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2020年10月08日11:03

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生まれて初めての手術と入院(その2)

皆様、こんにちは。

昨日に引き続き、 手術後の入院中の状況について、記述(記録)します。

入院(9月25日)から退院(10月6日)までの状況です。

ICU2階、CT室3階、6&4階の病室での出来事です。

これは、病院内の介護の実態を把握することに、通じました。

両親が、他界するまで、30年余り、病院内介護と家庭内介護をみてきて、今度は、自分自身が、実体験する羽目になりました。


9月25日

手術前に、手術後、小便が行けなくなるので、ペニス・カテーテルをペニスに、侵入装着しました。

手術(16:00〜16:55)後、17:15に、ICU(集中治療室)へ運ばれました。

食事(夕食)なし。

ICUは、救急車で運ばれてきた患者を処置するところで、周囲に、大きな声で、痛い痛いと叫んでいる人ばかりで、ぐっすり眠ることが出来ませんでした。


9月26日

朝食なし。

9:00 CT検査で、頭脳の内部を診て戴いたところ、特に問題もなく、手術個所は、綺麗なので、侵入したパイプを除去して貰えた。

10:00 リハビリが始まりました。簡単な手足の運動でした。

12:00 昼食から病院食が始まり、主食は白米で、全て食しました。

その後、2本同時の点滴の連続の点滴状態となってしまいました。

14:00 25歳(?)のナースが、お尻洗いと言って、お尻全体を、手で、綺麗になるまで、洗浄して戴きました。

ペニス・カテーテルの部分も、優しい観で、ペニスに触れて、洗浄していた光景が、印象的でした。

私が20歳代、30歳代だったら、恥ずかしくて居た堪れなかったでしょう。

お尻周辺だけが綺麗になったところで、他の身体は、そのままでした。

15:00 ICU室から6階の613号室へ移動

613号室は、東武線(スカイツリーライン)曳舟駅のホーム隣接(押上方面)にあり、4人部屋で、私が寝起きしたところは、電車の往来が、カーテンを開ければ、見えるところでした。

17:00 妻が、不足分(必要品)を運んで来てくれ、613号室の隣の談話室で、20分間、状況(現況)を伝えました。

点滴は、相変わらず続き、病院内のどこに行くにも、点滴を下げる棒を持ち歩く状態でした。

18:00 夕食も、全て食しました。

還暦定年退職後、プチ断食をするために、夕食を食する習慣をなくしました。

13年ぶりに食する夕食、白米ごはんを、40年ぶりに食しました。

先妻と離婚(平成元年)した時から、炊飯器で、玄米ごはんを焚く手間・時間を省くために、味の素のケロッグの胚芽玄米を牛乳にかけて食してきました。

還暦定年退職後、13年間、健康維持のために、プチ断食とし、空腹でも、一寸我慢した感じで、遵守してきた次第です。

だんだん老齢化すればするほど、ある程度、少食でも、朝昼夕の3食/日の方が、身体に優しい様に想えて来ました。

613号室では、あっちこっちから、夜中も、大きな声で、痛いよ!痛いよ!と聞こえてきて、ぐっすり眠れませんでした。


9月27日

曳舟駅の電車往来(5:05下り1番電車から7:00頃まで)を観察していました。

相変わらず、2本同時の点滴が続いています。

ナースに、いつまで点滴が続くのかを尋ねてみても、主治医が終わりと言うまで続くと言っていました。

13:30 リハビリ、14:30 リハビリ

15:00 お尻洗い(お尻洗いの専属ヘルパー)


9月28日

5:05〜7:00 曳舟駅の電車往来状況を眺めて楽しめた。

8:45 お尻洗い

10:10 ペニス・カテーテルをナース(30歳?)&ヘルパー(30歳?)に除去して貰う。

除去された瞬間、「気持ちいい!!」と、2人を前に言ってしまった。

普通は、ペニス・カテーテルの取り付け、取り外しは、主治医がやるのが当たり前で、ナースがやることは、少ないそうです。

主治医は、緊急の仕事が入ってしましい、時間通りに来られないので、どうしますか?
とナースに尋ねられたので、一刻も早く除去したいと要望したら、主治医がナースに対して、外してもよい許可を得ているので、即刻、私が外してあげますと言って、ヘルパーを連れて、処置してくれたのです。

美人のナース&ヘルパーがみている前で、一寸恥ずかしさを感じました。

まだ、まだ、恥ずかしさ観を感じる状態が、残ている様です。

外された瞬間、「気持ちいい!!」と叫んだのは、私が最初で、すぐに覚えれてしましました。

これは、演出であり、演出効果満点となりました。

実際のところ、本当に気持ちいいことは確かでした。

不要なものが、取り外され、元に戻ったから。

9月29日

午前中、午後、リハビリ続く、頭の体操や軽い運動等々、頭の体操は、入院しなければ、体験出来ない様です。

幼稚園や小学校の低学年で学習する数字並べ、文字合わせ、左脳・右脳の頭脳を動かして、左右のバランス化を図っていくお遊びでした。

身体のリハビリも、左右の手、足の動きのバランス化を図っていく運動でした。

左右のバランス化が達成出来るまで、実行すると言っていました。

連続点滴が終わり、ホットした。



9月30日

8:55 CT検査

15:30 613号室から420号室へ移動

420号室は、退院直前の室で、差別化ベッド料金が掛かるところで、他に空きがないので、特別扱いで、入れられた。

613号室は、曳舟駅の電車往来が見えましたが、ベッドが手前なので、見えませんでした。

鉄道マニアでも、6階よりも4階の方が、電車の雑音がうるさく、毎日毎日聞いているとやになってしまいました。

特に、亀戸線を走る8000系電車音は、目の前を通過するので、うるさく感じて参りました。

420号室は、曳舟駅ホームの屋根位置にあり、ホームの南端が全て見渡せるので、最初はよくても、だんだんうるさ観を感じてしまたのです。

現在住んでいるところは、電車の往来から100m離れており、これが丁度、いい距離と想えました。

大きな相違点は、613号室では、テレビをみるのに、1000円/枚のカードが必要でしたが、420号室では、見放題(金銭不要)だったので、朝から晩まで、見ていました。

世界の状況から日本の状況まで、やっとみることが、出来、米国のトランプ大統領がコロナ感染したことを知りました。

入院後、テレビも新聞も自由にみられない状況が続き、社会状況を把握することが出来ませんでした。

毎日毎日の社会状況が変化していく様相、動向を知ることが必要不可欠で、把握できないと安心出来ません。


10月1日

午前・午後 リハビリ 頭の体操、軽い運動


10月2日

10:45 手術したところを留めてあるホチキスの針を除去して貰えた。

痛くもなく、容易に外すことが出来ました。

妻のインターネットによる調査では、「痛い」書き込みが多く、人によっては、飛び上がる程、痛い情報が掲載されている様相でした。


10月3日

9月26日から続いている大便、小便の計量が、終わり、一日当たりの小便の回数だけをナースに報告する程度に緩和された。

10月4日

入院して、初めて、シャワー室に入ることが出来、頭部から足部まで、身体全体を洗うことが出来、サッパリして、気持ちよかった。

自宅では、今まで、毎日毎日、入浴していたのが、頭部の手術のため、シャワーも浴びれない状況が続き、洗えない辛さを感じました。

10月5日

10:25 CT検査

明日、退院許可が出て、2〜3週間おきに、診察に来るように主治医が言われました。

420号室では、小さな声で、痛いよ!痛いよ!と叫んでいる89歳の小父さんが隣にいるだけで、ペニスと肛門周辺が、1〜2時間おきに痛がっている状況でした。


10月6日

昼食を食して、13時30分妻が迎えに来てくれ、精算、持ち帰り準備してくれて、14時一寸前に、退院したのです。




総括:

ナース、ヘルパー、栄養士から、言われてしまいました。

(1)頭の打撲の記憶がなければ、短時間睡眠の時間に、問題があるのではないか。

(2)今までの、睡眠時間帯(24時就眠して、3〜4時間)では、普通の1/2しか寝ておらず、血流が身体全体をめぐる関係が保持・維持出来なくなってきたのではないか。

(3)食事方法も、2食/日を止めて、通常の3食/日にしたら。

と言うことで、

睡眠時間は、22時に就眠して、3〜4時に起床する習慣に変更した。

毎朝、今までの40年間の習慣で、3〜4時になると自然と起きてしまうのです。

5〜6時に起き上がる様に、睡眠時間の延長化を図っていくことにしました。

また、少食療法で、3食/日に改め、プチ断食時間を短くしていくことに決めました。

要するに、若い時には問題なく実行できましたが、高齢者(65歳以上)になって、今までのライフスタイル(睡眠方法、食事方法)が、もう限界であることの病気への赤信号が発信された状態と捉えています。

誤記誤字に富んだ拙い長い文を読んで戴きありがとうございました。

何かの参考情報になれば幸いです。

感謝。
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