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2020年12月01日08:09

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ラスタマン・バイブレーション 2002−24−A


ラスタマン・バイブレーション

 白い珊瑚の砂浜で五郎は光り輝く透明な海を眺めていた。雲ひとつない青い空は、天使が降りてきても不思議でないほど澄みきっている。遥か遠くにカリブ海クルーズの真っ白な豪華客船がぽつんと浮かんでいた。のどかで平和な海辺の午後だった。
 五郎はポート・アントニオにほど近い漁村、ボストンビーチで暮らしていた。ジャマイカで荒れ狂った、あの恐怖のハリケーンから既(すで)に一ヶ月が過ぎていた。
 頭痛の種のマ リとチエミをセントアンでキングストン行きのトラックに無理やり乗せた二人は、緊急援助のトラックを乗り継いでジムの叔父が住むこの村にやってきた。叔父のマイケルはジムの母親の弟で、怠け者の漁師だった。朝からラム酒を飲みだしては漁を休む困り者だが、人の良い男で二人を歓迎してくれた。
 今でもタケやサブの消息が分からず、サブといる仔犬のジョーの運命も五郎には知る由もなかった。心配だが、仕方ないと諦める。
 一月(ひとつき)前には憔悴していた五郎の肉体も逞しく蘇(よみがえ)り、相変わらず真っ黒に日焼けしていた。警察官たちのひどい暴行を受けたジムも、タフでヤクザなチンピラ(ルードボーイ)に戻っている。
 輝く海を眺めながら、五郎はハリケーンの頃を思い出していた。辛いことが多かった筈なのに、今ではすべてが懐かしい。

 たまにしか通らないボランティアのトラックを乗り継ぐ旅は苦労が多かった。道路に障害物があるたびに、降りて片付けねばならない。至るところで樹木や電柱が倒れ、車が横転し、吹き飛ばされた掘っ立て小屋が道路に転がっていた。
「こんなにこき使われるとは思わなかったぜ・・・・・」
 五郎はぼやきながら、何十回もトラックを乗り降りした。そして時には、出発のたびにセルモーターの壊れたトラックを押さねばならなかった。
 故郷に帰る若夫婦、街を目指す若者、親戚を頼る老人など、トラックに乗る様々の運命の人々が黙々と押す光景は、道端の疲れた被災者たちには恰好の慰みだった。首尾よくエンジンがかかると、必ず歓声と拍手が沸いたものだ。
「バカヤロー!」
 そのたびに五郎は怒鳴るのだった。

 ハリケーンから三日後、ようやく目指すボストンビーチにたどり着く。しかしハリケーンの被害は凄まじかった。漁師の船の残骸があちこちに散乱し、ほとんどの住宅が大波に流されて、家の土台だけが侘びしく残っていた。灰色の魚網がヤシの木に絡みつき、海風に揺れている。
「叔父さんの村が消えちまった・・・・・」
「これは世話になるどころじゃないな」
 五郎も心配になった。仕方なく生活用品の残骸が散乱する廃墟を歩き回り、ジムの叔父の手掛かりを探した。そして村外れのヤシ林に出た。
「そうだ、思い出したぞ。あのヤシ林のなかに家があったはずだ。ガキの頃の記憶だから、頼りにならないけどな・・・・・」
 探し回ったが、家の痕跡すらなかった。
「どうする?ジム」
 疲れきった五郎は暗い顔で言った。
「ハッハッハッ、元気出せよゴロー。お前だってポリスと撃ち合ったルードボーイだろ」
 強気のジムは浜辺に抜け殻のように呆然と座っている村人たちに声をかけた。
「おーい、オレはキングストンのジムだ。誰かマイケル叔父さんを知らないか?」
 放心した村人たちはジムの声にも反応がなかった。何度叫んでも同じだった。
「高波にでもさらわれやがったかな。役に立たねえオヤジだなあ。マイケルのバカヤロー」
 とうとう腹を立てたジムが海に向かって絶叫した。
「マイケル、マイケルとうるさいやつだな。なんの用だ?」
 ヤシ林の奥から太った小男が現れた。無精髭を生やしたむさくるしい叔父さんだった。
「へーイ、マイケル叔父さん。キングストンのジムだよ。ガキのころおっかさんに連れられて来ただろ?ほら海で溺れて大騒ぎになったジムだよ!」
 無精なアフロへアに大きな丸い鼻のマイケルがジムをしげしげと見つめた。
「ああ、思い出したぜ。お前がガンジャの売人をしているという悪党のジムか。こんなところに何しにきた?」
 一族の血なのか、マイケルも口は悪かったが小さな目は笑っていた。
「叔父さん、それはないぜ!あんたのことをホントに心配したのに。とにかく無事でよかった・・・・・」
「ヤーマン。お前もな」
―やれやれ・・・・・
 とにかくホッとした五郎は崩れるように砂浜に腰を下ろした。
「このチャイナマンはダチのゴローだ。ずいぶん世話になった」
 マイケルが笑顔でウインクすると五郎は頭をペコリと下げた。
「家がなかったから波に呑まれたかと心配したぜ。ホントさ」
「フフフ、オレを甘く見るなよ。ボロ家は流されたが、舟や大事な物は向こうの丘に避難させた。あそこで腰を抜かしている連中と一緒にするなよ、ジム。ハッハッハー」
 おそらく四十歳は過ぎているマイケルは、前歯のない口を開けて大笑いした。プーンとラム酒の香りが漂ってくる。
「さあ、金目の物でも探しにいこう。ハリケーンの後はこれが楽しみなんだ」
 
―あれから一ヶ月か・・・・・
 五郎は振り返り、ヤシの木陰に建つマイケルの家を眺めて微笑んだ。流木を寄せ集め、ヤシの葉で葺いた小屋は、まるで前衛彫刻のように奇抜な形だった。
 小屋の傍で太ったマイケルと痩せたジムが仲良く魚網の修理をしている。
 足元のラジオからはハリケーンのことを歌う陽気なDJの声が流れていた。今でも朝から晩までハリケーンの唄ばかりで、ジャマイカ中のDJたちがハリケーンをネタにヒットを競い合う。
―中国人は椅子以外の四足は何でも食べる、と言うけど、ジャマイカ人はそれ以上だな。ハリケーンまで食い物にする・・・・・
 真っ白な豪華客船はいつの間にか消えていた。ゆったりと続く砂浜が白く輝き、海沿いのヤシ林で山羊や犬たちが昼寝をしている。水中眼鏡を頭に載せ、銛を手にした漁師が大きな赤い魚を引きずって、海から上がってきた。底抜けに平和で気怠(けだる)い浜辺の午後だった。
 五郎は熱い砂浜に寝そべった。目を閉じてもカリブの太陽は瞼(まぶた)を赤く染める。
―そろそろ日本に帰ろうか・・・・・
 そう思う五郎の脳裏に、刺激的なジャマイカの日々が浮かんでくる。暴力と血と汗と涙が渦巻くキングストン、正気を吹き飛ばすクレージーなサウンド・システム、現世を軽々と超越したラスタたちと山のコミューン・・・・・。
 そして、ナイヤギンビで神に導いてくれた車椅子の老人の言葉を思い出す。
「若者よ。ジャーとは平和と愛の化身なのだよ。そして、たとえ神の御姿が黒く、あるいは白く、あるいは黄色く見えようとも、大いなる神は唯一であり、無二なのじゃ・・・・・」
 ラスタの老人の言葉は五郎の心に不思議な感動を生んだ。そしてラスタの神を受け入れた。人生の価値や目標が、ラスタの言うバビロン世界の外に無数の星のように煌(きら)めいていることも確信した。貧しいラスタたちの誇りに満ちた笑顔が、それを物語っている。
 五郎は心の奥に秘めていた〔日本社会の落伍者〕というコンプレックスからやっと解放されたのを感じた。もう旅は充分だと思った。しかし、日本に帰ってから何をすれば良いのかが、まだ分からなかった。五郎は深い溜息をつくのだった。

 とある丘の中腹に広がる竹林のなかにタケはいた。はるか遠くにブルーマウンテンが青く霞んで見える。周囲に竹の茂みでカモフラージュされたガンジャ畑もあった。
「ほら、神の草じゃよ、タケ」
 隣に座るラスタの老人が煙の漂うチャリスを渡した。朝からのガンジャの取り入れで汗ばんだ身体に山の爽やかな風が気持ち良かった。このラスタマンの小屋に転がり込んで、もう一ヶ月が過ぎた。
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