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2020年12月06日23:43

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11月に見た映画 寸評(8)

●『日本沈没2020 劇場編集版 シズマヌキボウ』(湯浅政明)
本作は、湯浅政明作品としては『DEVILMAN crybaby』に次ぐNetflix配信用のアニメ作品で、1クール全10話(各話25〜26分、最終回のみ32分)というのが本来の発表形態である。『DEVILMAN crybaby』は京都の出町座で全話一挙上映というイベントをしてくれたので私はノーカットで見ることができたが、今回の『日本沈没2020』は「劇場編集版」で、上映時間は151分。計算してみると配信版より112分も短く、かなり削られていることになる。なので、配信後、ネット上で話題にされているカルト教団コミュニティの大麻栽培の件りをはじめとするその周辺の場面や、後半のユーチューバー、カイトの性別問題などは編集版には出てこなかったように思う。それでいて鑑賞料金は、映画館で行われている割引制度が一切使えない1800円均一。非映画コンテンツ、ODS(=other digital stuff)扱いということか。正直、高いわ、短いわ、でちょっと見に行ったことを後悔した。まだ京都出町座の『DEVILMAN crybaby』の上映方法の方が良心的だったと思う(前半と後半に分け、別料金だったので、料金はもっと高かったが)。
というわけで、以下はあくまでも劇場編集版のレビューである。
まず小松左京の『日本沈没』が原作ということになっているけれど、本作はほとんどオリジナルといってもいいくらい改変されている。先行する2本の実写映画版では日本沈没を警告する学者や、国家存亡の危機に対処する政治家の視点から描かれていたように記憶しているが、今回はそういうのはほぼカット(一人だけ原作の登場人物が出てくるのみ)。代わりにごく普通の一般市民、それも一つの家族に絞り、彼らが沈没していく日本をさまよいながら、様々な人たちと出会うロードムービー式の物語にしている。
ただこの形にするとどうしても先行する他の映像作品がチラついてしまう。地震直後からの展開はノイタミナ枠で放送されたTVアニメ『東京マグネチュード8.0』を彷彿させるし、崩壊後の世界で怪しいコミュニティが生まれるという展開は『ゾンビランド:ダブルタップ』や『アイアムアヒーロー』にも見られた。人間どうしても似たような発想になってしまうのか。
また他にもパロディなのか何なのか『ポセイドンアドベンチャー』まんまそっくりのセリフと展開があったりもした。これはさすがに首を傾げた。
驚かされるのは、前半でわりとレギュラー的な位置の登場人物があっさりと、それも信じられない理由で、立て続けに命を落とすところ。それ以後はヒロインやその弟でも死ぬのではないかとドキドキしながら見ていた。そこは成功している。描写が容赦なくグロかったり、内容的にどうしても泣かせが入ってくるところもあるが、湯浅監督はラフタッチの絵柄と、クールと非情が入り混じったような演出でサクサク物語を進めるので陰湿さはほとんどない。こういうところはさすがだと思う。
それでも最後は感動的な結末が用意されている。これは1973年版の結末で世界中にバラバラに散った日本人たちがその後どうなったか、さらに先の未来を描いたといえる。コロナで延期になったが、本来開催されていたはずのオリンピックと絡めて、日本人とは何か、国籍とは何か、を最終的に問いかけているのである。
ただ湯浅政明監督といえば、やはり登場人物たちがふにゃふにゃと崩れたりする独特の動きが魅力であり、その本領が発揮されるのはどうしてもギャグやファンタジーといったジャンルのアニメになってしまう。それなのに今回はシリアスな登場人物たちのシリアスなドラマで、せっかくの作家性をわざわざ封じてしまっている。そのせいでおそらく湯浅監督の作風を知らない人たちから、作画崩壊だとか、予算がなかったとか言われているのは残念でならない。まあ好意的に考えれば、同じところに留まらない湯浅監督の挑戦作ともいえるわけだが、難しいところである。
<TOHOシネマズ梅田 スクリーン5 E−10にて鑑賞>

●『ウルフウォーカー』(トム・ムーア、ロス・スチュアート)
カートゥーンサルーンの作品は『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』を見て以来だが、それと比べて本作はかなり出来が落ちるのではないか。
『ソング・オブ〜』同様、本作もアイルランドの伝説から材を取っている。しかし物語が森林開発をする人間と、自然を守ろうとするウルフウォーカーとの対立で、図式的なのがまずいただけない。見ていて、宮崎駿の『もののけ姫』や、同時期に公開中の『羅小黒戦記』がいやが上にも思い出してしまう。この2本は決して子供向けに作られていないと私は思うが、『ウルフウォーカー』は民話的性格のせいもあるのか、子供向けに作られているような気がした。特に私が気になったのは登場人物の喜怒哀楽の表情がわかりやすく記号化しているところである。ディズニー化してきているというのか、まさにアメリカのカートゥーンのそれである。『ソング・オブ〜』のときにはそんなことを感じなかったのだが…。
もちろん背景美術の美しさや、肉体から離脱したオオカミの生霊(?)が独特の渦巻型を基本としたデザインと動きで見せるところはさすがこのアニメスタジオだな、と思うのだけれど、これも『ソング・オブ〜』を初めて見たときの新鮮な驚きまでいかなかった。
最後は悪の護国卿を倒して、別の森へ移動するという結末。何の解決にもなっていないような…。いや、伝説だから別に解決せずに終わってもいいけど、父親までウルフウォーカーになって、なんとなくハッピーエンド風に終わるのは、それでいいのか? と思ってしまう。
また人間と自然の対立以外に、さりげなく女性解放のテーマも入れていたりもするが、私には世評ほど優れた作品とは思えなかった。アイルランドの歴史をちゃんと勉強すればもっと面白く見られるのかもしれないが…。また勉強して出直してきます。
<テアトル梅田 劇場1 H−5にて鑑賞>

●『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』(クリス・バトラー)
ストップモーションアニメを製作しているスタジオ・ライカの最新作。このスタジオの作品では評判になった『クボ 二本の弦の秘密』は見逃したが、『コララインとボタンの魔女』は見ている。ストップモーションアニメといえば、昔はなんかすごいありがたみがあった。実際、この映画のメイキングを見ると、相変わらず気の遠くなるような、とんでもない作業をやっていて「スゲエな」とは思うのだけれど…。しかし今や立体的なCGアニメが普及していて、完成品を見ただけでは、ほとんど区別がつかなくなっているように思う。少なくとも私は「ストップモーションアニメ」と断ってくれないと、気付く自信がない。撮影もフィルムではなくなり、ハリーハウゼンのような手作り感はどんどん失われ、昔のようなありがたみは確実になくなっている。
物語は、ヒュー・ジャックマンが声を演じる探検家のライオネル卿が、アメリカで発見した類人猿(=ミッシング・リンク)と友達になり、彼の同類たちが住んでいるというシャングリラを目指し、旅に出るというもの。キャラクターは独特のデフォルメがあって、冒頭に出てくるネッシーの顔をはじめ、なかなか人を喰っている。類人猿リンク君もずんぐりむっくりしていて親しみが持てる。物語がありふれたインディ・ジョ−ンズ風(というかそれ以前の)の冒険ものになっているのはぜんぜん構わないのだが、真のお楽しみであるアニメーション的動きのギャグが少ないのが残念。前半にある酒場の喧嘩とか、途中の船のくだりとか、最後の氷のつり橋崩壊を使ったアクションとかいろいろ見せ場は用意されているのだけれど…最近は『ランゴ』とかギャグとアクションのつるべ打ちみたいな作品も多いので、この作品程度のギャグでは大人しく感じてしまう。
ちなみに本作を検索していてたまたま気付いたのだけれど、『キングコング』(1933)などで知られるモデルアニメーションの始祖、ウィリス・オブライエンに『恐竜とミッシング・リンク』(1915)という6分の短編作品がある。このウィリスのデビュー作は、年代から考えるに史上初のモデルアニメーションといわれている。内容は、食料を食い荒らす類人猿に頭を悩ます原始人一家の話で、類人猿はなかなか知恵にたけて捕まらないが、あるときステゴザウルス(?)のシッポに殴られ、死んでしまう。それを見ていた一家の少年が自分の手柄にしてしまうという、他愛のないお話。本作と直接の関係はないものの、ミッシング・リンクがタイトルロールになって登場するモデルアニメーション(ストップモーションアニメ)ということで、なにか感慨深いものがある。果たしてクリス・バトラーはウィリス・オブライエンの、この史上初のモデルアニメーション作品を意識していただろうか。なお、『恐竜とミッシング・リンク』は製作から2年後の1917年にエディソン社に買われて一般公開されたとのことだが、以前なら映画博物館にでも行かなければ見られなかったこんな珍しい作品も、今では簡単にYoutubeで見られるのが驚きである。
<梅田ブルク7 シアター4 L−4にて鑑賞>
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