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2020年09月09日00:05

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9月9日の日記

今日の出来事:1689年−奥の細道:松尾芭蕉が片山津に到着、1866年−第二次長州征伐(四境戦争):小倉城落城、1868年−磐城戊辰戦争:第一次広野の戦い

今日は、奥の細道:松尾芭蕉が加賀・片山津に到着です。芭蕉は太田神社に詣で、斎藤実盛を偲びました。斎藤実盛は源義朝に仕えましたが、「平治の乱」で源義朝が失脚した後、平宗盛に仕えました。幼い木曽義仲の命を救った恩人でした。しかし、「倶利伽羅峠の戦い」で平維盛に従って木曽義仲と戦いました。73歳の高齢で、敵に老いの身を侮られぬように、白髪を墨で黒く染めて若武者姿を演じて奮戦し、討ち死にしました。木曽義仲は恩人の亡骸を前に悲痛の涙を落とし、斎藤実盛の兜をこの神社に納めました。そして、芭蕉はこの句を詠みました。「むざんやな 甲の下の きりぎりす」(斎藤実盛の遺品の兜、いま秋、コオロギが一匹、兜の下で鳴いている。このコオロギは斎藤実盛の霊かもしれない。)

次に、第二次長州征伐(四境戦争):小倉城落城です。「赤坂口の戦い」で長州藩兵を撃退した熊本藩兵でしたが、長州藩兵との死闘で熊本藩兵も損害を受けました。熊本藩兵は小倉口の幕府軍総督の小笠原長行に赤坂守備の交代を求めましたが、これを拒絶しました。熊本藩兵以外に長州藩兵に対抗できる部隊がなく、大事な要所の赤坂を任せられるのは熊本藩兵しか居ないと言う判断からでした。しかし、熊本藩兵の不満は募っていきました。熊本藩兵は独自の判断で赤坂を放棄して撤退しました。熊本藩兵の撤退を受けた小倉藩は、慌てて自藩兵を赤坂に送りました。しかし、重大な情報が小笠原長行の元に入りました。将軍・徳川家茂が死去したと言う知らせで、これに衝撃を受けた小笠原長行は、一人で軍艦「富士」に乗り、小倉口から逃げ出しました。この逃走を知った小倉滞陣の諸藩兵は自領に引き上げを開始し、小倉に残るは小倉藩兵のみとなりました。城を捨てても譜代大名の意地を見せて長州藩兵と戦い続けるべきだとの意見に定まり、遂に小倉藩兵は小倉城に火を掛け、全藩兵とその家族達は小倉領南東の山岳地帯である平尾台を目指して総撤退を行ないました。こうして、高杉晋作が率いる長州藩兵は小倉城下を占領しました。この後、高杉晋作は結核を発病し、療養生活に入ります。「第二次長州征伐(四境戦争)」は幕府が長州に敗れるという結果になり、「倒幕・大政奉還」へと向かって行く事になります。

最後に、磐城戊辰戦争:第一次広野の戦いです。小名浜港に司令官である仙台追討総督の四条隆謌が到着しました。磐城平城陥落に伴って、列藩同盟軍は四ツ倉を放棄しました。新政府軍は、仙台藩、相馬中村藩、人見勝太郎の「遊撃隊」、「純義隊」ら列藩同盟軍は北へ遠く撤退したと見ていました。そのため、四条隆謌総督は広島兵と鳥取兵を先に四ツ倉へ派遣しました。広島、鳥取両藩兵の任務は四ツ倉の制圧でしたが、列藩同盟軍が遠く逃げ去って姿が見えない事から、両藩は北の久ノ浜まで前進し、さらに広島藩の1小隊を前進させ、広野手前の末続村において哨戒に当たらせました。しかし、夜半に入ると相馬中村藩2小隊の夜襲を受けました。広島藩1小隊は混乱に陥り、かろうじて末続村南方3キロの久ノ浜に撤退しました。広島藩は、鳥取藩と共同で攻撃前進をし、海岸線沿いに広島藩を先頭にして縦列となって進みました。その途上で、列藩同盟軍が亀ヶ崎にいるという情報を得て、鳥取藩は軍を分けて3隊で亀ヶ崎を襲撃しました。三方から攻め上がる鳥取藩兵に対し、亀ヶ崎に駐屯していた相馬中村藩1小隊は逃げ出しました。こうして鳥取藩兵は亀ヶ崎を占拠しました。一方、本隊である海岸沿いを進む鳥取藩、広島藩は広野の南に流れる浅見川に到達したところで、向こう岸に陣を張る列藩同盟軍を発見し、直ちに攻撃に移りました。この列藩同盟軍は仙台藩と中村藩の他に「彰義隊」に参加していた春日左衛門が「陸軍隊」を率いて参戦していました。列藩同盟軍は、川を利用した陣地で新政府軍の前進を阻みました。新政府軍は、夕方から明け方にいたるまで戦闘を続行しました。翌日の午前八時、列藩同盟軍は後退し始めましたが、徹夜の戦闘で新政府軍は疲弊して追撃できず、その日は広野に留まりました。

今日の誕生日:足利義稙(義材)(室町幕府第10代将軍)、上杉鷹山、レフ・トルストイ、山川健次郎、カーネル・サンダース、結城哲也(元チャンバラトリオ)、安田祥子、谷隼人、弘兼憲史、長江英和、高杢禎彦(元チェッカーズ)、有賀さつき、TAKUYA(元JUDY AND MARY)、石井一久、SILVA、坪倉由幸(我が家)、堤下敦(インパルス)、酒井若菜、大塚愛、田代さやか、中村静香(元美少女クラブ31)、宮前杏実(元SKE48)、島耕作、アンドロメダ星座の瞬

今日の記念日:重陽の節句・菊の節句、救急の日、世界占いの日、栗きんとんの日、カーネルズ・デー、秋のロールケーキの日、きゅうりのキューちゃんの日、食べものを大切にする日、九九の日、手巻寿司の日、知恵の輪の日、ポップコーンの日、オオサンショウウオの日

今日の「今日訓」:本日は、五節句の一つ「重陽」、菊が咲く季節である事から「菊の節句」とも呼ばれます。陽の数である奇数の極「9」が2つ重なる事から「重陽」と呼ばれ、大変めでたい日とされます。菊の花を飾ったり、酒を飲んだりして祝います。ケンタッキーフライドチキンの創業者、カーネル・サンダースの誕生日(1890年9月9日)を記念して「カーネルズ・デー」、「きゅう(9)きゅう(9)」の語呂合わせで「救急の日」、「栗きんとんの日」、ノストラダムスの終末の予言の日が1999年9月9日とされていた事で「世界占いの日」、ロールケーキが9の字に見える事から「秋のロールケーキの日」、「9」の形の二つを組み合わせた知恵の輪がある事と「九連環」というのがある事から「知恵の輪の日」、「きゅうり(9)のキューちゃん(9)」の語呂合わせから「きゅうりのキューちゃんの日」、「捨てないん(ナイン)、残さないん(ナイン)」の語呂合わせから「食べものを大切にする日」、「九(9)九(9)」の語呂合わせで「九九の日」、「く(9)るく(9)るする日」の語呂合わせで「手巻寿司の日」、「POP」の左右を反転させて鏡文字にすると「909」に見える事から「ポップコーンの日」、9月上旬はオオサンショウウオが繁殖期に入って行動が活発になり、その姿が数字の9に似ている事で「オオサンショウウオの日」となりました。
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