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2020年09月20日13:44

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(2016年)8/11 JJF北海道ホテル森の音楽会

馬頭琴ナーダムの日曜日から4日後,(2016年)8月11日(祝)は,帯広の北海道ホテルでJJFの森の音楽会でした。

その前後に道内でライブをされるということはなく,この日1日限りの遭遇となります。

2015年にじょんさんがお休みから復帰されてから1年以上,遅れてJJFも活動を再開しながら,北海道での現場はないままに経過していましたから,これはそこだけぽっかりと陽が射したような1日となりました。

後年ののやでのライブの際に側聞したところによると,この年(2016年),一時はのやでのライブも予定されていたのが取りやめとなった経緯があったようで,何か気に障ることでもあったのかと川端さんが心配されたようだったところ,帯広に来たついでにというのはよくないような気がしてといった趣旨のことをトシさんがお答えになっていました。

この貴重な1日は逃すことができませんから,最初は日直勤務が当たっていたのを交替してもらい,代わりに(2016年)8月21日(日)に日直をすることになったのだったと思います。

北海道ホテル公式サイトの問合せフォームを利用してのやり取りで,チケットの取り置きも手配することができました。

森の音楽会は15時半受付開始でしたから,これに間に合うためには11時53分発の特急に乗ることになります(ダイヤは当時のものなので御注意ください。)。
繰り返し書いていますが,この頃の職場は繁忙でしたから,この日も出発までの間,若干の休日出勤をしました。よくしてくれた伯父の初盆のため、お盆時期の翌週に休みをとりたく、仕事を片付けておきたかったからでもあります。

日直勤務を替わってもらいながら,結局職場には赴いたことになります。私の部署のトップの上司も出勤していましたが,これらの関係が後に思わぬ遭遇をもたらすことになります。

仕事を切り上げ,札幌駅から当時の特急スーパーおおぞらに乗車し,少なくとも南千歳駅は過ぎてからでしたが,職場の別の上司から携帯に電話がありました。

休日の催しに向かう途中に仕事のことで何か緊急事態でもあったのか,このまま帯広に行くことはできるのかと恐れながらデッキに移動し,通話を始めました。

用件は職場の鍵のことでした。私が帯広に出発するために職場を去った後,やはり休日出勤をすべくやってきた電話の上司によると,鍵が当直室の所定の場所に見当たらず部屋に入れないが誤って持って行っていないかと。

私は最初に出勤していたトップの上司よりは先に職場を出ましたから,自分では鍵を戻していません。仮に持っているならその上司である旨を電話の上司には伝え,確認するとのことでした(後に聞いたところでは,少し違う場所にぶら下がっていたというようなことだったらしいです。)。

というようなことを,ディーゼルエンジンの騒音の中,携帯を耳に当て,もう片方の耳は塞いで大きめの声で喋っていました。通話が終わった後,何と呼びかけられたかは記憶に残っていませんが,私を呼ぶ声がありました。

どなたかと思ったら,そこにはバウロンとともにデッキに座り込むトシさんのお姿があったのでした。全く気が付きませんでしたが,大きな声で仕事の話をする様子を見られていたことになります。

この年,JJFの皆さんは三者三様に北海道入りされたようでした。

中村さんはおそらく前週末には帯広入りされていて,(2016年)8月8日(月)には帯広でのライブなどもあったようです。毎年この時期には道内で御親族の集まりもあるようなのですが,この2016年や翌2017年は北海道ホテルでの森の音楽会と重なってしまい,お母様やお姉様は森の音楽会にはおいでになれなかったようです。

じょんさんはおそらく前日か当日に空路で直接帯広入り。

そして,トシさんは前日まで関西方面でのスケジュールが入っていました。
関西から帯広への直行便はありませんから,千歳空港に降り立った後,南千歳でスーパーおおぞらに乗り換えて帯広に向かう途中だったものではないかと思われます。
観光シーズン真っ只中,始発の札幌から乗り込んだ私は自由席に座れましたが,南千歳からだと空席がなく,それでデッキに座り込むこととなったようです。

道東方面への特急は本数が多くはないですから,同じ催しに行くのに同じ特急に乗ることになっても不思議ではありませんが,たまたまの上司からの電話がなければお互い知らないまま終わっていたかもしれず,やはり御縁があるのかと思われたことでした。

北海道ホテルにはどうやって行くのかとのお尋ねに,歩いて行こうと思っていた旨をお伝えすると,一緒に行こうと誘ってくださり,帯広駅での合流を約して自席に戻ったのだったと思います。

帯広駅到着後に再び合流すると,バウロンをはじめ荷物があるトシさんは,駅南口のタクシー乗り場で先頭のタクシーのトランクにバウロンを積み込むなどされた後,私にも同乗させてくださいました。
降車時,割勘なりにさせていただこうとしたところ謝絶され,主催者側負担か経費ということのようでしたので,御厚意に甘えることとしました。
トシさんは入口でホテルの係員の方に到着の旨を伝えると,それではまた後でと奥の方へ去って行かれました。

受付開始に間に合う特急に乗ると1時間ほど前に到着するのですが,徒歩のつもりが車になったことにより,更にゆとりができました。帯広駅南口方面に少し戻って長崎屋の書店やCDショップで時間調整をしたのだったと思います(長崎屋はその後も帯広に来ると欠かさず寄っています。)

15時半の受付開始によりホテルの広い中庭の会場に入場しました。「森の音楽会」と銘打つだけに森と言ってもいいくらいに木々も豊かで,飾り付けもされています。

ガーデンブッフェと称しての北海道ホテルの調理スタッフによるできたてでおいしい豪華料理群,JJFの皆さんや十勝にゆかりの方々による服飾,雑貨など様々な出店,そしてJJFの皆さんの音楽の3本柱からなる,かつての北のれんが古柏堂を彷彿とさせる一大行事でした。

事実,北のれんが古柏堂の時にも出店されていた方々もお見えでした。
ゆかりの方々を挙げると,中札内のチームヤムヤム,かつて札内駅らへんに所在しこの時点でも既に銭函らへんに移転していたyukimichi,富良野のsyunde himlenなどなど。Syunde himlenの小野寺さんは,かつて初北海道ツアーの時の野良窯にトマムからお見えだったのですが,同じ人なのだと頭の中でつながるまで数年を要したのでした。

JJFの皆さんの演奏は。当時いただいたプログラムにもあるように,開演の16時からオープニング演奏30分程度,17時半からパレード演奏15分程度,18時15分からのフィナーレ演奏45分程度,催し全体の終了は19時頃と予定されていました。

開演と共に姿を現したお三方は,三者三様の浴衣姿でした。
この森の音楽会には実はドレスコードがありました。浴衣をお持ちの方はぜひ御着用の上〜といったもので,私はジーンズで訪れたのですが,特に追い返されたりはしませんでした。これに対し,御出演の方々はばっちり浴衣姿で決められていました。トシさん分は中村家側において帯広で用意されたとのことだったと思いますが,サイズもぴったりのようで何よりでした。

トシさんは僅か半月ほど前に野口★健withトシバウロン北海道ツアーでもお会いしたばかりでしたが,じょんさんは(2016年)3月の日テレマルシェあんじょん以来でした。中村さんはその時の上京の折のO’Jizo。(2016年)6月の上京の折のグルーベッジ+など,鑑賞の機会はあったのですが,御挨拶などはあまりできなかった気がします。

これに対し。お三方揃ったお姿は,2014年5月旧函館区公会堂の最後の夜以来…ではなく,道南時代の終わり,2015年6月,渋谷の山崎明さんのレコ発ライブのゲストで観て以来でした。
じょんさんはお休みから復帰されていましたが,JJFとしての活動はまだ再開されていないという時期です。主役の山崎さんをきちんと立てておられたのが印象的で,トシさんが,今は活動していないんだけど義理でね,と御自分達のことを紹介されていました。

ともあれ,私には1年以上ぶりのお三方揃ったお姿,2年以上ぶりのJJFだったことになります。

オープニング演奏の後は,しばらくお食事,お買い物の時間となります。
JJFの皆さんもこの時間帯で北海道ホテル渾身のできたて美味料理を堪能しておられたようです。
場内には数人で囲むような立食用の小さな丸テーブルが散在していましたが,私のようなぼっち参加の人間は友人知己どうし和気あいあいとやっているテーブルに割り込むわけにもいかず苦労することになります。この年はテーブルのないところで何となく立ち食いして済ませたのだったと思いますが,翌年(2017年)以降は学習し,お皿に料理を盛るごとに演奏鑑賞用の椅子に戻ってもぐもぐすることを繰り返すスタイルにし,独りでもくつろげるようになりました。

森の音楽会では,国際結婚のカップルをトシさんに御紹介いただいたり,カルマンも追っているらしき本州方面からの女性客がトシさんとお話しされていたりといった記憶もあるのですが,これらは翌年(2017年)以降だった気がします。

17時半からのパレード演奏(長崎さんなら練り歩き演奏と称するかもしれません。)では,演奏を続けながらお客のところで止まって記念撮影を繰り返し,それがリアルタイムに近い形で北海道ホテルのフェイスブックページに上がるといった趣向が,特に子供連れのお客には好評だったようです。
私自身は演奏を聴き逃したくなくて,皆さんの少し後をそろりそろりと終始ついて歩きました。曲目は明るいトラッド中心で,オキャロランのファニー・パワーなどもあったかもしれません。

18時15分からはフィナーレ演奏でした。
この時の演奏風景写真はJJFツィッターのプロフィールの背景に今でも使われていて,私の後頭部もちらりと写っています。

MCでは,中村さんが,前回帯広に来てから3年間,その間に〜といったお話をされました。
この時期,東京方面などでのライブを御覧になった方のツイートなどで,じょんさんがお子さんをおんぶされての演奏をされているらしきことは伝わってきていたのですが,私自身が見たのはこの時だけです。少し大きい動きをされると,背後の両足がぶらんぶらするのが見えたりしました。

約1年ぶりのお三方,約2年ぶり旧函館区公会堂以来のJJF。おとなしやかな少女だったじょんさんが気丈に司会進行を務めるこの感じ,これがJJFだったなと思い,ラスト前後のSally Gallyでは,何だか泣けてきてしまいました。

演奏中に暗くなり始めて,クライマックスではドラゴン花火が打ちあがりましたが,これは森の音楽会の定番となっていきます。

19時頃の終演予定ということでしたが,フィナーレ演奏も盛り上がって少し押して,19時22分の特急には間に合わなかっただったのではないでしょうか。帯広駅まで歩いて,おそらく20時34分のスーパーおおぞらに乗って23時近くに札幌に到着したのだったと思います。

中村さんやじょんさんとはそんなに言葉を交わした記憶は残っていないのですが,そこだけぽっかり陽が射したような1日がこうして終わったのでした。

翌(2016年)8月12日(金)は普通に仕事をして,週末は一風来で健さんとサリランさんです。
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