mixiユーザー(id:28749778)

2020年06月27日21:09

47 view

(2016年)7/17 ぐるぐるマルカート

2016年7月17日(日),林太郎さん淳志さんu-fullの皆さんの北海道ツアーさなかの連休でしたが,この日は旭川の木楽輪ではなく,マルカートのために南小樽のぐるぐるに行きました。

JRの琴似駅前に自転車を置き,そこからJRに乗ったのだと思います。

ぐるぐるは道南に去る直前,2012年7月末の潮まつりの日に小樽ゆかりの松崎さんとあらさんのジョイントで訪れて以来2度目でした。その頃は急に小樽に行く機会が増えて心理的な距離が近くなり,開演1時間くらい前にはまだ札幌にいたのに,何だか間に合うような気がして赴き遅刻してしまったこと,7月初めのなまらやでのJJFとのジョイントの際にお別れの握手までしてくださっていたので,私がわざわざ道南から来たのかとあらさんが誤解されたかもしれないことなどを覚えています。お祭りの花火の時間に間に合うよう配慮しての早めの時間設定で,行き帰りのJRには浴衣のお客も多かったです。

これに対し,マルカートとしてのまとまったライブ鑑賞機会は,2013年秋の香聡庵以来だったと思われます。その後りびあんでのライブもありましたが,2015年夏のまだ私がぎりぎり道南にいた時期だったのでした。

私はようやくの機会を得たのでしたが,ぐるぐるでの毎年のライブは,ユキさんがまだ東京で活動されていた頃からの恒例とのことで,ロケットとはまた違うマルカートとしての機会に,ユキさんの思い入れはまたひとしおのものがあるようでした(お若い頃はお母様がお見えになることもあったと後のライブでお伺いしました。現在は更に機会が増えて,年2回が定着しつつあるようです。)。

私が3年ぶり北海道,6年ぶり札幌に戻って来たのは,ユキさんが活動の拠点を東京から札幌に移されてからそんなに間がない頃で,東京勤務の余韻が残って上京する機会も多かったですから,ユキさんが「商店街」を歌うときなどお話しされる西永福の記憶,麓屋のこと,頷けるものが多くありました。S氏と上京した時など実際に西永福で降りてみたものの,麓屋はお休みだったということもありました。ぐるぐるよりも麓屋を見た方が先だったかもしれません。両者の板材の外装に共通する印象を感じた記憶もあります(大渕愛子さんの妹さんが麓屋で働いておられたらしきことも後に目にしたこともありましたが,詳細は未確認です。)。

ボブテイルの羽場さんが亡くなられてゆかりのミュージシャンが一斉に悼んでおられたのもその頃でした。ボブテイルは池の上にありましたから,西永福と相まって,マルカートの曲たちには京王井の頭線の香りを感じるような気がしていました。

ただ,北海道に戻られてから東京での御活動と同じくらいの月日が流れ,私も道南に差っては戻るという時を経て,この時期にはより北海道みをも感じるようになっていたかもしれません。

この日のぐるぐるでも「商店街」は歌われました。ユキさんはこれほどお客一人一人の目を合わせるように弾かれる方だっただろうかと感じました。ぐるぐるでのライブへの思い入れゆえでしょうか。

聴くたび涙腺が刺激される「小さな約束」もありました。これまた一人一人のお客に語りかけるようでもあり,天に向かって話すようでもあり。香聡庵での印象が強いのですが,更に3年ほど遡ったくうでのジョイントでも聴いている筈なのに,不思議とその時の印象ははっきりしないのです。その間,こちらも聴き手として成長できたということなのであれば,嬉しいことです。

パスタのおいしいぐるぐるの打上げにはその後だいたい出席しているのですが,この時に初めて残ったのではないかと思います。皆さんと南小樽駅まで歩き,4人でJRのボックス席に座って帰ったのがこの時だったのではないかと思われるからです。
札幌駅まで行かず琴似駅で降りたので,札幌市内西方に住んでいると皆さんに思われたかもしれませんが,それは琴似駅前に自転車を置いていたからでもあり,当時琴似に住んでいたS氏宅に寄って一緒に行く予定のライブチケットを渡すためでもありました。

それからは夜の札幌を延々と自転車を漕いで帰宅しました。それなりに遅い時間になったのだったと思いますが,翌日は気持ちを新たに富良野に向かいます。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する