魏の準皇族といえる夏侯氏ですが、この夏侯氏、実は司馬氏とも姻戚関係を結んでいたのです。
夏侯駿(夏侯淵の孫)の妻は、司馬亮(司馬懿の三男)の娘
夏侯湛(夏侯淵の曽孫)の母は、羊徽瑜(司馬師の継室)の従姉妹
夏侯湛の姉妹夏侯光姫は、司馬覲(司馬懿の孫)の妻で元帝の生母
準皇族でありながら、司馬氏とも姻戚関係を結んでいた理由は何か?
ぼくは歴史の素人なので、この考察は見当違いかもしれませんが、あえて書いてみます。
まず、夏侯氏が生き残るためというのが考えられます。
日本でいえば、関ヶ原において真田家は、真田昌幸と次男信繁(幸村)が西軍につき、長男信之(信幸)が東軍についたことで、どちらが勝っても真田家が存続できるようにしましたが、これと同じで、夏侯一族も、司馬一族が勢力を増してきたのを敏感に察知し、もし曹氏が司馬氏に滅ぼされても、夏侯氏が生き残るように、一種の保険をかけたといえます。
夏侯覇が蜀漢に亡命した理由の一つは、もしかすると、司馬一族にも姻戚関係を結んでいる甥達を苦々しく思っていて、
「おまえ達は、大恩がある曹一族を裏切るのか」
という思いがあったからかもしれません。
また、夏侯一族は、実は曹一族を見下していたのではないかという可能性もあると思います。
曹一族というのは、宦官の家系であり、宦官は士大夫から見下されていました。夏侯氏もまた士大夫の家系であり、曹氏に恩を感じていた反面、曹氏を、
「所詮宦官の家系」
と見下していたのかもしれません。
だから司馬氏が実権を握っても、夏侯一族の大部分は、曹氏を助けようとしなかった可能性もあります。
はたして、真実はどうなのか? 永遠にわからないかもしれませんが……。
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