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2020年12月10日08:12

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キリシタン紀行 森本季子ー304 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー17

四、教会誘致
●下柳瀬住民の欲したもの
 下柳瀬の識者たちがこの地に教会誘致を望んだ理由は幾つかあるとされる。その一つに道路問題を関係づける説がある。
 既述したように、明治二十二年の大水害まで、下柳瀬はその周辺集落の中心で交通の要所でもあった。それが、同年八月の大水害による地形の変化で、いっぺんに中心的位置を失ってしまった。後に通じた県道も下柳瀬を避けて、柿硲(かきさこ)峠の山越えで上山路へ行ってしまった。道に見離された下柳瀬は全く不便な、山路地方でも辺境と化してしまった。住民は昔を忘れかね、道のない生活にアキアキしていた。県道にバスが通じるようになっても下柳瀬には来ない。自分の足だけが頼りである。村の識者たちは長い間一にも二にも道路問題に取り組まねばならなかった。教会誘致が話題に出た時も「教会が出来たら、アメリカ人が道を作ってくれうだろう」と単純に考えた人もいたそうだ。彼らの頭には殿原の米軍戦没者慰霊碑があった。生活に直結する道路の開通をワラをもつかむ思いで願ったのだった。
 だが地区の指導者たちには別の、更に痛切な願いがあった。この集落全体の文化的向上を期待したのである。住民がこれまでのコンプレックスを脱し、生きがいと自信をもって下柳瀬に住むことが出来るため、という目的意識が強く作用した。「柳瀬のセタン子」と呼ばれて委縮し、学業にも体育にも十分力量を伸ばせない子供たち、嫁の来る手もないとそしられた青年たちに自信を取り戻させたい。村の人たちには精神的な依りどころと生きがいを与えたい。これが教会誘致に積極的に結び付いていった。
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