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2020年12月04日08:15

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キリシタン紀行 森本季子ー298 聖母の騎士社刊

紀州の秘境 龍神と教会ー11

「グリナン神父様が見舞いに来られたのはその頃です」
 昭和十三年(一九三八)である。伊藤勇太郎さんは龍神地方で受洗した最初の人であり、司祭の入村はグリナン師(パリー外国宣教会所属)が最初ということになる。師は病者の秘蹟を授けるために来たのだった。
 「私の実家は”志満屋”旅館で、神父様はそこに泊まられました。子供の私は、初めて見る黒衣を着た青い目の外国人を怖いと思ったことを覚えています。私の両親は宿泊費は要りません、と言うと、ポケットに手を入れて、御絵を下さったそうです」
 和歌山市から百キロ以上の山道、しかも当時の石ころ道を、一人の病人を見舞うためだけにやって来たこの外国人に、村人は好奇と感嘆の目を向けた。
 「その頃、龍神から和歌山に行くなどということは一生に一度もあるか無しです。神父様は病人の部屋を見て気の毒がり、『畳を変えてやりたい』とおっしゃったのです。が、神父様の意見は寝ている部分の畳一枚ということでした。ベッドの感覚なのですね。一枚だけの畳変えなんて面白いと思いました」
 グリナン師が次に西へやって来たのは勇太郎さんの葬儀のためだった。村人がキリスト教の葬式を見るのは初めてである。この異国の宗教が病者をいたわり、死者を大切にすることを人々は知った。この外国僧がたった一人のために二度もこの山間の集落にやって来たという事実に、彼らは深い感銘を受けたのだった。
 勇太郎さんを埋葬した盛土の上に簡単な木の十字架が、グリナン師の指導で、立てられた。これもまた日高川上流の村で初めての十字架墓標である。(後年、親せきによって仏式の墓石に立て替えられたが)
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