降り続くこととなり都心は水没。
・2年半の保護観察処分を経た帆高は、力を失いながらも晴れを願う陽菜と再会し、天気の狂ったこの世界で共に生きていくことを決意する。


多少前後関係はズレてるかも知れませんがザッとこんなお話です。


周回遅れの感想を挙げるにあたり色んなレビューサイトをのぞいたのですが、主に話題に挙がる(ネガティブな意味で)ポイントが2つありました。


・拳銃のリアリティ
・帆高、自分勝手


この辺りについて思ったことを書いていきます。
まず前者から。


正直自分も拳銃にまつわる話しは上手くないと感じました。
あらすじを箇条書きしていて改めて感じたのですが、「天気操作とその代償」というこの物語の中核に対して拳銃のくだりは完全に別件なんですよね。
陽菜との逃避行を作り出すためだけにねじ込んだ感じがして、それがあまりに舞台装置然とし過ぎていて白々しいとさえ思えました。
しかも、これで逃避行の理由付けは出来たとしても2人の間には決定的な断絶が生まれてしまいます。

陽菜はどうやら本当に身寄りも無く、いわば「社会から追い出されてしまった」存在であり、その中で出来ることを模索しています。
一方帆高は事情はどうあれ帰る場所がありながら「逃げ出してきた」身。
そしてその過程で拳銃所持&発砲という結構な大事を起こしてしまった「追われる身」でもあります。
陽菜はあくまで児相に保護の目的で追われることになりますが(それが姉弟にとっての幸せでないとしても)、帆高が追われる理由とは明確な差があります。
終盤、2人(と凪)がともに夜の冷たい東京を逃げ回るシーンは胸を打つ展開のはずなのに、「いや、状況を悪化させてるのは帆高だろ」と、冷めた目で見られてしまうのは仕方がないと思います。


Q.愛にできることはまだあるかい?
A.出頭と自首


RADWIMPSの劇中歌に答えるならばこうなります。

発砲に込められた決意であったり覚悟であったり、または使えるものは何でも使ってとにかく現状を打破しようとする意志、それ自体は痛いほど分かるだけに、もっと上手い見せ方・進行のさせ方はなかったかなと、もったいないように思えてしまいます。
そもそも「歌舞伎町で拳銃を拾う」というイベント自体、ステレオタイプな歌舞伎町イメージ過ぎませんか?と。

根本的な解決になるかは分からないのですが、仮に最初に拳銃を拾うのが陽菜で、最初の発砲は「帆高を救うために咄嗟に撃った」ものとしたら、陽菜は人柱な上に追われる立場・帆高はそんな陽菜を救いたい巻き込まれ型主人公…って感じに役割が整理出来たんじゃないかな、と思います。
それが出来ていれば続く問題も少しは薄まったんじゃないかな、と。



で、2番目の「帆高、自分勝手問題」に移行しますが、上にも挙げたように陽菜の切羽詰まった状況に比べると帆高にはまだ甘えがあります。
その甘えに違和感だったり嫌悪感だったりを抱いたまま最後の選択を目の当たりにすると、まぁ好き勝手なことしてくれてんなぁ…となりますね。

振り返ってみると帆高は家出問題と銃刀法違反には終始目を向けず、「目の前の大切な人を救う」という大義名分の下、最後まで好きなことを好きなようにやっているだけでした。
保護観察処分という社会的に真っ当な(量刑が適当かは知りませんが)裁きを受ける以外に彼は特に何も失っていないし、責任を負わされることもありません。
一方、事故的に人柱とされてしまった陽菜は「生きたい」という当然の希望と背負いきれないほどの代償とを天秤にかけられ、選択を余儀なくされました。
最終的に帆高が陽菜をその天秤から引き摺り下ろした形になりましたが、水没した東京に対して帆高はあくまで間接的な関与しかしておらず、最後まで東京の命運を握っていたのは陽菜です。
身代わりになるでもなく、代償の肩代わりをするでもなく、責任を負わされることもなく、ともに手を添えてバルスと叫ぶこともない帆高は果たして陽菜の負った重みを本当に感じていたのでしょうか。
その辺がフォローされていないこともツッコミどころになってしまっている気がします。

3年後に東京で帆高と再会した須賀は「責任を感じる必要はない」といった許しの言葉を(彼なりの言葉で)投げかけますが、許しを与えるならば帆高が責任を痛感するために被害の大きさを知るシーンがセットで示されているべきだったと思います。
自分が見かけた意見の中では「ニュースで死者数を目にする」というのがありました。
自分なら…雨によって両親を失った女子中学生が幼い弟を連れて仕事を探すも門前払いにされるシーン…とか考えましたが意地悪過ぎるでしょうか。
そこまでしなくても、どれだけの人々が避難し、避難所生活を余儀なくされ、職を失い、そして亡くなってしまったのか…絵として描かなくても仄めかすだけでこの作品への負の印象は随分違ってたんじゃないかと思えてなりません。





…さて。

ここからは手のひらを返します。
ぶつくさ書いてはきましたが、私はこの映画が結構好きです。
少なくとも自分が見てきた新海誠作品の中では一番好きです(これ含めて3つしか見てないけど)。

まず、色々槍玉に上がりがちな帆高君について。
彼の言動は確かに問題だらけで、ウザい・ムカつく・勝手過ぎんだろ等言われてしまうのはまぁ分かります。
が、分別のついた高校生であればそもそも家出なんかしないし、そんな鬱屈の溜まった高校生のバックグラウンドや行動に正しさを求めるのは酷じゃないかな、とも思います。
問題はあるけど嫌いにはなれない奴っていませんかね?
自分の中ではそんな感じです。

インタビューで監督自身が語っているように、この映画は正しさを語っている物語ではありません。
未熟で世間知らずな勘違い野郎である、つまりは「ごく普通の高校生」が、「世界」と「愛する人」との二択をかけられ、その選択をする物語です。
世に100億人存在する「ごく普通の主人公」は大抵の場合が全然普通ではない(何かしら超抜きん出た才能や魅力の持ち主だったりしがち)のに対して、この映画では「間違って当然な人物」として男子高校生を主人公に設定したのだと自分は理解しました。
なので、帆高の正しくなさは前提条件みたいなもので、その正しくなさに対して糾弾するのは不倫ドラマに「不倫なんて不愉快なことやめろ!」と言うくらい不毛なことな気がします。




そしてここからが本題なのですが、帆高の最後の選択に対して「無責任だ!」とする声が一定数あると思います。
これも分かります。
この映画で描かれる水没した東京はカッコ付きの『東京』ではなく、非常にリアルなものとして描かれた我々の生活と地続きな東京です。
膨大なタイアップの賜物として劇中に出てくる名称は本当に存在するものばかりです。
マックも、バニラトラックも、薬の隆生堂もアパホテルも都営バスも全部本当にあるもので、その何もかもが水の底に沈んでしまいます。
東京を身近に感じる人なら尚のこと、1人の少年の色恋沙汰に巻き込まれてそんなことになったとすれば怒るのも当然です。
自分だって全然人ごとではありません。


ただ、一方でこうも思います。


帆高は何に対して責任を負わねばならないのか?

東京が沈んだのは帆高の責任なのか?

そもそも東京を沈めたのは誰だったのか?




陽菜は「止めなかった」だけで一滴たりとも雨を降らせてはいません。
帆高に至っては何もしていませんし何もできません。

言い方はアレですが、人柱という「誰かの命を犠牲にしたラッキーアイテム」があったけどそれが手に入らなかった・使われなかったというだけで、誰かが損をしたわけではなかった・誰も手を下してはいなかった…そう考えることは出来ないでしょうか。
だって雨は冒頭から既に降り続けていたわけですから、原因は全然別のところにあるはずです。
2人だけに責任を押し付けてしまうのは筋が通りません。

そしてこれは想像の話なのですが、恐らく陽菜がその身を犠牲にしていたとしても、回り回ってそのツケが後世に先送りされてしまっていたんじゃないかと思います。

「皆、なにかを踏みつけて生きているくせに。誰かの犠牲の上じゃないと生きられないくせに。」

小説版では帆高が周囲の嘲笑に対し、心の中で上記のような反抗の叫びを上げます(本編でこのセリフがあったかは忘れました)。
これは何も映画の中だけの話ではなく、日本でそれなりの生活をしていれば当然に突き刺さる言葉だと思います。
当たり前の日常を支えている犠牲に対して普段は目を向けていないのに、その犠牲の輪から逃れようとする者に対して「無責任だ!」とはさすがに言えないでしょう。
いや、現実には言葉にせずとも言ってしまっているも同然なのかも知れませんが、フィクションの中の出来事にくらいは理想的なスタンスでありたいじゃないですか。
少なくとも、もし人柱になるのが自分の家族なら「犠牲になるのなんてやめちゃえよ」…って、やっぱり言うと思うのですよ。
皆、そうじゃないのかな。



長くなり過ぎたのであとは良かったことをつらつらと。

RADWIMPSには元々大して興味なかったのですが、今回使われたどの歌もとても印象的でした。
見終えてすぐにサントラ2種をレンタルするくらいには大好きになりましたよ。

あと、劇中に出てくる大人キャラがとても魅力的でした。
須賀とリーゼント刑事が特に良かったです。

小栗旬と本田翼の声も凄く良かったですね。
そもそも「芸能人はアウト、声優は正義」という決めつけは、考え無しのキャスティングと同レベルに最悪だと思うのですがどうでしょう。

絵が綺麗なのは言わずもがなです。



というわけで、天気の子。
世間的には前作「君の名は」の方が好評価にあるようですが、個人的には今回の方が断然楽しめました。

群がるスポンサーを全て水の底に沈める思い切った&振り切ったラストもかなり好きです。

誰からも好かれる映画より、好き嫌いが分かれる映画の方が刺さるということでしょうか。



というわけで年内最後の滑り込み日記でした。
皆様良い年を。

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