「土着政党」として70年にわたり沖縄政界で活動してきた沖縄社会大衆党(社大党、高良鉄美委員長)の低迷が続いている。日本復帰運動をけん引し、知事も輩出するなど沖縄の歴史の座標軸として絶大な存在感を誇った。だが、最大で11人いた県議は現在2人。「オール沖縄」の中でも各政党間で存在感を発揮できていない。国政での政策実現に向け社民県連が立憲民主との合流を検討する一方、社大はあくまでも地域政党を貫き通す考えだ。かつての沖縄政界のリーダーは党存亡を懸けた正念場を迎えている。(政経部・大野亨恭)
「政治は民衆のためのものだ」。1950年10月31日、こう宣言し社大は結党した。戦後わずか5年。混乱が続く中、沖縄の将来を憂う新進気鋭の若者らが中心となった。
沖縄を4群島に分割し、50年に実施された群島知事選では、直後に初代委員長へ就任する平良辰雄氏が当選。群島議会議員20人中、15人が社大党入りした。
2代目委員長の安里積千代氏は立法院議長、3代目の平良幸市氏は後に知事へ選出されるなど、県政界の中心を担った。自民党から知事になった西銘順治氏も、かつては社大党青年部長。ウイングの広さも特徴だった。
地方議員も多数擁立。復帰後の立法院では第1党、1972年の県議選では11人が立候補し全員当選を果たすなど黄金期を迎えた。
だが、その後は低迷の一途をたどる。70年の国政選挙を機に、社大以外の自民や革新政党は次々と本土政党との系列化を進めた。土着政党にこだわる社大は取り残される形に。現在の勢力は参院議員1人、県議2人、市町村議6人にとどまっている。
長年、県内政界を見てきたベテラン保守政治家は「戦後の混乱期に革新政党をまとめ復帰への道筋を描いた功労がある」と評する。一方で「現在は、オール沖縄内で新たな国政議席を奪いに行くような主体的な動きはできない。党としての役割は終えているのではないか」と分析する。
高良委員長は結党70年の会見で、土着政党を貫く考えを示した。沖縄に根を張る政党として「沖縄の日常から声を拾い上げる役割がある」と強調。他党との合流を否定した。
国が名護市辺野古の新基地建設を強行するなど、党の理念「真の地方自治の確立」は達成されていない。地域政党として存続し、沖縄独自の自治権を確立できるか。高良委員長の手腕に掛かっている。
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