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2020年07月31日05:43

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不便の益、無用の用

昨日こちらの方々がいきなり我が家にやってきた。

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大振りのきゅうりがなんと11本である。近所に住まう懇意のご婦人Iさんから頂戴した。Iさんの実家がある四国香川県から時おり野菜がまとまって送られてくることがありこちらもそのおすすわけのお相伴というわけだ。おまけの和菓子とともにありがたく頂戴した。さっそく食卓にあげたりと常備菜に漬け込んだりと急ぎ動いた。

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夕飯には生のきゅうりをマヨネーズつけてともうひとつはごま油と塩でもんで韓国風の即席漬けにした。ごまの方を家内とめぐみがパクパクと食べてくれた。
右側であるが近所の酒屋に走り、キムチ漬けとぶつ切りきゅうりで和えてカクテキキムチにした。もう一方は安田成美ちゃんがCMに出ていたミツカンのかんたん酢を買ってきて漬け込んで即席キムチにした。

買い置きのきゅうりもあったのでそれでもまだ5本ほどきゅうりが残っている。当面きゅうりを楽しめそうである。いいきゅうりレシピがありましたら是非ご紹介願います♡。

一昨日録画していた「ヘウレーカ」を観たら今週も面白かった。テーマは「不便って悪いこと?」とあり、番組では不便の有益性を例のごとく学術的かつエンタメ的に紹介していて同感できるところが多々あり楽しかった。今回のゲスト教授はこちらのお方。

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京都大学情報学研究特定教授の工学博士・川上浩司先生だ。もともとはAIの研究に従事していたところ、変遷を得て思うところあって「不便益」と書いて「ふべんえき」の研究をしているおそらくオンリーワン研究の先生だ。

不便益とは不便でありながらもそれが有益をもたらすものがあり、そこから不便そのものの有用性や有益性を説くという学問だ。
番組進行役のまったんが自身の不便益を先生から訊かれたところ、「わざと時間をかけて遠回りをして目的地に行くことがある」としていた。

遠回りして一見無駄な行為に思われるその不便が、新しく目にする光景により思索を得て創作のヒントを得ることがあるので、自分にはそのムダは欠かせないと言っており、ああそういうことあるよなあと思わされた。

一時期オーディオに凝った僕にもその経験がある。当時はオーディオがアナログレコードからCDへの過渡期だったので、レコードプレーヤーとCDプレーヤーの両方を所有していた。CDはそのまま機械にソフトを滑り込ませてリモコンを押せば雑音少ないクリアな音楽が聴けて快適である。

なれどわざわざLP盤を引っ張り出してプレーヤーにセットし、ターンテーブルに専用の重しのインシュレーターをかませたうえ、トーンアームを持ち上げてカートリッジを盤面のみぞに落とす手間な作業というのはなぜか面倒を通り越して楽しいのだ。そしてレコードのそりのおかげで発音されるノイズなどの雑音もいっしょに聴くことがことのほかぜいたくに感じられるものだった。それがいま思えば僕にとってのまさに「不便益」と言えよう。

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川上先生はわかりやすく不便益による8つのメリットをボードに掲げてくれた。こちらである。

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能力低下の防止、上達、工夫、安心と信頼、発見、対称系の理解、主体性、俺だけ感とあった。なるほどそうであるなあと同感させられた。
番組の終盤ではまったんと川上先生の対談が面白かった。それは自動車の自動運転についてであった。自動運転が近未来主流になったらわざわざハンドル操作で運転する人が珍しく化石に思われたり、カッコイイとなる時が来るかもしれないというのである。そういう時代になるとドライバビリティといったファントゥドライブがこの世から消滅してしまうかもしれないとあった。それはそれでちょっと怖い気がした。

番組途中で提示されたパネルがこちらである。

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不便益の他に3つの象限があり、便利益、不便害そして便利害である。便利益と不便害はいくらでも思い当たり当たり前のことが大半であるが便利害とはなにかとあった。それは便利がもたらされることにより、それまで本来あった不便益が阻害されるということであった。

ここで僕なりの解釈だ。たとえばネットサーフである。パソコンキーを適宜打ち込めば知りたいニュースや情報をパパっと得られるが、どうも僕は新聞紙のように紙媒体を手でめくる方が頭に入ってくる。

また辞書機能だ。ネットで知りたい言葉や情報を簡便に引き出してばかりいると、いつか辞書の引き方も忘れて人間がバカになってしはしまいかと思うのだ。つまりはいままで不便でなかったものが新しい媒体により不便に追いやられてしまった際、その不便が実はとても僕らにとって有益有用だったのではなかろうかということである。

それはよく言う「無用の用」にも通底するテーマではなかろうか。つまりは無用ムダと思えるものにでさえあるいはこそ価値があるという考えである。
最近の日記にも書いたが僕がかつて会社員時代に出会った役立たず3人にいまいちどご登場願おう。

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特に左上のおやじだ。こいつはそれまでも役立たずであったが本社転勤により新天地で無能が露呈していたため居場所を得られずなかばクビ状態で退職に追いやられていたのであったが、退社時にこいつの放漫営業による不良債権が2千万円にも及んでいたことが発覚した。まあ役立たずどころではなく明らかに損害もたらした害毒社員であったのであるが、それ見て周囲はみなわが身を引き締めた。

無能なそいつによる損害を最小限にあるいは取り戻すべく残された社員が奔走したのだ。おかげでしばらくかかったものの不良債権の圧縮に奏功し、最後は事なきを得ていた。つまりは反面教師を前にみな頑張ったのだ。その一連からすれば低劣社員の存在も結果的に有益をもたらしたと言えよう。

そうして世の中回っていくのである。川上先生は危惧していた。不便益を忘れて便利益ばかり求めていくと、最後にはとてつもなく大きな「不便」に我々は取り込まれてしまう、と。なればこそ不便益についてもっと理解を深められるよう努力したいとありああさすが京都大学の先生だなあとなんとなく山中教授と同じにおいを感じた。東大じゃあこれはあるまい。さて今日はどんなよき不便があるであろうか(*´ω`*)。
これを買って飲んだ。

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ポッカサッポロ飲料のレモネードだ。名前に注目されたい。REMONMADEとあるのでレモネードではなくレモンメイドだ。だまされそうになった。
味はシンプルで美味しかった。実家近くのドラッグストアで買ったので、近くで買えるところをみつけたい。また飲みたい味でありました。
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