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2020年11月22日00:25

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11月22日の日記

今日の出来事:1180年−源平合戦:金砂城の戦い、1557年−織田信長が清洲城内で弟の織田信行を暗殺、1582年−八日町の戦い、1588年−七人みさき事件、1946年−埼玉県北足立郡蕨町(現・蕨市)で「青年祭」が開催、成人式の発祥、1950年−第1回日本シリーズが開幕、1963年−ケネディ大統領暗殺事件

今日は、源平合戦:金砂城の戦いです。「富士川の戦い」に勝利した源頼朝は敗走する平家の追撃を命じましたが、上総広常、千葉常胤、三浦義澄らが、まず佐竹氏を討つべきと主張しました。その意見を取り入れた源頼朝は平家追撃を諦め、佐竹討伐に向かいました。源頼朝は軍勢を引き連れて、佐竹氏のいる常陸に向かって出発しました。佐竹一族の佐竹義政は、縁者である上総広常に矢立橋に誘い出された所を誅殺されました。この動きを見て動揺した佐竹氏の中には頼朝方に寝返ったり、逃亡する者が出てきました。金砂城に立て籠もった佐竹秀義らに対して総攻撃が仕掛けられ、熊谷直実、平山季重が真っ先に城を登りました。佐竹氏当主・佐竹隆義は在京中で不在でしたが、金砂城が断崖に位置する難攻不落の城郭で、佐竹氏の守りが強固であると見た頼朝は上総広常の献策により、金砂城に入城していなかった佐竹秀義の叔父・佐竹義季を味方につくよう勧誘しました。佐竹義季は頼朝軍に加わって金砂城を攻撃しました。城のつくりに詳しい佐竹義季の案内で金砂城は攻め落とされました。城を守っていた佐竹秀義は奥州の花園城へと逃亡しました。佐竹義李は御家人に列せられ、佐竹秀義の所領が頼朝の家人たちに与えられました。新たな占領地を得た事により、御家人たちへの恩賞、地理的には鬼怒川水系と香取海を支配し、更に北の奥州藤原氏と提携が可能になりました。関東に残る平氏方最大勢力であった佐竹氏を屈服させた事は、関東を基盤とした頼朝政権確立の上で重要な位置を占める戦いでした。この後、頼朝は常陸国府で叔父・志田義広、源行家と対面します。この二人は後に木曾義仲の元に走り、頼朝・義仲対立の火種を生む事になります。

次に、織田信長が清洲城内で弟の織田信行を暗殺です。織田信行は、父・織田信秀、母・土田御前で織田信長の弟です。信長の支援者であった岳父・斎藤道三が嫡男・義龍との「長良川の戦い」に敗れて死去したため、織田信行は林通勝・林通具・柴田勝家らを味方につけて信長に対して挙兵し、信長の蔵入地である篠木三郷を横領しようとしました。しかし、稲生で柴田勝家が敗れ、次いで林通具が討死しました(稲生の戦い)。敗れた織田信行は末森城に籠城しましたが、母・土田御前の取りなしにより、林通勝、柴田勝家共々赦免されました。しかし、1557年に織田信行は岩倉城の織田信安に通じるなどして再度謀反を企て、篠木三郷を横領しようとしましたが、柴田勝家がこれを信長に通報しました。その後、織田信行は信長が病気との報を受け、柴田勝家に事の真偽を仰ぎましたが「信長殿を騙して譲り状を書かせてしまえば信友殿もいない今、織田家はあなたのものです」と諭されました。そして、11月22日に清洲城へ信長の見舞いに行き、清洲城北櫓天主次の間で信長の命を受けた河尻秀隆によって暗殺されました。子の坊丸(後の津田信澄)は土田御前の助命もあり、事無きを得ました。

その次に、八日町の戦いです。八日町の戦いは、飛騨国荒城郡八日町村(現在の岐阜県高山市国府町八日町)で、姉小路頼綱と江馬輝盛との間で行われた合戦です。「飛騨の関ヶ原」とも呼ばれています。1582年に「本能寺の変」が起こり、織田信長が横死すると、これを好機と見た江馬輝盛は織田氏に接近していた姉小路頼綱と飛騨国の覇権をかけた決戦を決意しました。江馬輝盛は3000の軍を率いて大坂峠を南下しました。対する姉小路頼綱は牛丸親正、小島時光らと同盟軍を組織し、総勢2000余の軍で江馬輝盛軍を迎え撃ちました。江馬輝盛軍は小島城城下に迫り、八日町で合戦が行われました。緒戦は兵力に優る江馬軍が優勢でしたが、姉小路軍の伏兵に虚を突かれて混乱したところを、銃弾が江馬輝盛に命中して討死しました。大将を失った江馬勢は総崩れとなり、決戦は姉小路氏の勝利に終わりました。残った江馬氏の家臣13名は主君の後を追って大坂峠で自刃し、地元民に葬られました。現在、大坂峠を地元では「十三墓峠」と呼び、「十三士の碑」が建てられています。小島時光は江馬氏の本城・高原諏訪城に侵攻し、攻め落としました。こうして、江馬氏は滅亡しました。江馬氏が滅亡した後の飛騨は、姉小路氏に抵抗する勢力がなくなり、飛騨一国が平定されました。

その次の次に、七人みさき事件です。「七人みさき」は、高知県を初めとする四国地方に伝わる集団亡霊です。吉良親実は土佐の戦国大名・長宗我部元親の弟・吉良親貞の子です。父の死後、その家督を相続しました。一門衆として活躍しましたが、長宗我部元親の側近・久武親直と仲が悪く、対立していました。比江山親興は、長宗我部国親の弟・国康の子で長宗我部元親とは従兄弟です。長宗我部元親の嫡男・信親が「戸次川の戦い」で討死した後、跡継ぎ騒動が起こりました。吉良親実と比江山親興は、長幼の序から長宗我部元親の次男・香川親和を推し、四男・盛親を推した久武親直と対立しました。吉良親実は、長宗我部元親に対してたびたび諫言して、長幼の序を守って香川親和を跡継ぎとする事を進言しました。しかし、その諫言が長宗我部元親の逆鱗に触れる事になり、1588年11月22日に吉良親実は比江山親興と共に切腹を命じられました。その時に、吉良親実の家臣・七人(永吉飛騨守、宗安寺信西、勝賀野次郎兵衛、吉良彦太夫、城内大守坊、日和田与三衛門、小島甚四郎)が殉死しました。それ以来、彼らの墓地に様々な怪異があり、吉良親実らの怨霊が「七人みさき」となったと恐れられました。それを耳にした長宗我部元親は供養をしましたが効果がなかったため、怨霊を鎮めるために西分村益井(現・高知市)の墓に木塚明神を祀りました。これが、現存する吉良神社です。比江山親興は死に臨んで近臣を召すと妻子には罪がないため、これをどこかに遁れ匿れさせるように命じました。そして、須江村・正福寺に匿われましたが密告によって、長宗我部元親は兵を遣わして妻子や従者を捕らえて六人を須江の磧に斬りました。正福寺の住僧も怒って自殺したため、その磧に葬りました。この計七人も「比江村七人みさき」となりました。「七人みさき」に遭った人間は、高熱に見舞われて死んでしまう。1人を取り殺すと「七人みさき」の内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が「七人みさき」の内の1人となる。そのために「七人みさき」の人数は常に七人組で、増減する事はないと言います。

そのまた次に、埼玉県蕨で「青年祭」が開催、成人式の発祥です。「成人式」は、1946年11月22日に埼玉県北足立郡蕨町(現・蕨市)で実施された「青年祭」がルーツとなっています。敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長・高橋庄次郎が主唱者となって青年祭を企画しました。会場となった蕨第一国民学校(現・蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われました。この「成年式」が全国に広まって現在の「成人式」となりました。蕨市では現在も「成年式」と呼ばれており、1979年の「成人の日」には市制施行20周年、成人の日制定30周年を記念して同市内の蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑が同市によって建立されました。蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、1948年に公布・施行された「祝日法」により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を「成人の日」として制定しました。それ以降、ほとんどの地方で「成人式」はこの日に行われるようになりました。その後、1998年の「祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)」に伴って、2000年より「成人の日」は1月第2月曜日へ移動しました。
そのまた次の次に、第1回日本シリーズが開幕です。1950年の日本シリーズ(第1回プロ野球日本選手権試合・日本ワールドシリーズ)は、セントラル・リーグ代表・松竹ロビンス(現・横浜DeNA)と、パシフィック・リーグ代表でこの年創部した毎日オリオンズ(現・ロッテ)との間で、11月22日よりワールドシリーズを参考に7戦4勝制によって開かれた日本選手権シリーズです。この年はフランチャイズがまだ制度化されておらず、シリーズは1試合ごとに会場を代えて行われました。またホーム扱い(後攻め)は奇数試合が松竹、偶数試合は毎日が当たりました。4勝2敗で毎日オリオンズが優勝しました。

最後に、ケネディ大統領暗殺事件です。第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディが1963年11月22日金曜日に、テキサス州ダラスで暗殺された事件です。ケネディ大統領は、ダラス郊外の「ダラス・トレードセンター」でスピーチを行うため、自動車パレードでダラス・ラブフィールド空港からディーリー・プラザを含むダウンタウンを通過する事が計画されました。ケネディ大統領夫妻とコナリー知事夫妻らがラブフィールド空港から乗車した車は、1961年式のリンカーン・コンチネンタルをオープントップに改造したパレード専用のリムジンでした。リンカーン・コンチネンタルが教科書倉庫を通過した時、およそ6〜9秒の間にケネディは狙撃されました。暗殺の間リムジンの時速は9マイル〜13マイルでした。ウォーレン委員会はその後、三発の銃弾の内一発は車列を外れ、一発がケネディに命中して貫通しコナリーを傷つけ、最後の一発がケネディの頭部に致命傷を与えたと結論を下しました。ダラス市警は複数の目撃証言から、30歳前後の白人男性を容疑者として手配、緊急配備をしていたところ午後1時15分ごろ市内のオーク・クリフ地区で、警察官殺害事件が発生しました。殺害されたのは同市警のJ.D.ティピット巡査でした。目撃者によると、同巡査が挙動不審の男を職務質問しようとしたところ突然男が持っていた拳銃を発射、ティピット巡査を射殺したという事です。リー・ハーヴェイ・オズワルドは、警官J.D.ティピットを殺害した容疑で、ケネディ暗殺の80分後に現場近くの劇場で逮捕され、その夜遅くケネディ暗殺容疑で再逮捕されました。暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、事件の2日後の11月24日の午前中に、ダラス市警察本部から郡拘置所に移送される際にダラス市警察本部の地下通路で、ダラス市内のナイトクラブ経営者でマフィアとダラス市警察の幹部の多くとも関係が深いジャック・ルビー(本名:ジャック・ルーベンシュタイン)に射殺されました。なお、この時の模様はアメリカ中にテレビで生中継されており、数百万人のアメリカ人が生中継でこの瞬間を見る事になりました。事件後には、ルビーがオズワルドと複数の人物を介して知人の関係であった上、なぜか暗殺事件発生直後からオズワルドの行動を随時追いかけていた事が複数の人物から証言されました。なお、ルビーはこの事件について多くを語らないまま4年後に癌により獄中で死亡しました。

今日の誕生日:シャルル・ド・ゴール、丹羽文雄、尾藤イサオ、倍賞美津子、中田喜子、奥貫薫、河田純子、aiko、武内絵美、遠野凪子、芦名星、小森純、佐藤由加理(元SDN48、元AKB48)、清水佐紀(元Berryz工房)、成田凌、奥真奈美(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)、フグ田サザエ

今日の記念日:小雪、いい夫婦の日、ボタンの日、大工さんの日、和歌山県ふるさと誕生日、回転寿司記念日、長野県りんごの日、ペットたちに「感謝」する日

今日の「今日訓」:本日は、本日は二十四節気の一つ、「小雪」です。「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」で、わずかながら雪が降り始めるころです。1870年、国産のボタンが海軍の制服に採用された事で「ボタンの日」、回転寿司の考案者である白石義明の1913年の誕生日で「回転寿司記念日」、「1(い)1(い)2(夫)2(婦)」の語呂合わせで「いい夫婦の日」、11月が「技能尊重月間」で「十一」を組み合わせると「建築士」の「士」となり22日は大工の神様とされる聖徳太子の命日である事から「大工さんの日」、「いい(11)ふじ(22)」の語呂合わせで「長野県りんごの日」、「ワンワン(11)とニャンニャン(22)」の語呂合わせで「ペットたちに「感謝」する日」となりました。
また、「和歌山県ふるさと誕生日」です。和歌山県は、日本最大の半島・紀伊半島の西側です。古代からの名勝地「和歌浦」に、羽柴秀吉が「和歌山」と命名しました。ここに羽柴秀長が和歌山城を築城しました。江戸時代には、徳川御三家の一つ、「紀伊徳川家」が置かれました。明治維新後の「廃藩置県」で「和歌山県」、「田辺県」、「新宮県」が設置されました。その後、「和歌山県」、「田辺県」、「新宮県」の三県が統合され、今の「和歌山県」となりました。
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