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2020年07月31日14:31

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石狩市 弁天歴史公園

純子のマイナンバーカードの更新のために区役所に行く。

多くの人が更新なんてしないで放ったらかしのようだが、純子は運転免許を持っていないため身分証明のために必要なのだ。

手続きが終わって手稲の歴史を展示してある部屋を見る。

年表は縄文時代から始まっている。

展示の内容は主に手稲鉱山についてだ。

手稲鉱山は一時国内第二位の金の産出量があったのだが、太平洋戦争中に昼夜を分かたず掘り続けて終戦時にはほとんど掘り尽くしてしまった。

終戦後もほそぼそと掘っていたが、昭和46年(1971年)に閉山となった。

https://www.city.sapporo.jp/teine/tthanashi/honbun/hanashi15.html

鉱山から軽川駅(手稲駅)近くまで鉄索(ケーブル)を引き鉱石を運んだのだが、子供たちは学校に行くのに鞄を背負って山を下ってゆくのだが、帰るときにはケーブルの空になったバケットに鞄を放り込み手ぶらで帰ったという。

そのケーブルがどういうルートで引かれていたのか知りたいと思っていたのだが分からなかった。

多分こんな感じで鉱石を運んだのだと思う。

http://toutankakai.com/%E9%89%84%E7%B4%A2/

久しぶりに天気が良く、そのまま帰るには勿体ない。

しかし夕方には人が来るので遠くには行けないということで、石狩浜に行く。

今年はコロナの影響でアソビーチも厚田も浜益もビーチは閉鎖だ。

ハマナスの丘公園に行く。

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/site/sightseeing-guide/1590.html

ビジターセンターに置いてあるパンフレットを見たら、「弁天歴史公園」というところがあるのを知り行ってみた。

石狩浜にかつてあったアイヌとの交易所「場所」に建っていた「運上屋」をサイズダウンした建物があって、観光案内所になっている。

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/site/sightseeing-guide/1694.html#CONTENT2

安政7年(1860年)日米修好通商条約批准書交換のため幕府がアメリカへ使節団を派遣したのだが、その時の使節団の副使が村垣 範正(むらがき のりまさ)だった。


その3年前の安政4年(1857年)、箱館奉行だった時に西蝦夷地を見回り、この地も訪れていて「村垣氏西蝦夷地巡行図巻」の中に当時の「石狩場所」の風景が記録されている。


http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/soshiki/bunkazaih/2763.html

この石狩市のホームページによれば、今再建された辺りに昔の運上屋もあったようだ。

運上屋の通路を通ると広場に出る。

少しスロープを登ったところに「楽山居」と名付けられた木造の建物があって、縁側から枯山水の庭が見られるようになっている。

踏石を踏んで裏手に回ると石碑があり「先駆けの玫瑰の芽の真紅」と、郎人という人の俳句が刻まれていた。

後から調べたら有馬 朗人(ありま あきと) という人の句で、元・東大総長,文部大臣であった。

「玫瑰」ってなんて読むんだ?と思い石碑の裏を見たら

「さきがけの ハマナスのめの まくれない」

と書いてあった。

ハマナスの芽って、この場合は花の蕾のことだろうか。

今年初めて付いたハマナスの花が真っ赤だなあという意かな。

他にも俳句を刻んだ石碑が立っている。

http://www.bannaguro.net/guide/C03-%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89.html

「楽山居」の建物の方で声がするので振り返ったら、座敷の中で女の人が箒を持って庭にいる人と話していた。

そのうち、その人は家の中に上がって女の人に建物の説明を受けている。

我々が庭を通って帰ろうとすると、上がってゆかないかと誘われる。

何でもこの建物は元病院の建物の離れで、今は俳句の会や茶会に使用されているらしい。

9月には毎年「鮭まつり」というものが催され、この建物も障子を取っ払ってひとつづきにしなければならないほど人が溢れるらしい。

この小さな集落に4万人もの人がやってくるという。

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/site/sightseeing-guide/1664.html

「水琴窟(すいきんくつ)」を見せてくれるという。

庭の片隅に手水鉢があったが、あそこの小石の下に龜が埋められているらしい。

北海道では凍結の問題があるせいか、水琴窟は珍しい。

水琴窟愛好会みたいなのがあって作ったのだそうだ。

札幌では百合が原公園にもある。

水を流すとしばらく経ってからカラン コロンと金属的な音が響いてくる。

すぐとなりに石狩弁天社があるので見てゆきませんか?という。

弁天様は弁財天ともいい、元々インドのヒンドゥー教の水と豊穣の女神サラスヴァティーである。

それが日本にやってきて仏教や神道と混ざって知恵、長寿、富を与えてくれる神様になった。

ということで、我々もご利益に与ろうと後に付いていった。

入り口の欄間には上り龍が彫られていて、左右両側に狛犬がいる。

「見上げると龍が笑っているように見えるでしょ?」

と言うので見ると確かに目が笑っている。

こういう彫刻というのは下から見上げることを考えて作られているから、下から見上げた時に目が笑っているように彫られているのだろう。

建物は300年以上前に作られたものらしい。

ここは弁天様の他に鮫の神様も祀っている。

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/soshiki/bunkazaih/2736.html

純子は弁天様にロト6が当たるようにお願いしたとのこと。
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