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2020年11月15日00:48

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11月に見た映画 寸評(1)

●『生きちゃった』(石井裕也)
前作の『町田くんの世界』は私にはいまいちだったが、今回は強烈で面白かった。これは不幸な家族の物語であり、夫婦のすれ違いの物語であり、はたまた三角関係の友情の物語でもある。
最初は一見とっちらかしたようにいろんな状況が描かれていて、なんだこりゃと面食らうも、見ているうちに一つ一つが結びついてきて、後からボディブローのように効いてくるような構造になっている。観客が想像して結びつけないといけない部分もあるので、ちょっと映画を見慣れていないとしんどいかもしれない。
家族、夫婦、友情の三つの主題があると先に書いたが、一番大きいのはやはり夫婦のすれ違いの物語だろう。
奈津美(大島優子)は、最初身勝手な女のように思え、ムカムカしながら見ていたが、後から真の事情がわかる。厚久(仲野太賀)には先に婚約相手がおり、奈津美は実は浮気の相手だった(奈津美は知らずにつきあっていた)。婚約者は子どもが作れない身体であり、一方の奈津美は厚久の子どもを身ごもったので、婚約者とは別れ、奈津美と結婚することになったのだった。だから奈津美の浮気は、倫理的にはともかく、一理はあるわけだ。私はここで厚久が猛烈に怒っていれば、二人が別れずに済んだ可能性もあったのでは、と思う。なぜなら奈津美は厚久の愛を確かめたくて浮気したのかもしれない、と思うからだ。しかし厚久はここで黙り込んでしまった。ここからボタンの掛け違いが始まり、二人は恐ろしい不幸の連鎖に引き込まれていくのである。
奈津美の「私がおんなとして正しいと思ったことなんだから誰にもとやかく言わせない」とかいうセリフが強烈だった。ここまで言えたら、すごい。男の大半は縮みあがって引き下がる(笑)。だがそのセリフは、奈津美の最期の瞬間、もう一度跳ね返ってくる。本当にそれは正しかったのだろうか、と。そこまで彼女を追いつめたものは何だったのだろう。それを思うと泣けてしまった。ちょっと話はそれるが、『本気のしるし』で変なヤクザを演じていた北村有起哉が、ここでは性的異常者を怪演してて最近大活躍だ。
それにしても繰り返されるパピコと、見事に決まった影絵と、ここで終わるんかいというブッタ切ったようなラスト…いずれも凄かった。石井監督、やってくれました!
<京都みなみ会館 スクリーン2 E−2にて鑑賞>

●『普通は走り出す』(渡辺紘文)
石井裕也監督の『生きちゃった』は関西では京都でしかやっていなかった。せっかく京都まで来たので、他にも何か大阪では見られなさそうなものがないだろうかと調べたら、アップリンク京都で「異能・渡辺紘文監督特集 ―大田原愚豚舎の世界―vol.2」というのがやっていた。資料によると大田原愚豚舎とは、「映画監督・渡辺紘文と映画音楽家・渡辺雄司の兄弟によって旗揚げされ、故郷の栃木県大田原市を拠点に活動する映画制作集団」らしい。ぜんぜん知らないし、聞いたこともなかったが、面白そうなのでこれを見ることに決めた。スマホで事前に座席確認をしたら、席が一つも埋まっていない。石井裕也監督の『生きちゃった』はほぼ満席だったのに…。人気がないなあ。まあ、渡辺紘文なんて聞いたことないしなあ、と思う。
番組は日替わりで一日一回のレイト上映。私が訪れた日は本作が上映されていた。本当は最新作の『叫び声』『わたしは元気』の二本立てが見たかったが、これしかやっていないのだから仕方がない。選べない。
本作は渡辺監督(自身が主演)の自堕落な日常を描いた、自虐的なセルフパロディ的作品。渡辺監督の作品を一度も見たことがないのに、いきなりセルフパロディから見て大丈夫か、と思ったが、選べないのだから仕方がない。しかし映画を見始めると、冒頭からプロデューサー相手に仕事そっちのけでドラクエの話をする渡辺監督の人間くさい人柄に呑まれ、そんなことを考えるのは杞憂だとわかった。
近所の子どもとザリガニ釣りをしたり、図書館でDVDを借りて滞納したり、ロケハンと称して旧友と一緒にドライブして映画界の悪口を言ったり(この旧友はほぼ無言なのが面白い)、市長(本物?)に会いに行き映画製作費200万援助してほしいと嘆願して一蹴されたりする。ゲストのきれいどころの女優陣はなぜか渡辺監督を叱る役にキャスティングされてて、例えば松本まりかはメタボを注意する女医さんで、萩原みのりは図書館で大声を出す渡辺を再三にわたって注意する図書館員である。マゾか。ちょっと私も叱られたい。
全編おふざけかと思ったら、途中渡辺監督に「今後は宮崎駿監督や是枝裕和監督のような立派な作品を作ってくださいますよう警告します」といういやがらせの手紙が届くあたりから、この映画の隠れた主題が浮上してきて、最後物語の登場人物に「好きな映画は何ですか」「映画とは何だと思いますか」を答えさせることによって、メジャー作品とそうでない作品との境界について考えを巡らせる仕掛けになっている。
先に私はスマホで座席確認したら誰もいなかったと書いたが、上映開始1時間前に劇場でチケットを買うときもまだ誰もいなかった。劇中、渡辺監督が映画館で映画を見ているときのように、一人貸し切り状態になるのかな、と思ったら、後から3人やってきたので安心した。かように知られていない監督の、知られてない作品に観客は集まらない。映画の内部と外部がうまく重なっている。これ、計算してやったのだとしたらすごい(笑)。
あと、この監督の作品は初めてだけど、編集で見せる面白さを会得していると思った。この映画は毎日毎日同じことを繰り返すのだけど、一度の撮影でその数日分を一気に撮っている、と書けば普通のことだけど、普通はそれがバレないように服装を変えたり、照明を変えたりするものなのに、この監督はそういうことにまったく頓着しない。あえて見せている。そういう部分にホン・サンス作品のような、低予算映画の美学を感じる。そういえば、ホン・サンス監督の映画もモノクロ作品があったり、セルフパロディっぽい作品があったりした。ちょっと似ているかも。
私は渡辺監督の作品がもっと見たくなったけど、さすがに毎日京都に通うわけにはいかない。ましてやレイトショーのみ、で、大阪に着いたら終電近い電車になってしまう(笑)。昔は監督特集上映とかやれば、一日中その作品を上映したものなんだが。やっぱりお客さんが入らないからか。結局そこ?
<アップリンク京都 スクリーン3、E−2にて鑑賞>

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