卑怯な人を見かけたりすると、
「あいつは姑息なヤツだね〜」
なんてな事を言ったりしますが、
『姑息』は『その場のがれ』とか『一時の間に合わせ』という意味であって、
『卑怯』という意味は全くないんですね。
ですから『ひきょう』と言いたかったら、
『姑息』よりも『アマゾン』と言うべきなんでしょうね。
同様に『確信犯』という言葉の意味は『悪いと判っててする事』ではなくて
『正しいと信じて行う事』という、ほぼ真逆の意味だったりするわけですね。
このように、割と多くの方々が勘違いされてる事というのは、
世の中に結構あったりしますよね。
学校の先生なんかが、生徒たちに努力の大切さを訴える時、
「あのエジソンも言っているだろ?『一%の閃きと九十九%の努力』だと」
なんてな事を仰ってたりしますが、この言葉は『努力が大切』という意味ではなくて、
『一%の閃きがなければ九十九%の努力は意味がない』という、
むしろ『閃きの重要性』を訴えてる言葉だったりするわけですが、
我々大多数の凡人にとっては、結構バッサリいかれる言葉ですよね。
身の回りの身近な物の名前もそうです。
紙をとめる時に使う『ホッチキス』だとか、
ゲームの『オセロ』なんてのは『商標登録名』であって、
ホッチキスでなく『ステープラー』、オセロではなく『リバーシ』が物自体の名前なんですね。
それから、食べ物で『チゲ鍋』とか『サルサ・ソース』なんてありますが、
チゲは『鍋』という意味で、サルサは『ソース』という意味なんですよね。
ですから我々日本人は、『チゲ鍋』の事は『鍋鍋』、
『サルサ・ソース』の事は『ソース・ソース』、
『居酒屋』の事は『笑笑(わらわら)』と言っているのも同然なんですね。
本のタイトルなんかを、勘違いして覚えてる方なんてのもいらっしゃいます。
その勘違いタイトルが『想定内』の場合はいいんですが、
正しいタイトルを推測するのが困難な場合もありますよね。
福井県立図書館には『覚え違いタイトル集』なるリストが存在してましてね。
これは、同館の司書の方が、利用者が覚え違いをしがちな著者名や本のタイトルをまとめ、
ホームページ上で公開したものでして、誤って記憶していた『覚え違い』の用例と、
『本当はこうでした』の用例を並べて掲載しているものなんですね。
このリストさえあれば利用者から、
「すみません、『あでらんすの鐘』という本はありますか?」
と尋ねられても、それがすぐに、
澤田ふじ子さんの『あんでらすの鐘』だという事が判るようになってるんですね。
非常に役に立つリストで『背中を蹴飛ばしたい』が、
綿矢りささんの『蹴りたい背中』だったり、
『年だから解雇よ』が、田淵アントニオさんの
『トシ、1週間であなたの医療英単語を100倍にしなさい。できなければ解雇よ』の
間違いだって事まで、すぐに判っちゃうんですね。
「あの〜、『田んぼの中にタガメがいる』という本はどこですか?」
と聞かれた時にも、すぐにヘミングウェイのコーナーへ案内して、
ニッコリ笑って『誰がために鐘は鳴る』を差し出す事ができるというわけですから、
司書の皆さん垂涎のリストですよね。
微笑亭さん太
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