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2020年07月25日21:35

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(2016年)7/23〜7/25 野口★健withトシバウロン2度目の北海道ツアー

林太郎さん淳志さんu-fullの皆さんの野良窯から中4日,(2016年)7月23日(土)は,野口★健withトシバウロン2度目の北海道ツアー4日目のJAMUSICAでした。

北海道ツアー自体は,(2016年)7月20日(水)ごう内科昼のロビーコンサート,21日(木)知床第一ホテル,22日(金)釧路と進んで既に終盤と言ってもいい段階でしたが,いずれも平日のこととて赴くことができず,JAMUSICAからの参戦となりました。

前年(2015年)秋の初ツアーから1年を経ずしてまた違う季節に来てくださることになったのは,皆さん初北海道ツアーに手応えを感じてのことではないかと思われ,そうであれば嬉しいことです。

野口さんは言わずとしれたイリアンパイプスの使い手ではありますが,健さんが初めからピアノやアレンジの方を激賞しておられたことからわかるように,野口★健のライブ会場にはピアノがあることが条件となります。そうしたこともあってこの日の会場もJAMUSICAになったのだと思われます。

必然的にツアーでしか御一緒されない遠距離ユニットですから,前年(2015年)秋の初北海道ツアーでは,日程が進むにつれてユニットとして熟した感じが増した気がしたのが興味深く,最終日じょじょでの健さんと野口さん感動の抱擁シーンなどからすると,御本人たちにもそうした手応えを受けたのではないかと思われます。

これに対し,今回は北海道ツアーに先立つ本州方面でのツアーもありましたし,北海道も既に4日目,もうかなり温まっているように感じられる…と当時JAMUSICA鑑賞後に書いたものにもあります。

翌(2016年)7月24日(日)は,りびあん。ここにもピアノがあり,野口★健にとっては初めての場所となります。

私自身は前年(2015年)9月のオオフジツボ5連休北海道ツアーの4日目以来だったのではないかと思います。2009年春から道南に去るまでの間の札幌時代も,りびあんの名は様々な方々のスケジュールで目にしていましたが,南区の坂の上という土地柄,自転車で行くには遠く…とのイメージがあり,3年4か月の間,機会を得なかったのでした。

2015年夏に道央に戻り,真剣に調べたところ,地下鉄真駒内駅からじょうてつバスに乗り継いで行くことができるとわかり,以後,じょうてつバスの時刻表とライブの時間帯を比較対照の上で行き帰りの時間を調整しています。


りびあんは,田畑御夫妻の人徳もあるのでしょう,野良窯などと同様,場に演奏者がお祝いされているような感覚があります。催されるライブが例外なく良質のものだからという裏付けがあってのことですが,私のようにアーティストを追って訪れる客だけではなく,演者を問わずにいらっしゃる地域の年配の方々がライブを大いに盛り上げてくれます。それは田畑(妻)さんの的確な煽りによるものでもあるのでした。

この日も客席の熱気に煽られ演者もヒートアップ。前夜のJAMUSICAではなかった曲目もありましたし,野口さんがアルメニアの管楽器を使っておられたのを覚えています。

打上げにも少しお邪魔させていただき,じょうてつバスの時間に合わせて失礼したのだったと思います。健さんやトシさんと異なり,面識を得させていただいていない野口さんとはそうした席でもあまり言葉を交わしていないのですが,初ツアー以前にも野口さんをお見かけしたことは3度ほどあり,当時書いたもので振り返っているので,ここにも再度記しておきたいと思います。

かねてお名前は目にしながらも,初の目撃機会は道南時代の2013年6月だったと思います。
普段はアイルランドのアキル島在住のノエル&リサ夫妻が奥様の里帰りで来日され,蒲田教会でライブ後にセッションをされた時のことでした(その後,ノエル&リサ夫妻は来道時にジャックライブをされたこともあります。)。
その時,御自分のイリアンパイプスをお持ちでなかった野口さんは,中原直生さんのものを使おうとして,胴回りのあまりの違いに装着を断念されていたということがありました。体格は今ほどではなかったと思いますが,やはり無理だったようです。髪も今とは異なり短髪でした。

その次はその年(2013年)の10月,JJF年間感謝祭の日の昼でした。
今でも続いているのかどうか,阿佐ヶ谷ジャズストリート期間の週末恒例,阿佐ヶ谷駅にほど近いマドホッグキッチンでのアイリッシュセッションがありました。
事前情報の開場時間どおりに訪れた筈が,まだどなたもおみえでなくて,お店の人に演奏の方ですかなどと言われてしまったのですが,私の次に来てくれたのが野口さんでした。
その日,夜のジョンジョンには行くのかといった中藤さんとの会話の中で,なぜか急にオネエ言葉になったのを覚えています。

その次が,翌2014年3月末,仙川森のテラスでの野と花でした。
トシさんと御一緒にピアノでアイリッシュというのは,今回の野口★健withトシバウロンにも通じるものがありますが,この時点でも体格はやはり今ほどではなく,髪も短いお姿だったと思います。

野と花も再びの機会を願いながら,現在までこの時が最後となってしまっています。

その後,tricolorや富貴さんとのマッサン仕事や光田さんに関わられるなどして,すっかりファンを増やすこととなりました。野口★健の北海道ツアーにも,普段アイリッシュ界隈ではお見かけしないような,ゲームミュージック方面のお客と思しき方々が多数来場されていたのを思い出します。

りびあんの帰途のバスと地下鉄の車中で簡単な鑑賞記を書き上げました。

そのまた翌日(2016年)7月25日(月)は,いよいよ最終日のなまらやでした。
この日は普通の月曜日でしたから,仕事を終えてからJRにて急いで小樽に向かったのだったと思います。

なまらやにもピアノがあり,最終日ではありませんでしたが,前年(2015年)秋の北海道ツアーでもライブが催されました。

私は3日目ですが,皆さんは1週間になんなんとするツアーの最終日で。
健さんが疲労とおっしゃっていましたが,ツアーの終わりには独特の雰囲気があります。一抹の寂寥感や疲れもありつつ,脳内物質が出ていてハイになったり爛熟感覚もあるような。

開演前には前日と違う曲の仕込みをするいとまがなかったようなことをおっしゃっていましたが,トシさんのバウロンソロに続いて「肥えていく」のヴォーカルを久々に聴きましたし,トシさんと野口さんのデュオだったでしょうか,前日まではハイパータンバリンでやっていたと思われる箇所をバウロンで通すなどの変化もありました。「肥えてゆく」は,カルマンでも聴いたのだったでしょうか。

ジグ,リール,ポルカなど私好みの高速系の曲や,最後のセッションも楽しみました。

この年(2016年)3月のダイヤ改正で,小樽発の終電が10分遅くなっていて,南小樽駅から帰るのであれば,打上げに出席して23時近くまで粘ることができます。
かつて23時発の終電に間に合わせるべく小樽駅まで急いでいたことに比べると,かなり長い時間を過ごせるようになってきているのですが,いまだに打ち上げをお開きまでいることのできた経験はありません(この日も私の退席後にちょっとした諍いが生じたなどというお話を伝え聞きました。)。野口★健wituトシバウロンと同様,いつかきっとの機会があればと願われるのでした。

さて,次の週末はチカホ冬の都市見本市でRAUMA,更にその翌週末はサンピアザ劇場馬頭琴ナーダムです。
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