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2020年12月05日08:59

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キリシタン紀行 森本季子ー299 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー12

三、秘境に運ばれた福音の種
●それは和歌山で始まった
 神のはからいは時間の経過とともに明らかになってゆく場合が多い。龍神教会の親とも言うべき大島仙吉氏についても同じことが言える。
 氏は明治十七年(一八八四)、当時の下柳瀬村の吉村暹助(せんすけ)氏の二男に生まれた。明治二十二年(一八八九)、町村制施行によって、下柳瀬、上柳瀬、安井の三村が合併し、中山路村となった後、吉村暹助氏はその村長を四回にわたって勤めた人である。前項で述べたように大水害後、下柳瀬はそれまでの文化、交通の中心を失い、子供たちは「柳瀬のセタン子」(はずれの子の意)と蔑視されるようになった。吉村仙吉少年もその時代に入る。何と呼ばれようと、彼は優秀な生徒だった。それに目を留めた上山路村・西の大島医師が、長女の婿養子にと望んだ。親同士の合意により、この縁組みは早くから決まっていたという。仙吉少年は長じて旧一高に進み、京都大学の医学部を卒業した。戸塚文卿神父は彼の一高時代の後輩であった。やがて、大島はぎのえさんと結婚、和歌山市に開業した。
 その頃には岳父は逝去していたので養家、大島家の家族は和歌山で仙吉氏とともに住むこととなった。仙吉夫人・はぎのえさんには五人の妹と末に弟一人があり、仙吉氏自身は三男、三女の父となった。義母を加えて十四人という大家族の中で最初のキリスト者となったのは誰だろう。
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