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2020年12月05日23:23

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11月に見た映画 寸評(7)

●『THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女』(バイ・シュエ)
ジュディ・ロック監督の『レイジー、ヘイジー、クレイジー』(2015)は香港の女子高生が援助交際で小遣い稼ぎする話だったが、こちらは香港と中国本土とを行き来する女子高生がアイフォンの密輸で小遣い稼ぎする話である。
家族の都合で、住居は中国の深圳であっても、市民権は香港にあり、深圳から香港の学校に越境通学している女子高生がいるというのにまず驚いた。地図を見てみれば、確かに香港と深圳は隣り合っている。同じ中国だからパスポートはいらない。こういう日本人では想像もつかない事情がまず先にあり、さらにそれに目を付けた反社会組織が、その通学する女子高生に最新型アイフォンを香港から深圳に密輸させる(関税の関係で香港は電化製品やブランド品などが安く入手できるとのこと)というのだから、二度ビックリである。
しかし、そんなので商売になるの? と思うが、主人公の女子高生が密輸中のアイフォンを落下させて壊し、それを修理するために深圳のスマホショップに持っていくという場面がある。するとたちまち人が集まってきて彼女を取り囲み、口々に「それ、売ってくれ」とか声をかけてくるというのだからすさまじい。しかも彼女が店を出てからも、その人々はいつまでもついてきて、必死で交渉を続けるのである。この描写を信じるなら、いかに中国本土でアイフォンが入手困難で、求められているかがよくわかる。そしてそこから裕福な香港と、貧しい中国本土の関係も自ずと浮かび上がってくる。
そもそも深圳に住む主人公のペイと、その親友で香港に住むジョーの関係がそれを如実に表している。上流階級のジョーは日本の温泉旅行へ行こうと誘ってくるが、ペイにそんなお金はない。そのためジョーの彼氏のやっているアイフォン密輸のアルバイトに手を出すことになる。最終的にこの二人は男をめぐって喧嘩をし、絶交することになるのだ。
この映画で描かれていることは私たち日本人の知らないことばかりで、かなり興味深く面白かった。ただ欲をいえば、この新人監督にもう少しエンタメ的サービス精神があればもっと多くの人に見てもらえる機会が増えたのではないか。例えば税関を通るときにはもっとヒヤヒヤさせる演出があってもいい。また密輸組織もせっかく女ボスという面白い設定にしているのだから、最後ヒロインが隠れて密輸していたのがバレたときなどもその裏表のある彼女の怖さがもっと強調されてもよかった。要は犯罪映画特有の殺伐さや緊迫感が足りないのである(まあ、青春映画の方に比重を置いているのだろうけど)。
最後に、これは映画自体に罪はないのだが、上映サイズの問題。本作は横長のワイドサイズ(シネスコサイズと言う人もいるが)だと思うのだが(imdbの本作の情報では「Aspect Ratio 2.39 : 1」と変則的なサイズが書かれている)、配給したチーム・ジョイは画面上下に黒の余白スペースをつけ、その下の部分に日本語字幕を入れていた。つまり元の映画はワイドサイズなのに、ビスタサイズで上映素材を作ったことになる。さらに私が見たTOHOシネマズ梅田はスクリーンの左右をワイドサイズ枠で開いていたので、結果的に額縁上映になってしまった。あのね、いつも言うことだけど、上映が始まったらスクリーンには映写されている映画以外の不要な部分を見せてはいけない。せっかくの画面が小さく見えるのみならず、監督や撮影スタッフが意図した構図すらも破壊されるからだ。元々はフィルム映写からデジタル映写に変わる際、TOHOをはじめとするシネコンが、映画の上映サイズに合わせて暗幕で枠の調整をしない、手抜き上映を始めたことに端を発する。そしてとうとう配給会社までこんなおかしな上映素材を提供し始めた。正しくまともな映写の荒廃はどんどん進んでいく。誰か食い止められる救世主はいないのか。
<TOHOシネマズ梅田 スクリーン6 F−5にて鑑賞>

●『タイトル、拒絶』(山田佳奈)
事務所で客からの電話を待つデリヘル嬢たち(&店の世話係の男たち)の群像劇。映画なのであちこち場所を移るようにはしているが、基本、事務所の中で起こるやりとりや出来事がメインなので、原作は舞台劇かな、と思ったらやっぱりそうだった。会話のやりとりや場面転換の仕方がいかにもそれっぽい。
今や人気の伊藤紗莉が仕事にあぶれてデリヘル嬢になろうとするも、土壇場で「やっぱムリ!」とスリップ一枚で逃げ回るダメ女を演じる。裸にはならず。彼女は『ホテルローヤル』でも教師とラブホに入るJKを演じていたが、そちらでも裸は見せなかった(そんなトコばかり見ているのかよ、俺)。もっともその後デリヘル見習い(?)として、事務所に出入りし、彼女のモノローグで物語が進むという、いわば狂言回し的な役回りなので、まあいいか。
あと売れっ子デリヘル嬢の妹役でモトーラ世理奈が出ていたが、これがハマリ役だった。美人で奔放な姉にコンプレックスを持ち、世の中を斜めから見ている醒めた役。『風の電話』よりずっとよかった。しかし、あの彼女の結末はなんなんだ? 無理にオチなんかつけなくていいのに。
風俗関係の話はこれまでもロマンポルノやらなにやらで見てきたけど、仲間同士でいがみ合うのはよくあるパターン。しいて本作のポイントを挙げるとすれば、現代的であっけらかんとしているところかな。わりと自由に出勤・退社できるみたいだし。まあ、彼女たちが気楽に見えるのは客相手に働いている場面がほとんどないからかもしれない。
<第七藝術劇場 C−4にて鑑賞>

●『VIDEOPHOBIA』(宮崎大祐)
監督独自の世界観で作ったアート映画みたいなもので、こういうのは相性が合うか合わないかでしか判断できず…そういうことなら合わなかった。
一応物語らしきものはあって、クラブで初めて知り合った男と一晩エッチしたら、その映像がポルノサイトで不自然な感じでアップされていて、そこからヒロインは精神的におかしくなっていくという話なのだが、冒頭でこのヒロインはネット上から客の指示を受け、パソコンカメラの前で自慰行為を見せる(ふり?)風俗バイトをやっていたのだから、今さらそれで精神がおかしくなるのかなあ、と思う。前半に俳優のワークショップで先生と生徒がどれだけ別人になれるかで揉める場面があり、他にもヒロインが着ぐるみに入るバイトをしていたので、どうやら別人に変わることがテーマであることは想像できた。しかしだとしたら、断酒会みたいな失恋被害者の会(?)のシーンなど、けっこう長い場面だけど、必要あるのか疑問であるし、そもそも整形して自分以外の別人に変わるテーマの映画も、古くは勅使河原宏『他人の顔』や最近でもキム・ギドクの『絶対の愛』というものがあったのでとりたてて新味はない。
モノクロで大阪の街を撮るというのも一つの売りみたいだが、まあ、ビジュアル面はカッコいいとはいえても、モノクロならそれっぽく見えるしね。私の世代でモノクロのインディーズ作品といえば、『鉄男』とか『追悼のざわめき』とか思い出し、本作も怪しげなポスターデザインからそういうのを少し期待したのだが、映像も演出もぜんぜんおとなしくてガッカリ。雰囲気だけの映画という感じ。この監督は前作の『TOURISM』も見ているが退屈した記憶しかない。やはり合わないとしか言いようがない。
<第七藝術劇場 E−4にて鑑賞>
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