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2020年08月31日08:53

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キリシタン紀行 森本季子ー221 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー79

一、伝説と遺跡

●古寺さま
 大江は幾つもの集落に分かれている。旧大庄屋のある里の尾に古寺という字(あざ)名が残っている。道端に「古寺さま」と書いた標柱が立っていて、口碑によれば、大江最初のミサが執行された場所という。資料の裏付はないが、もしそれが本当なら、河内(こうち)浦・天草氏の時代にさかのぼる。下島南部を広く領していた天草鎮尚(しげなお)、久種父子が受洗したのは志岐麟泉に数年遅れ、元亀・天正の頃(一五七〇年代)であった。領主の庇護のもとに、宣教師による布教活動が盛んで、崎津、大江もその中に含まれる。大江の浜からもさして遠くないこのあたりに、神父が小屋を建て、宣教の足がかりとしたとしても自然である。
 井戸下氏の案内で「隠れみ堂」を探し当てた後、山下大恵 (ひろしげ)氏と共に「古寺さま」をはじめ大江で知られた隠れ遺跡を訪ねることになった。これはシスター松下のほかに松浦四郎氏も同行。
 里の集落を通る三八九号線を西に約十二、三分入った傾斜地に、巨大な蘇鉄のヤブがある。手入れする人もなく、枯死した葉が風雨に晒されて骸骨のように垂れ下がっている。日当たりのよい土地なので、幹の中心からは新しい葉も延びている。天草時代に宣教師が住んだという家がこの地にあって、その跡が「古寺さま」と呼ばれたと聞く。

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