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2020年12月09日08:18

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キリシタン紀行 森本季子ー303 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー16

「コロンバン会」本部の記録によると、大島仙吉氏が夫人はぎのえさんと共に、グリナン師から受洗したのは、この除幕式の日である。はぎのえさんの妹、伊津江さんが大島家最初のキリスト者となってから二十七年が経過したことになる。その間に、神はまわりの土壌を耕し、この優れた種の発芽を準備された。そして、神の”時”が来たのである。大島夫妻の入信を誰よりも喜んだのは、幼きイエズス会修道女となっている娘の富士子さんだったろう。
 終戦後、大島仙吉氏としては、時機を見て再び和歌山市に戻るつもりだった。が、村人はどうしても彼を失いたくはなかった。大島氏は卓抜した医者であったばかりではなく、”温厚誠実”を人格化したような人柄であった。しかも龍神地方の出身である。人々は彼に、故郷に留まって戦後の村を助けて欲しいと、一団となって懇請した。これが仙吉氏を動かし、和歌山の地盤と地位を棄てる決心をさせた。
 当時無医村であった日高川の川下、下山路村・福井に移って診療所を開設した。
 「大島先生は”医は仁術”と心得ておられる、いわば、昔気質の方でした。医療福祉など無かった頃なので、困っている人からは医薬料もお受けになりません。穏やかで、しんから親切で、村の人はもう神様の次ぐらいに尊敬していました」
 古老たちは自分の身内の自慢をするように、なつかしげに私に語った。
 大島仙吉氏の故郷定住と福井移転が、龍神教会設立に深いかかわりを持つことになる。
 大阪教区に属している和歌山県の布教が、昭和二十三年(一九四八)田口芳五郎司教により、「聖コロンバン会」に委ねられることとなった。第一代地区長としてヨゼフ・オブライエン師が和歌山教会に赴任した。
 この頃、大島仙吉氏の義母、大島クラさんが九十二歳で逝去し、オブライエン師が葬儀執行のため福井に駆け付けた。自宅で行われたこのカトリックの葬式に、龍神地域一帯から大勢の人が参集した。大島家や仙吉の実家、吉村家の親せき縁者のほかに、患者として仙吉氏の世話になった人も多い。
 村人の尊敬する大島先生のキリスト教入信と、この葬儀は人々の心にカトリックへの強い関心を呼び起こさずにはおかなかった。
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