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2020年12月05日08:33

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ラスタマン・バイブレーション 2002−26−A

  エピローグ  

ニューヨークの惨劇

 その日はいつもと変わりない一日だった。五郎の店「ネグリル」は毎週月曜日が定休日だが、その日、休み明けの火曜日は常連の地元サーファーたちのミーティングが毎週開かれることが、唯一変わっているとも言えたが・・・・・。
 この日はレゲエやジャマイカを愛する連中の親睦会で、天気が良ければ裏庭でバーベキュー&飲み放題、食べ放題三千円の有料パーテイが、昼過ぎから始まる。
 いつも二十人前後の気のいい若者たちが集まり、レゲエをガンガン流して盛り上がる。たまには仲間のバンド演奏もあり、五郎や理江も毎週一緒に楽しんでいた。ただ店を正式に開ける夕方頃には五郎が飲みすぎてフラフラになるのが、玉に瑕(きず)とも言えた。しかし、要するに「ネグリル」のファンクラブのパーティなので、いつも感謝の気持ちで大サービスして、気持ち良い一日を過ごすのだった。
 その日もそのように楽しく一日が終わり、五郎と理江はボブ・マーリイの「エクソダス」を低く流しながら店の後片付けをしていた。
 店を始めて、もう十年以上が経っていた。一人息子の凡は今年の春に中学生になり、ファミコンゲームとサッカーの好きな、名前通りの平凡な大人に成りそうな気配だ。
 「子どもは親と正反対の方へ行くものさ」と、現在は中堅のルポ・ライターとして活躍している古田が言った通り、五郎が毛嫌いした一般社会の流行や価値観を大事にする、友達付き合いの良い子なのだ。理江は「普通の価値観を持つのが一番幸せなのよ」と納得しているが、五郎は彼女の言葉を理解しながらも、一抹の寂しさを感じていた。ただ息子の凡が五郎の経験してきた世界の全てをいつか理解してくれる、という思いだけは心の隅に根強くあった。
―親子って不思議だな。愛と憎悪、義務と責任、従順と反抗・・・・・、互いの一生の間に正反対の無数の情念を通り過ぎていく。まるで神様のたちの悪い冗談のように
 
 理江は厨房の片付けを終えると、裏の住まいに消えて、店には酔い覚ましのコーヒーを飲む五郎だけが残った。不況の時代がはじまり、店の経営も大変な時代になったが、地元の若者たちの暖かいサポートでなんとかやっていけそうだ。五郎はなんとなくセンチメンタルな気分で色々なレコードを聴いていた。
―ルーツ・ミュージックの黄金時代の偉大なアーティストたちの音楽、それはこの世に何をもたらしたのだろう?
 などと考えながら、レゲエ のトップバッター、ジミー・クリフの現実離れしたハイトーンの歌声を聞きながら思った。
 ジャマイカのジムは遥か昔に音信不通になった。五郎は心密かに、死んだのだろう、と思っている。堅気の仕事に着く気も、チャンスもないジムには「太く短く」の人生しかない筈だ。それは本人も自覚していた。五郎はジムのことを思い、暗い気持ちになる。
 気分を変えて、勇ましいマイケル・ローズ時代のブラック・ウフルを掛けた。M・ローズの脳みそに突き刺さるような張りのある甲高い歌声が、黒人の若者たちの白人社会に対する憤(いきどお)りや呪いをサボテンがあちこちに飾られた店内に撒き散らした。
 サブは山を降りて、キングストンのトレンチタウンに住み、親を事故や事件で亡くした子どもたちを世話する組織を運営していた。市内の日本大使館や、少数の日本企業の営業所に援助を求めて日参し、蛇蝎(だかつ)のように嫌われている、と最近の手紙で笑っていた。同封された写真のなかで、老犬のジョーを抱いたサブが子どもたちに囲まれて微笑んでいた。
―サブは偉いやつだな・・・・・
 五郎はどんなつらい時でもジャマイカで頑張るサブのことを思うと、つらさが和(やわ)らぐのだ。サブの生きる世界に比べれば、日本での自分の悩みなど、たかがしれてるのだった。
 タケは横須賀で頑張っている。市内に喫茶店と雑貨屋を兼ねた店を出し、暴走族時代からの顔の広さを生かして、けっこう繁盛しているらしい。華奢な娘だったジョイス も三人の子どもを生む内にでっぷりと太り、日本語にもすっかり慣れてタケに負けないお喋りになったと、このあいだ一人で顔を出したタケが嘆いていた。
「あーあ、女は化け物だぜ。あんなに逞しくなるとは思わなんだ」
 五郎はタケの愚痴を思い出して、一人で噴き出した。
―誰もがそれぞれ自分なりに大人になっていく・・・・・
 しかし古田は相変わらず独身だった。気鋭のルポライターとして、世界中を飛び回り、最近念願のジャマイカにも行ったらしい。いい仕事をしているのだが女性には縁が無いようだ。ガールフレンド位はいるらしいが、連れてきたことがないので分からない。一時やきもきした理江が誰かを紹介しようとしたが、うまく逃げられてしまった。だから彼が一番変わりがなかった。
 酔っ払って人恋しくなると、よく新宿のゴールデン街から深夜に電話がある。たいていベロベロで話しにならないのだが、優しい五郎はいつも彼の気が済むまで相手してやる。金や仕事や人間関係や恋人との痴話喧嘩や、とにかく多様だが、恐らく翌日には古田は話したことさえ忘れているだろう。
 五郎はいつも訳の分からぬ古田の電話を思い出し、ニヤニヤしながら最後のコーヒーを飲み干した。もう深夜の零時だ。早起きの五郎はとっくに寝ている時間だった。椅子から立ち上がり、店の明かりを消そうと壁際に行こうとした時、カウンターにある電話が鳴り出した。
―この時間の電話はやつに決まっている
 と思いながら、受話器を取り上げた。
「五郎か?」
 やはり古田の声だった。しかしシラフだった。声がどこか緊張していた。
「五郎だ。どうした?古田」
「大変だ、ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が激突した。他でも起きたらしい。テロだ!何百人、何千人が犠牲になるか分からないぞ。あー、なんて酷い事件だろう。これから世界はどうなるんだ?とにかくテレビを見ろ。早く世界の現実に触れろ!」
 古田の電話は切れた。耳鳴りのように切迫した古田の声が耳の奥に残る。五郎はカウンターの隅に置かれた小型テレビのスイッチを入れた。見覚えのある双子のビルの上部に一機が突入し、しばらく経って、もう一機が残りのビルに衝突した。無理やりでっち上げられたアクション映画の出来損ないのワンシーンのように、非現実的な映像が繰り返し放映された。映画であれば、嘘としか思えない馬鹿馬鹿しい映像だが、これは現実なのだ。
―現実、現実、げんじつ、現実・・・・・
 頭のなかで、狂ったように言葉が反響した。数万人が利用するビルに数百人が乗った旅客機がテロリストたちによって突入させられた。そして五千とも六千とも言われる人々が犠牲になった。
―そう言えばジョージアも貿易センターで働いていたな・・・・・
 昔ニューヨークで仲良くなったアンジェロとは、今でも手紙の交流があった。もし彼女がテロの犠牲になったとすれば、彼はどんなに嘆くことだろう・・・・・。五郎はぼんやりと思った。
 今では、まるで怖い御伽噺(おとぎばなし)のように風化した、ナチのユダヤ人虐殺や日本軍による南京大虐殺と同じ次元の狂気の殺戮が、この同じ瞬間の地球の上で起きた。過去ではなく、現在として未来として起きたことに、五郎は底知れぬ恐怖を感じるのだった。
 しかし同時に、この未曾有の災厄も人類の先祖たちが体験した数え切れない苦難の一つに過ぎず、いつかテロ の問題も静まり、ゆっくりと過去の苦難の一つになってしまうだろうとも思った。
 五郎は人間の英知や愛や連帯感を深く信じていたから・・・・・。

 古田は東中野のワンルーム・マンションに帰っていた。暗い部屋で酔い覚ましの水を飲みながら、延々と同じ映像と情報と各種の専門家たちの意見を繰り返すテレビの画面を眺めていた。結局四機の旅客機がハイジャックされ、二機は貿易センターに、一機はペンタゴン(国防総省)に突入し、一機は乗客の英雄的活躍により途中で墜落して未遂に終わったらしい。
 犯人は古田の思ったようにアラブのテロリストたちとの可能性が浮かび上がってくる。アメリカの協力な支援で存在しているイスラエルに弾圧されている、パレスチナの人々が事件に拍手喝采したという情報も飛び込んでくる。
 アメリカの大統領が力説するように、単なる卑劣なテロ、忌まわしい犯罪と世界中の人々が思わないところに、歴史の暗闇が顔を覗かせていた。
 古田はテレビを消して机に向かい、愛用のノート・パソコンに今の思いを書き綴っていった。心の奥には得体の知れない不安が蟠(わだかま)っていた。
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