mixiユーザー(id:61189781)

2020年08月20日00:33

67 view

眼球奇譚

右眼の白内障手術から約2ヶ月。

漸く瞼の引っかかり感や、違和感も薄れつつある。

初めは左眼で6月4日だった。

朝8時に病院集合をかけられ、抗生剤を飲む。
一泊入院を決めていたので、点滴を受けながら自分のベッドで順番を待つ。

手術室前までは歩いて移動。
ストレッチャーに載せ替えられ、入念に眼の洗浄。
この間、↑→↓←と眼を動かすよう指示される。
でも、首から下は着てきた服のまま。

手術台に乗せ替えられて、左眼だけを出すマスクを被せられる。
麻酔剤の入った液体を、目が乾いて瞬きをするのを抑えるため、頻繁にかけられる。

何か半透明のゼリー状の物で眼を覆われてからは、ピントの合った映像を認識できなくなった。

それから約40分。
左眼に映る映像は、全く経験したことのない代物で、比喩や表現に困るが、敢えて言えば…

キューブリックの「2001年宇宙の旅」でHALが暴走するシーンで延々スクリーンに展開される色彩の氾濫から、時間を表現しているだろう前進感覚を取り除いたような、と言えば何となく伝わるだろうか。

術後も結構な驚きや気づきがあった。

左眼は分厚くガーゼで覆われたまま。
仕方なく、その上に眼鏡をかける。

トイレに行った時、その右眼だけの視覚が妙に近く感じられることに気づいた。
最初は目とレンズの距離が少し離れたので、そう見えているだけだと思っていたが。

元々、矯正視力も左眼は右眼に劣る。
右眼だけで見る映像に戸惑っているのだろうと思った。

更に翌日。
ガーゼを外して左眼を解放されたときのこと。

左眼だけ、そして右眼だけで見る映像の、明度と彩度に大きな差があったのだ。
左眼は電球色、右眼は昼白色くらいの違いがある。

特に空を見上げたりして、片目ずつ閉じてみると違いの大きさに驚く。

そして、更に興味深かったのは、両眼では「両者の中間」辺りに感じられること。

大昔の学生の頃。
「感覚は選択する」「網膜に映る映像をそのまま認識はできない」とか言うことを、理屈で飲み込もうとしていたことがあった。

それが今回のことで、「見えている」とは、網膜に映った映像を、脳が多段階処理して「認識」に至らせているのだと実感するに至ったのだった。

単に視力の悪化を食い止めるためだけの動機で受けた手術だったが、思わぬ大きな副産物を受け取ることになった。

7 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する