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2020年09月01日21:30

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ドゥーチュィムニー「社説[翁長氏急逝から2年] 不屈の志 どう生かすか」

 2018年8月8日、翁長雄志前知事が膵臓(すいぞう)がんで亡くなってから、きょうでちょうど2年になる。

 名護市辺野古の新基地建設を巡って、激しく政府と対立した。

 批判やいやがらせ、誹謗(ひぼう)中傷、政治的ないじめを受け続けたが、安易な妥協を拒み、節を曲げなかった。

 翁長氏が病を押して記者会見に臨み、埋め立て承認の撤回に向け手続きの開始を正式に表明したのは、亡くなる直前の7月27日のことである。

 命を差し出すようにして翁長氏が守ろうとしたものは何だったのか。後世に伝えようとしたメッセージは何だったのか。

 その問いを手放さず、問い続け、未来を開いていくことが、翁長氏の「遺志を継ぐ」ことにつながるはずだ。

 2013年、参議院予算委員会のメンバーが来県し、基地を抱える市町村長と意見交換した時、自民党議員はこう語ったという。

 「本土が受けないと言っているんだから、沖縄が(基地を)受けるべきだろう。不毛な議論はやめようや」

 驚くべき蒙昧(もうまい)だが、本土の保守政治家にはこのような考えが珍しくない。

 菅義偉官房長官と相対したとき、翁長氏は沖縄の戦後史をひもとき、「県民には魂の飢餓感がある」と指摘した。

 大切な人の命と生活を奪われた上、尊厳と誇りを傷つけられた人々の心の叫び-それを「魂の飢餓感」と表現したのである。

 しかし、いくら歴史を語ってもぬかにくぎ、だった。

■ ■

 翁長氏は自分の立ち位置を「保守だが、沖縄の保守」だと語っていた。安保も基地も認める保守ではあるが、しかし、沖縄の保守である、という言葉には、沖縄の政治家としての矜持(きょうじ)が感じられる。

 沖縄の人々は、戦後の過酷な米軍支配の下で人権、自治を闘い取ってきた歴史を持つ。それをひとことで言い表すとすれば「沖縄の尊厳」という言葉がふさわしいのではないか。「沖縄の尊厳」をどのように回復するか。

 強者に迎合して卑屈な態度を見せる事大主義ではなく、理不尽なものに対して「屈することなく立ち向かっていく姿」-その姿を示すことが大切だと語っていた。

 翁長氏が諦めることなく公約を守り通し、自治と人権の旗を掲げ続けることによって、国内外からさまざまな好意的反応が起こった。その波及効果はいくら強調してもし過ぎることはないだろう。

■ ■

 政府は新基地建設を諦めていない。だが、軟弱地盤の改良工事のため、当初計画を大幅に上回る9300億円の経費と12年の歳月が必要になっており、計画の破たんは明らかだ。

 20年版防衛白書は「(普天間の)一日も早い全面返還の実現に向けて全力で取り組んでいく」と書いている。

 この期に及んでもなお、「一日も早い」という決まり文句を平気で使う神経は理解できない。翁長氏の捨て身の異議申し立てが、「辺野古唯一」論のまやかしを浮かび上がらせたのである。
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