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2020年10月11日08:31

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キリシタン紀行 森本季子ー253 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー111

 私たちが今立っている場所に、鎮尚の居城があり、その城中でアルメイダと鎮尚はしばしば対談したはずである。
 ルイス・フロイスによれば
  アルメイダは、日本の習慣をよくわきまえており、(日本の)人々と談話していて、その心を摑むことに不思議な(ばかりの)才能を有していたから、キリシタンであると異教徒であることを問わず、彼は日本の殿方にこの上もなく愛された。(「日本史・西九州篇」松田穀一、川崎桃太訳)
 アルメイダと鎮尚は意気投合し、布教はスムーズに出発したかに見えた。が、
 宣教に反対する鎮尚の弟・大和守と刑部大輔を中心に、仏僧たちは薩摩の島津氏を後盾として反乱を起こした。時は戦国、下剋上の時代である。あわよくば、兄に代わって天草領の主権をねらったのかもしれない。
 このお家騒動で、鎮尚は本戸の支城にひとまず難を逃れた。アルメイダは佐志の津(崎津)に退去し、そこを中心に布教活動を始めた。後に、崎津、大江方面に村の九十%と言われる潜伏キリシタンが残ったのは、アルメイダが布教の先鞭をつけた結果と言えよう。
 やがて、鎮尚は大友宗麟、志岐麟泉の援軍を得て、反乱者を追い、全領地を回収した。その頃、豊後に行っていたアルメイダも呼び返される。天草領地内にキリシタンが爆発的に増加するのはこの時からである。

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