【質問 kérdés】
マヨル・イェネーって誰?
Ki az Jenő Major?
【回答 válasz】
第二次大戦ハンガリー軍の大将.第1自動車化旅団長としてユーゴ侵攻や独ソ戦に参加して以降,主に機械化部隊関連の要職を歴任.
親独傀儡のサーラシ政権下でドイツ国防軍最高司令部附属ハンガリー軍総監となったが,終戦によりフランス軍の捕虜に.
釈放後は西ドイツに移住し,同地にて死去.
* * *
1891年8月6日生まれ.
1905年,ベーチの軍事学校に入学.
1909年8月18日,士官候補生となり,ルドヴィカ・アカデミーに進学.
1912年10月1日,少尉としてチロルの第3猟兵連隊配属.
1913年,Győri cs. és kir. 11. tábori vadászzászlóalj
1914〜18年,Szakasz-, század-, zászlóaljparancsnok a fronton
1915年1月1日,中尉.
第一次世界大戦に従軍し,二度負傷.
戦後,ハンガリー軍入隊.
1918年5月1日,大尉.
1921〜23年,陸軍上級士官学校入学.
1929〜32年,第5混成旅団参謀次長.
1932〜35年,防諜部長.
1933年11月1日,中佐
1935年,ルドヴィカ・アカデミーの研究員および戦術講師.
1936年11月1日,大佐.
1938〜40年,国防軍第8部門(人事)部長.
1940年9月1日,少将.
1940〜41年,第1自動車化旅団指揮官.
第二次大戦勃発後,同旅団を率いてユーゴ侵攻やバルバロッサ作戦に参加.
1941〜42年,ブダ城の陸軍野戦訓練部長.
1942年9月,快速軍団団長.
1942年10月,快速軍団は第1装甲軍団と改称.
1944年10月,自動車化・戦車兵総監.
1944年10〜11月,第2軍司令官兼任.
1944年11月1日,大将.
1944年11月,矢十字党政権誕生後,ドイツ国防軍最高司令部附属ハンガリー軍総監
1945年5月1日,ゾントホーフェンの町の近くのザイフリーツベルクで捕虜に.
1946年8月まで,フランスにて捕虜生活.
釈放後,西ドイツ,ブライハッハに定住し,そこで織物工場の労働者となる.
1972年1月13日,バイエルン州ゾントホーフェンにて死去.享年81歳.遺体は同地に埋葬.
Gosztonyi Péterによれば,マヨルは「回想を書いていたが,死が近づいているのを感じて,400ページを超える原稿メモを火の中に投げ込」み,彼が遺したのは1944年3月19日から1945年7月中旬までの回想のみであるという.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://en.wikipedia.org/wiki/Jen%C5%91_Major
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%BC
https://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/2vhSzakkonyv-magyarok-a-ii-vilaghaboruban-2/emlektoredekek-visszaemlekezes-az-1944-marcius-es-1945-julius-kozotti-haborus-esemenyekre-B96B/bevezeto-B984/
1枚目:A Major Jenő vezérőrnagyról 1943-ban készült felvétel
少将時代のマヨル・イェネー.1943年撮影
(図No.faq200808jn,こちらより引用)
2枚目:Major Jenő vezérőrnagy, az 1. gépkocsizó lövészdandár parancsnoka szemlén,
Keleti front, 1941 nyara
第1自動車化旅団指揮官時代のマヨル・イェネー少将
東部戦線,1941年夏
(図No.faq200808jn2,こちらより引用)
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