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2020年12月03日08:35

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ラスタマン・バイブレーション 2002−24−B


 猛烈なハリケーンの後、哀れなタケはバナナの木の根っこに抱きついたまま気を失っていた。翌朝、近くの山に住むラスタの老人がボロ切れのようなタケを発見する。吹き飛ばされた老人の小屋の僅かに残った竹の床で、タケは二日間死んだように眠り続けた。そして目覚めると痩せた老人の笑顔があった。
「よかったなチャイナボーイ。ジャーに感謝しなさい」
「タケでーす・・・・・」
 やつれた顔で呟いたタケは、まるで萎びた猿だった。
 半病人のタケはラスタの老人の世話を受けながら、小屋の再建や畑の手入れを手伝った。山奥の静かな生活はけっこう気に入ったが、老人の説教だけは閉口した。
―タケ、ジャーを信じなさい
―早く髪を伸ばしてドレッドにしなさい。ドレッドこそが神の子の印なのだから
 老人は気のない返事をするタケに、飽きることなく説教した。頼りない話し相手だが、老人は久し振りの会話を楽しんでいるようだった。
 今朝も狭い小屋でタケが起きると、早く目覚めた老人は木陰で聖書を読んでいた。
「じいさんオハヨッ!」
 とタケが日本語で言うと、老人がこたえる。
「おータケ。ラスタファーライ!」
 頓珍漢だが不思議に馬が合った二人だった。
 タケはバケツを持って谷川に下りていく。水汲みはタケの日課になっていた。
 谷川に着くと、まず素っ裸になって水浴びをした。
「ウヒョー!つめてえ!」
 いつものタケの悲鳴があがり、森でさえずる原色の小鳥たちが笑っていた。
―どうしてこんなところにいるんだろう?
 ふと思った。今では熱狂と興奮の暴走族の日々も、まるで前世の記憶のように遠くて朧(おぼろ)だった。
―こんな自分って一体なんだろう?
 オレには似合わない疑問だと思いつつも、時々悩むのだった。
「あーあ、そろそろキングストンに戻るとするか・・・・・」
 風に揺れるマリファナの葉を一枚むしって噛んでみた。苦くて香ばしかった。
「日本に帰るゼニもつくらないとなあ・・・・・」
 老人がいつもの木陰でチャリスを片手に瞑想していた。
 雲ひとつない空は青く澄みわたり、麓の村から田舎のサウンド・システムの音が風に乗って聞こえた。
―よし、DJやって、百姓たちを驚かしてやろう・・・・・
 ニヤニヤしながらタケは大きな背伸びをした。

 爽やかな風が吹く緑の草原で、百人近いラスタたちがコミューンの再建に汗を流していた。一ヶ月前の戦闘とハリケーンの襲来で、ほとんどの建物が倒壊してしまった。満足に建っているのは、周囲の柵(さく)とゲートぐらいだ。
 金槌や斧の音が賑やかに響く広場には、ドレッドの女たちが煮ている野菜スープの旨そうな香りが漂っていた。サブも洞窟の仲間たちと参加している。相棒の仔犬のジョーも呑気に山羊と遊んでいた。山に暮らす決心をしたサブを、ラスタたちは優しく受け入れてくれた。
「ジャー・ラスタファライ・ブラザー」
 顔見知りの白人ラスタが金槌を打つサブに微笑んで通り過ぎた。今では様々の人種や国籍のラスタたちが「山の神殿」の再建に集まっている。
「セラシエアイ」
 サブは嬉しそうに返事をした。
 太陽が西の山に沈みはじめた頃、広場で焚き火が始まり誰かがラスタマンチャントを唄いだした。一日の仕事を終えたラスタたちが焚き火の周りでコンガやボンゴを叩きながら唄いだす。力強く神秘的なラスタたちの唄声が風に乗って、はるか遠くのバビロンに流れていく・・・・・。

 五郎はマイケルの小屋の前で、珍しい古田からの手紙を読もうとしていた。ジムの母親がキングストンからポートアントニオの郵便局に転送してくれたのだ。懐かしい古田の字に心が躍る。ドレッドになりかけた髪を捩りながら、五郎は手紙を読んだ。

 生きているか?五郎。もうそろそろ帰ってきてもいいんじゃないか。昨日電話で理江さんと話したが、彼女もずいぶん心配してるぞ。ジャマイカが刺激的で面白いところだとは、俺にも想像できる。しかし、誘惑も危険も多い国だ。ネグリルあたりでハッパかコカインにでも溺れたら、人生の破滅だぞ。
 いろいろな人との出会いも充分堪能したことだろう。お前がどれだけ成長したか楽しみだよ。ボンゴマンに誘われた旅なのだから、何か大きなものを掴んで帰ってくるだろうと俺は信じている。
 馬鹿なタケがジャマイカまでのこのこ出掛けたらしいね。呆れた話だ。
 お前もサブもいない東京は淋しい。帰ってきたら、まず焼き鳥屋で乾杯だ。
 じゃあな、身体に気をつけろよ。
                         東京バビロンにて    古田

古田にしては妙にあっさりした手紙だったが、五郎は望郷の念をいたく掻き立てら
れた。新宿や渋谷の雑踏が無性に恋しかった。理江に会いたかった。五郎は手紙を持ったまま、ボンヤリ物思いに耽るのだった。

 暗い砂浜の向こうに小さな焚き火の明かりが見えた。懐かしいナイヤビンギのドラ
ムの音がかすかに聞こえる。五郎は何かに導かれるように焚き火のほうに歩いていっ
た。暗い夜空を見上げると満天の星が輝いていた。短い間にいくつもの流れ星が見えた。理江と一緒に夜空を眺めた島の船着場の夜を思い出す。
 焚き火の周囲に七、八人のラスタがドラムを叩いていた。ひどく厳粛で、近寄りがたい雰囲気があった。五郎はすこし離れて腰を下ろした。
「アイリー」
 若いラスタが五郎の隣に座り、ジョイントを差し出した。珍しく五郎は断る。今夜はなぜかシラフでいたかった。隣のラスタがジョイントを吸いながら話し始めた。
「オレはアフリカのケニヤから来た。ジャマイカのブラザーたちはアフリカに憧れるが、何も分かっちゃいない。白人たちの食い物にされたマザーランドのことを。傷だらけのアフリカを・・・・・」
 若者は涙声になって絶句する。
「分かるか?ブラザー。アフリカを解放するのはラスタファリズムなんだ。狭い部族意識を捨ててアフリカ人として自覚、団結するしか母なるアフリカを救う道はない。誰もがボブ・マーリイの言葉に耳を傾け、ラスタ・ブラザーたちの平和と愛の哲学を理解して、初めて救いの道が開けるのだ。
だからオレはジャマイカに来てラスタになった・・・・・」
 アフリカの若者の言葉は力強かったが哀愁を帯びていた。
「そして何十年、いや何百年後の未来にアフリカは三色の旗で統一されるだろう」
 立ち上がり、海に向かって彼は叫んだ。
「アフリカの大地はアフリカ人に、チベットの領土はチベット人に、インディアンの聖地はインディアンに、アイヌの聖地はアイヌに、パレスティナの地はパレスティナ人に・・・・・、すべての略奪者は奪った土地を弱者たちに返せ!すべての被抑圧民族が故郷で平和に暮らせるとき、初めて世界に本当の平和が訪れる。
よく聞くがいい、バビロニアン!これは絶対の真理なのだ!」
 五郎は軽いめまいを感じながら熱のこもる演説を聞いていた。
「これですっきりしたよ、ハッハッハッ」
 アフリカの若者は白い歯を見せて笑うと、焚き火に戻っていった。
 歴史の暗闇に取り残された人々のことを五郎は思った。そして地球上の大多数の国々に存在する貧困と悲惨について無関心に暮らす豊かな一握りの連中のことも・・・・・
―豊かな日本人もそんな連中の仲間なのだ・・・・・
 ボブ・マーリイが歌い、ラスタたちが夢見るように、人類がワンラブ(ひとつの愛)で結ばれ、究極の大家族として平和に暮らす時がいつか来るのだろうか?
 五郎は潮騒の聞こえる暗い海を眺めながら、瞑想を続けた。ラスタたちのナイヤビンギの響きが、五郎の心を深い神秘に誘(いざな)っていく。
 
 胸の奥で何かがはじけ、神の啓示のような思いが浮かぶ。
―そうだ、神の愛は信じるしかないんだ
 暗闇に懐かしいボンゴマンの笑顔が現れて、五郎に語りかけた。
―ゴロー、ジャーを信仰するのだ。そして全てのラスタたちを友として受け入れるのだ。何故ならラスタは失われた根源の愛を伝える神の使いだから・・・・・。今や世界中に出現した無数のラスタたちが地球の未来を憂(うれ)いて、愛を説き平和を訴えているのだ。迫害に耐えたキリストのように・・・・・
―現代のキリストたちか・・・・・
 現代に蘇ったキリストの分身たちが、破局に向かいつつある現代文明に丸裸でぶつかっていく。罵(ののし)られ、蔑(さげす)まれ、投獄され、無残に殺される。まさにキリストの運命そのものだ。
―これを伝えよう。不正な陰謀に立ち向かう草の根の人々の世界を、意識を閉ざした日本の若者たちに伝えよう
 五郎は伝道者であることを決心した。
 ニューヨークの光と陰を、ジャマイカの熱狂と貧困を、トレンチタウンの裸足の子どもたちの無邪気な笑顔を、陽気で純真なラスタの世界を、神は平和であり愛であり、それ以外は在り得ないことを、そして人間たちに食われていく自然や動物たちのことを、第三世界の歓喜と絶望を・・・・・、伝えていこう。
 五郎の心に明かりが灯った。
 帰国の時が遂にやってきた。五郎はつぶやいた。
―ありがとう、ボンゴマン
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